荊州だより―気ままな写真日記(2)
- 2010年 12月 18日
- 評論・紹介・意見
- 土肥誠荊州
前回からだいぶ間が空いてしまったが、ようやく第二弾を書き上げた。お時間のある時にでもご高覧いただければ幸いである。
<長江大学で講義をする・つづき>
事務手続きも完了し、使用する教科書も受け取り、いよいよ初日の授業となった。ちなみに、私が担当する講義は「日語口語」という会話の授業と「日本語聴解」というLL教室で実施する聞き取りの授業である。3年生を担当してほしいということであった。3年生だと日本語の授業がある程度進んでいるため、日本語だけの授業でも格別問題ないとのことであった。
中国の大学は、午前8時が開始時間である。(早い!)基本は1コマ90分授業であるが、途中45分のところで5分間の休憩が入る。したがって、時間割上では95分授業となっている。授業と授業との休み時間は30分である。ずいぶんと余裕を持たせているものである。この1限と2限の間の30分間に、寝坊して学食での朝食をとりそびれた学生が、学内のテイクアウトショップで遅い朝食をかきこむ光景が日常茶飯事となっている。テイクアウトショップといっても屋台に毛の生えたような店なのだが…。そして2限が終わるのは11:40である。ここから昼休み。続く3限が始まるのは、なんと14:00からである。2時間20分、たっぷりと昼休みがある。この間、学生は学食や外の学生相手の飯屋に殺到する。教員は宿舎に帰って食事をとったり、外に食べに行ったりしているらしい。同僚の中国人の先生に聞いたところ、中国人は昼寝の習慣があるのだそうで、教員も学生も食事の後は昼寝をして14:00からの3限の授業に臨む人が多いのだそうである。ついでに言えば、3限は14:00~15:35、4限は16:05~17:40であるが、これで終わりと思ってはいけない。なんと、夕食後19:00~20:25が5限、夜の部は10分の休み時間があって、20:45~22:20までが6限である。朝8時から夜10時過ぎまで、なんともまあ、中国の学生はよく勉強するものである。もっとも、夜の部は選択科目が中心らしく、おそらく曜日によっては昼だけ、あるいは夜だけの授業という学生もいるのであろう。
話を戻そう。授業の初日である。初日はなにかと緊張するものである。さらに、教員は初日だからと言って学生は誰も新人扱いはしてくれない。異国の地で、初日から一人で教壇に立ち、自分で授業をしなくてはならないのである。しかも、学生の前で「私は中国の大学で教えることは初めてで…」などどいう言い訳は通用しない。いや、「初めてだ」と言うことは言うのだが、だからといって学生に解らない講義をしても良いということにはならないのである。そこで、初日の前日は徹夜に近い時間を使って講義の予習をした。
余談であるが、授業をする際、いわゆる「つかみ」の旨い人はいるものである。「つかみ」の旨い人はまさに職人技である。私が今でも「この人はつかみうまい」と思う先生がいる。昔話で恐縮であるが、浪人時代に代々木ゼミナールで現代文と古文を教わった椿本昌夫先生である。いや、この先生に関しては、「つかみ」という言葉で表現するのは適切ではないかもしれない。授業の時に派手なパフォーマンスをするわけでもなく、冗談を飛ばして教室を沸かせるわけでもない。ただなんというか、言葉でうまく表せないのだが、椿本先生の発する言葉の一つ一つが心に染み入ってくるというか、授業の初日から妙に印象に残る先生であった。細身の体を黒ずくめの服でつつみ、さっそうと教壇に立たれる姿は今も目に焼き付いている。私は椿本先生から勉強だけでなく、人生観から社会を見る目まで実に様々なことを教わった。今も私の中で強く印象に残っている先生の一人である。今でもお元気にされているであろうか。椿本先生は、たしか平田オリザ著『受験の国のオリザ』に「怪傑黒頭巾」の名で登場しているはずである。
<講義の初日に笑われる>
先ほどから話しが脱線しすぎているようである。心機一転、タイトルを変えて書き進める。
新学期は月曜から開始である。しかも、私が担当する5コマのうち、4コマが月曜に集中している。さらに、前に書いた通り1限は朝8時からである。「早いなぁ」と心の中で愚痴をこぼしつつ教室に入った。ざっと見ると、9割がたが女子学生である。
とりあえず「你好(ニーハオ)」と即席で覚えた挨拶をして、「我叫(ウォージャオ)土肥誠」(私は土肥誠です。)と言いながら黒板に自分の名前を書いた。
中国に旅立つ前、知り合いから蛇蔵&海野凪子著『日本人の知らない日本語』と『日本人の知らない日本語2』をプレゼントしてもらった。私はてっきりここに書いてあるような世界が展開されるのかと心して講義に臨んだ。しかしながら、日本語学校と中国の大学との違いもあろうし、同じ漢字圏という同質性もあろう。幸いにして、上の本で展開されているようなカオスの状態はなかった。
さて、自己紹介をして「我叫土肥誠」と書いたその時、私にとって予期せぬ出来事が起こった。学生が一斉に笑い出したのである。私は自己紹介をしただけで、まだなにも話をしていない。ましてや、自己紹介で笑いをとろうという意図はない。思い当たることとしては、私は字が下手である。もしかすると、私の字を見て笑ったのだろか?変だなぁと思いつつ初日の講義は終了した。
学生たちが笑った理由は、講義の後で判明した。それは私の姓にあったのである。中国では土肥という漢字は「トゥ・フェイ」と発音する。長江大学にいる日本人の先生によると、これは土匪(ならずもの)と同じ発音なのだそうで、それで学生が笑ったのであろうということであった。納得である。納得はしたものの、どうも釈然としない。そんなわけで、私は学生たちにはそのまま日本語で私の姓を呼ばせている。
<講義に遅れる>
前回、「とんでもないハプニングが私を襲う」という予告編で締めくくった手前、この話もしなくてはなるまい。中国では9月が新学期なのであるが、新歓期が終わってすぐ、9月下旬に中秋節で3日ほど休みとなり、10月初旬に国慶節でほぼ1週間休みになる。ところが、授業時間数の関係で休み明けの土日を使って振替授業というのが行われる。運悪く、私は金曜の1コマだけの振替授業を日曜にやるはめになってしまった。私の振替授業は、金曜の2限(10:05~11:40)1コマを日曜に移すというものであった。ところが、どうしたわけか私は、この振替授業は3限(14:00~)からだとばかり思い込んでいた。自分でもなぜそう思い込んでいたのかは、今でもわからない。しかし、事実私はそう思い込んでいたのであった。
振替授業の当日、私は少し遅めに起き、宿舎でメールチェックなどをしていた。そこに、10:05過ぎに学生から電話がかかってきた。「授業が始まっているのになぜ来ないのか」という電話であった。「え?授業は午後2時からでしょう?」と聞き返すと、「もう始まっている」という。おかしいな、スケジュールが急に変わったのか…等々と考えていてハッと気がついた。この日曜の授業は、金曜の振替である。すなわち、金曜の授業は2限(10:05~)である。ということは、振替の日曜も2限である。私は顔から血の気が引くのを感じながら、「すぐに行くから」と電話を切り、大急ぎで教室に向かった。かくして、この日の授業は、少し遅れて無事(?)に始まったのである。
思い込みとは怖いものである。上の振替も前日にスケジュールを確認すれば済んだことである。中秋節や国慶節の前は頻繁にスケジュールを確認し、頭に叩き込んでいたつもりだったのに、当日はすっかり間違ったスケジュールを正しいと思い込んでいる。12月に入ると中国ではそろそろ前期試験の準備が始まるので、スケジュール等にはとりわけ注意しなくてはならない。
<組建8周年>
長江大学は、荊州市にあった単科大学が合併し、総合大学として新たなスタートを切ってから、2010年でちょうど8周年になる。中国では8という数字は縁起が良い数字らしく、国慶節に長江大学組建8周年記念行事が盛大に行われた。私が赴任したばかりの10月初旬のことである。私は幸運にも、この8周年記念行事を見ることができたのである。
長江大学の本部は、東校区という城中区(文理学院)からバスで15分ほど行ったところである。運賃は均一1元(約13円)、ただし郊外へ行くバスは距離によって運賃が異なる。荊州のバスは運賃が安いのは良いのだが、いかんせんボロい(写真9)。何十年走っているのかと言いたくなるバスが平気で走っている。停留所で止まるたびにエンストするバスや、乗降口のドアが半分しか閉まらないバスなど、ツワモノがいまだ現役である。上海市や武漢市はエアコン付の最新型バス(ただし2元)ばかりなのに、荊州市のバスは非空調、というかエアコンの吹出口は設置されているものの、使われているところを見たことがない。車内の電気もつけないため、夜の車内は真っ暗である。ちなみに、荊州、というかおそらく中国の路線バスはつり銭が出ないので、乗車時に小銭の用意は絶対に必要である。
(写真9)ボロいバスの車内。よく見ると、ボディがゆがんでいるよう
に見えるが、さすがにこれは写真の錯覚である。この写真しかなく
て恐縮だが、古さはわかっていただけると思う。
おっと、バスなどの交通事情については稿を改めて書くとして、長江大学8周年記念式典である。中国の大学の記念式典など、日本人にはめったに見ることができない。これを逃すと一生見ることができないかもしれないと思い、早速行ってきた。
東校区、外語学院で教えている知り合いの日本人先生から、長江大学組建8周年の記念式典があるから行かないかと誘われた。当日、東校区に着くと、盛大に飾り物が設置されている(写真10)。会場はキャンパス内にあるグラウンドのようで、会場内には「組建8周年」と書かれた大きな看板があり、大学関係者や学生が大勢集まっている(写真11)(写真12)。実は、中国の教員はめったにスーツを着ない。日本の大学だと、スーツを着て講義をしてください、と言われるが中国ではスーツを着て講義をする教員のほうが少数派である。少なくとも長江大学ではそうである。私は今までスーツを着て講義をする教員を見たことがない。私もスーツは着ない。ところが、この日ばかりはスーツ着用の教職員が多いのにびっくりした。私はジーンズで参加した。
長江大学は、石油学院が一番有名かつ歴史が古いそうである。この日は長江大学組建8周年とともに、石油学院の教育60周年を祝う行事でもあった。
(写真11)「長江大学組建8周年慶祝大会」の看板。前にいる人と比べると、その大きさが解る。
この日の式典は、大学関係者の他に大勢の学生の参加者があった。学院ごとに色違いのポロシャツを着て座っている。写真ではあまりよく見えないが、会場内は赤旗が乱立しており、式典というよりはメーデーの会場を思わせる。中国では赤は縁起の良い色とされており、それでめでたい時には赤い色で飾るらしい。式典自体はお決まりの来賓あいさつがあり、合唱等の若干の出し物があって終わりであった。午後から大学の講堂でも式典をやるということであったが、急に行って会場に入れるかどうかも分からなかったので、午後の見学はやめて同僚の日本人の先生と大学院生で昼飯を食いに行った。
式典の途中、何人かの外語学院日本語専攻の学生に会った。日本語専攻の学生たちは、日本語で会話をしたいという思いが強いらしく、よく日本人教員に話しかけてくる(写真13)。こちらは基本的にウェルカムであるので、話しかけてくる分にはできる限り会話に応じることにしている。この日も多くの学生が話しかけてきてくれ、楽しいひと時を過ごすことができた。式典の日に限らず、学生たちと話をしてみると、日本語専攻の学生だからであろうか、日本に留学したい、日本で仕事をしてみたいという学生が多い。中国の日系企業に入りたいという学生もいる。また、日本の文化に興味を持っている学生も多いし、日本のアニメやアイドルのこともよく知っている。できれば日本に行ってみたいという学生が多いのであるが、日本と中国とでは物価水準や為替レート等々の違いから、自らの希望をやむなくあきらめざるを得ない学生がきわめて多い。あくまでも私が聞いた範囲での話であるが、中国の学生にとって、日本はそうおいそれと行ける国ではないようである。学生たちの話を聞くにつけ、何とかしてあげたいとは思うのだが、いかんせん私個人の力など無きに等しい。
日本にいると中国からは実に多くの留学生が来ているなぁと思うのであるが、中国にいると日本に留学できる学生は、まだほんの一部であることがわかる。中国の学生が日本で勉強し、生活するのは、我々が思う以上に大変なようである。日中間での学生の交流をいかに推進すべきか…今の私に妙案はない。
(写真13)長江大学の学生と。左から2番目が筆者。日本人の同僚の先生に撮影してもらった。
中国に来て約4か月、生活にも徐々に慣れ、私はなんとか中国で生活している。次回は上海に行った話を書く予定である。
(つづく)
*写真は、すべて筆者の撮影である。素人ゆえ、写真撮影が下手なのはご了承願いたい。
【なお、(写真13)は、同僚の先生による撮影である。】
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〔opinion256:101218〕
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