テント日誌5月1日…鯉のぼりというには小さいが/憲法集会に出かけよう
- 2015年 5月 3日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1329日商業用原発停止593日
高く昇や鯉のぼりというには小さいが…
このところ初夏を思わせる暑い天気が続いている。
国会通りのつつじが満開で美しい。
テントには可愛らしい鯉のぼりが泳いでいた。
昨夜乱さんが取り付けてくれたそうだ。
Tシャツプロジェクト企画の281さんデザインTシャツが出来上がり販売を始めた。早速買って着てみた。
値段はカンパの意味も含めての設定で高めだが、日本製の生地で着心地が良い。
脱原発の思いをこめて皆に着て欲しいと思う。
6時過ぎたんぽぽ舎の人たちがテント前に集合
柳田さんがマイクを握り、関電前抗議の報告、今後の予定などを話した。
5月3日の横浜憲法集会ではテントや再稼働阻止ネットなどと一緒にブースを借りた。
13日には九電・東電前行動がある。
東電前行動は20回目、あんな大きな事故を起こしながら東電は誰も罰を受けていない。それが九電や関電をつけあがらせているのだから東電抗議は大事。
そして最後に経産省前にあるテントの役割の大切さを訴え、テントを守ろうと
言って下さった。
金曜日はたくさんの人が寄ってくれるので心強い思いだ。(I・K)
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明日は憲法集会に出かけよう 場所もいいようで…
明日の憲法集会にはテントのブースもあります。多く参加してもらいたいのですが、そうなるとテント手薄になりがちです。横浜まではいけないという人、テントの方にという人、よろしくお願いします。
5月3日の憲法記念日は、従来の幾つかの団体による集会ではなく、以下のような総がかり集会が開催されます。安倍の米国議会演説に怒っている皆さん、5,6,7,8月の戦後の総決算を狙う安倍に一撃を加えたいと思っている皆さん、
是非ご参加ください。
平和といのちと人権を!5・3憲法集会~戦争・原発・貧困・差別を許さない~
<http://www.anti-war.info/schedule/1503231/>
[ 2015年5月3日; 12:30 PM to 3:30 PM. ]
日時:5月3日(日)12時30分〜15時30分 ※開始時間が早まりました
場所:横浜みなとみらい・臨港パーク
内容:
プレコンサート 12時30分~
大島花子(歌)/岡大介(カンカラ三線・唄)/ハルノトモ(和太鼓)
メインステージ 13時30分~15時30分
お話:大江健三郎/樋口陽一/雨宮処凛・落合恵子・香山リカ・澤地久枝/沖縄からの発言
リレートーク:戦争・原発・貧困・差別をめぐって
政党からの発言
クロージング・ライブ 15時30分~
クミコ(歌)/こぐれみわぞう(ロックチンドン)
5月3日(祝) 再稼働阻止全国ネットワーク第二回総会
憲法集会終了後 かながわ労働プラザ4F(石川町駅北口
5月4日の森話し会の概要 テントのイベント 面白そうです
17時から 第二テントにて
4日は「カミ」って何?「神社」って何?
と題して、神社と、神社に祭られている神の変化を古代から近現代まで、見渡してみます。 ざっくりいうと、野性が環境/自然に、自然が政治に、さらに資本に比重を移していった経緯です。 奈良の春日大社をサンプルに解説します。
御用とお急ぎでない方は、どうぞご参会くださいませ。
iPhoneから送信
森瑞枝morimizue
2015/04/28 23:35、Hashimoto Yuki <dai_2_tent@freeml.com
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メールを紹介します ある感想です
暑いですね。テントの方お疲れさまです。
ドローン事件の論評の方、芳しくない思いで見たり聞いたりしています。福島の、私の場合いわきですが、地元のドローンの反応で一番多いのは「これで福島に対する風評がまたひどいものになる」というものだったように思われます。「原発に反対という気持ちは理解出来る」というものもありますが。県北だとまた違うのでしょうか。
今回、改まってMさんにこうしてメールしているのは、どうも違うという思いが、ここに来て「やはり違う」という、少しばかりたまっているものを感じた次第で、少し聞いてもらおうと思ったわけです。
震災後、私はすぐにいわきに入りましたが、そこで驚いたのが、同じ瓦礫処理現場に居合わせた高校生たちの「放射能に負けてたまるか」という言葉でした。東電憎し、原発許すまじという声はもちろんありました。それは今よりはるかにすごく高らかだった。しかし、この「放射能に負けてたまるか」は「おれ達は放射能を怖いと言っていたらお終いなんだ」と自分に言い聞かせている言葉だったことは間違いない。夏になって中通り地区の線量が高いと明らかになるなか、私たちボランティア要員が町中で線量を計っていると、「何をしている!」と怒ったのは職員や役人ではない、町の住民だった。
原発告訴団の副団長をつとめる佐藤さんは、「国は福島に住民を戻したがっている。みんなが帰りたがっているなんて、オマエは何を言っている」と、私が受け続けた印象を話すと、怒りをぶつけていました。でも、私はやっぱり帰りたいという人々の気持ちをこの四年間感じてきました。即刻避難の支持を出して、あんなに住民から圧倒的な支持をされていた井戸川町長は、結局、住民の望郷の思いに見放されたように見えました。選挙に出馬したけれど、というようにしか見えなかった。あの出馬をめぐるドタバタを、一体どんな事情がかばえるのかと私は思いました。
今、再稼働を願う川内や高浜の地元の人たちの「原発がねえと困る」という声って、私は高度成長前に出てきた集団就職の人たちや、大学に行けばという気持ちで大学を目指した(目指させられた)私たちの姿に重ねてしまいます。そう言えば、未だに大学闘争は「東大・日大闘争を頂点とした」と言われる。これらはみんな、自分達だけが損をしているのではないか、遅れてはならないという連続した出来事が連なっていると思えて仕方がない。
じゃあオマエは、原発を容認するのかという声が聞こえて来そうで、ホントにいやです。そんな「イエスかノーか」の踏み絵的情況なのだと、顔の前で手を振ってしまいそうです。福井地裁判決が出た時、あんなに嬉しかったことはない。テントの強制撤去が禁じられた時もそうだった。当たり前ですよ。でも、そういう貧困な思想状況が、原発をめぐっても露出しているのですね。
どうして再稼働反対が、世論調査で6割あたりをうろうろしているのか、それは調査方法がインチキだからだという。そんな甘いものではない。少なくとも私たちが選び、歩んできた半世紀の歴史を「我がこととして」検証出来ないのなら、世間様、あるいは民衆からは相手にされない。私たちは「火から目を離しても大丈夫」な生活(炊飯器やガス台など)、「蛇口をひねれば水が出てくる」生活を選んだ。それは肯定されていい事柄だった。突然、原発が出てきたのではない。
おそらく私たちは、吉本さんが言ったことをまだまだ検証出来ていない。『反核異論』のことではなく、「おれの店を壊しやがってどうする気だ」とデモに食ってかかる店主の方に革命はあるのだと、レーニンは国家論で言っていると言った吉本さんの水準まで、まだまだの道のりなのだと思っている昨今です。
まとまりませんが、またいずれ。お身体大切に。(K)
これはいわき市に在住の友人からのメールです。僕のところには多くのメールがきます。これは僕が勝手に公開させてもらったのですが、僕がテントで交流を目指す人々の一端が触れられているようで、ともに考えたいことだと思いました。Kさんまた、テントにお寄りください。(M)
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