アイデンティティ(出自)-元から今へ
- 2015年 2月 27日
- 交流の広場
- 藤澤豊
初めて会った時、相手に自分が何なのか素性を分かってもらうために、自分が所属している組織の名称が先にあって姓が続く。(同じ姓の人が複数いない場合以外は姓までで、名までは使わない。) 評判でも聞いていない限り、姓名を名乗られても、その人が何なのか分からない。
電話をかけるときも、姓を言えば通じる緊密な関係の相手でない限り、誰からの電話なのかを知ってもらうために姓の前に所属する組織の名称を伝える。何度も会っている相手でも、電話の場合は見えないから、姓の前に組織名を、声で分かる場合でも礼儀として伝える。
人は相手が一体何なのかを、その相手が所属する組織から、さらにその組織内での立場から判断してきた。昔は所属する部族名や居住地方名からその人の素性を想像することも多かったろうし、氏名の“氏”が所属する組織を表した時代もあった。今は、本当に個人的な出会いか、組織に所属していない、あるいは、所属する組織を相手に知られたくない場合や出身地が意味のある場合など特殊なケース以外では、所属する組織名を姓の前につける。
著名な人であれば、ただ名前を何度か聞いたことがあるという程度であっても、姓(ときには氏名)を聞けばその人が誰なのかが分ってしまうことがある。そこでは、素性を知ってもらうために所属する組織を明らかにしなければならない通常ケースとは反対のことがおきる。個人として、少なくとも姓あるいは氏名が知られているため、その人が何なのかを示す組織(名)を必要としない。
一般の社会人-勤労者にとっての組織名は企業名(団体名)になる。企業名の付かない姓は、記号のようなもので相手に何の判断基準も提供しない。聞く相手にとって、真の理解か誤解か、たとえ偏見であったとしても、聞いた企業名がなんらかの“いい響き”を持っていれば、その企業名の後ろについてくる姓、その姓を語った人も“いい響き”で、いい素性の人と判断される。聞く人の個人の社会経験から、聞いたこともない、あるいは、“良くない響き”の企業名であれば、ただの記号に過ぎない氏名も“良くない響き”の企業名と一緒にされるか、記憶にも残らない。
企業名を先にしたビジネス上の人間関係では、個人としての能力や人柄、築きあげてきた信頼など人と人とのつながりの最も大事なものが、残念ながら個人としてのもの以上に、姓の前にある企業としての、あるいは企業があってはじめて姓が生きる類の脆いものであることが多い。正しくは、脆いものなのではなく、個人としての自覚に欠ける人たちが脆いものにしているのだが、変わることはないだろう。
転職すれば、姓の前につく企業名が変わる。ビジネス上の関係ででしかなければ、相手は姓=個人ではなく、自分の認識に基いて以前の企業名と新しい企業名の比較も含めて、転職先の企業とのビジネス上の関係からしか転職した人の価値を見ようとしない。転職した人の生き様まで含めた個人としてのあり方など相手にとってはどうでもいいことで、多くの人は、転職の良し悪しをより名の知れた企業への転職かどうかで判断する。
人としての成長や職業人としての能力の多くが企業という組織での業務を通して養成されるものだが、養成されたものは企業にではなく、個々の人に残る。それを持って不安もあるが、それ以上の自信と自負をもとに職業人として企業を移る。移ったとたんに姓の前にあるものが変わる。多くの人が自らの知識と能力で、姓の前にあるもので人を(誤)認識する。人でもモノでも、真の価値判断をする知識も能力もない人は、付いているブランド(企業名)ででしか人を評価できない。
その程度の人たちの評価を気にして生きてゆく気もさらさなないが、いいかげんに企業という代紋からしか人を評価できない、しようとしない社会から、お互いの人間性や社会認識、能力、志向など、もっと人としての根源的なあり方からの関わりあいの社会に近づけないか。
この近づけない現実の一つの現れとして興味深いものがある。街で偶然出会った人から自己紹介されて驚いたことがある。お見受けしたところかなりのご年配。引退されて何年も経っているだろう。それを自己紹介と呼んでいいものかどうか悩むが、退職された会社の名前がでてきて姓がない。現役時代にはご活躍されたのだろう。それを偲ばれるのは結構。確かにお名前をお聞きしても何の意味もない。かつてのことでしか自分が何かを伝えられない。それも何をしたというのではなく、所属した組織の名前でしか言えない。現役時代から今日まで所属する組織があってはじめて自分があるという生きかたをしてきたからなのだろう。
自分はいったい何なんだという自己に対する問い詰めをしてこなかった人たちの今日。誇れる過去があるから引きずるのだろうが、今日のあなたはいったい何なんですかという素朴な疑問がある。年金生活者でも、無職でも、一市井の人でもいいではないか。新聞や雑誌にブログ。。。氏名のあとに“元xxx”とある。会社があってはじめて存在し得る会社人を止めて立派な社会人になったのだし、もう“元“を止めて、今で語ったらいかがなものか。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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