青山森人の東チモールだより 第301号(2015年5月24日)
- 2015年 5月 25日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
大統領の演説におもう
素手とビーチサンダルでは良い工事は望めない
5月18日から立ち込めてきた雲が19日にはベコラ地区に蒸し暑さを呼び込み、山岳地方で雨が降ったとききます。「独立回復」記念日の5月20日、首都は日中は晴れでしたが夜7時ごろ雨が降りました。ここベコラで小降りでした。しかしビラベルデでは大雨だった、雨が家の中に入ったと、以前わたしの下宿していた家の女の子(9歳)がいっていました。雨が降ると翌21日からまた、いつまでも寝ていたい気持ちよい朝を迎えるようになり、この週末は油断すると風邪を引いてしまう肌寒い朝がもどってきました。そうこうしているうちにまた南部の山岳部から雲が立ち込めてきました。5月中にもう1回ぐらいこの繰り返しが続くことでしょう。
さて首都デリ(ディリ、Dili)の大通りと中規模の道路は整備されてきました。ベコラから首都中心地へつながる道(〔報道の自由通り〕と名づけられている)は路肩と側溝のあんばいが改善され、道幅がかなり広くなり車は走りやすくなりました。残念なのは沿道にゴミが相変わらず不衛生で無作法なかたちで棄てられていることです。首相や大統領がゴミの投棄にかんしてときどき怒りの注意喚起をすると、一瞬、ゴミが減り町はきれいになるのですが、お偉いさんたちの“喝”の効き目は長続きしません。
山積みにされたゴミが沿道に点在・散在しているので、整備された道路を見てもこの国の発展をあまり感じることはできません。むしろ道路の整備は、あちらこちらで見られるようになったお金持ちの3~5階建ての家やビルの延長線上にあるようにおもえてきて、貧富の格差を感じてしまいます。
その道路工事ですが、ベコラのわたしの滞在する家のすぐ前でもおこなわれています。大通りの整備がだいたい終わったので、横丁界隈の小径の整備もはじまったのです。近所の若者も工事に参加しています。わたしの滞在する家の家族の者もいます。工事会社に雇われているのだそうです。その会社は東チモールの会社か外国の会社かときくと、東チモール人のだ、中国人のだ、と二通りの回答が返ってきます。結局、中国系東チモール人の経営する会社であるようです。小径であっても大通りであっても、かれら東チモール人労働者の作業格好は悲惨です。普段着(Tシャツにジーパンか半ズボン)のまま、素手のまま、そして一番気なるのが足元、ビーチサンダルのままという有様です。ヘルメット(安全帽)は望むべくもありません。
去年、タウル=マタン=ルアク大統領が作業服を着て、安全帽・ゴーグルそして手袋を装着するモデルとなり、労働者の身の安全を守る格好で仕事をさせるよう企業に勧告する大看板が立てられましたが、いまのところ宣伝効果がないとみえます。公共工事が増える一方で労働者を守る法整備も必要です。
写真1
裏通りの工事には会社に雇われた近所の若者たちが汗を流しているが、着の身着のままの格好での工事は安全性に問題がある。写真奥に見える人たちは作業中。
2015年5月15日、ベコラにて。ⒸAoyama Morito
現状を反映する大統領の演説
5月20日、ボボナロ地方の主都マリアナでおこなわれた大統領府主催の「独立回復」13周年記念式典をテレビで観ました(前号の「東チモールだより」で政府主催と書きましたが、正しくは大統領府主催)。およそ9時から11時までの2時間、式典形式はほぼ定着しています。国旗掲揚→勲章の授与→大統領の演説→国軍兵士やもろもろの人たちの行進、という流れです。今年のその「もろもろの人たち」とは各地方の学生がまるで軍か警察の幹部候補生のように白い制服に身をキッチリつつんで、行進の練習の成果を見せていました。なお、1970年代の指導者たち、シャナナ=グズマン・マリ=アルカテリ・ジョゼ=ラモス=オルタたちは姿を見せませんでした(世代交代が視覚的に実行されていて面白い)。
「独立回復」式典で発言する人物はただ一人、大統領だけです。出席したルイ=マリア=デ=アラウジョ首相をはじめとする政府要人や軍の司令官も控訴裁判長も発言しません。「独立回復」式典での大統領の発言は東チモールの現状を反映する言葉が集約されているものとして注目に値します。この日の演説は10時20分から11時ごろまでの約40分でした。
今年の大統領の演説をきいて、趣旨・論点が定まっていないという印象を真っ先にうけました。おやっ、タウル大統領は国際社会や国民にこれだけは言っておきたいというあふれでる想いがないのだろうか? 国際社会・政府・国民にたいする訴えを物腰柔らかに、しかもいかに説得力ある言い方でできるかその表現能力の見せ所なはずなのに、発展・安定・確立・貢献・協力……などなど、ありきたりな用語の平凡な用法が演説を占めていました。ひとことひとこと言葉に力があったかつてのゲリラ司令官の面影がありませんでした。さすがに3年間も大統領をやっていると周囲の環境に埋没してしまうのかなとも思いましたが、たぶんそうではないでしょう。おそらくこのこと自体が東チモールの現状を反映しているのです。国家が集中して取り組むべき主題あるいは明確な目標を設定し国の内外に提示する必要のない、または提示することに意義を見出せない状況に東チモールはあるのです。
なるほどたしかに大統領はいろいろなことをいいました。東チモールにとってキリスト教とポルトガル語を話す国々の共同体は重要であること、東チモールはアジアの国としてASEAN加盟を希望していること、好むと好まざるにかかわらず東チモールの隣国とはインドネシアとオーストラリアの二ヶ国であり、これら二ヶ国と東チモールは友好協力関係を促進していくことを主張しました。しかし発展・安定・確立・貢献・協力……という用語を並べながらの凡庸な主張でした。このあと勲章を授与された外国人35名(日本人女性一人を含む)の一部の人の名前をあげて東チモールの解放闘争に貢献した人物・団体を称賛します。聴衆にむかって大統領は「みなさん、この人たちのことを決して忘れてはなりませんよ」という。これもありきたりな内容です。
それでも演説の後半になるとエンジンがかかってきた口調に変わってきました。「この4~5年で、全国民75%に電気が通った。25%の国民はまだだ。あと3~4年、懸命に努力して全国民に電気を通すことができるだろう」。「あと2~3年待てば、道路が整備されて物流が活発になるだろう」。このように東チモールの一般庶民が気になる基盤整備について話が及んだとおもったら、発展・貢献・確立…という用語でオチをつけ、具体的な話に突っ込むことはしませんでした。「行政の質の向上」と「官僚主義の弊害の低減」と口にしますが、やはり口にしただけで具体的な言及はありませんでした。
「わたしは大統領就任以来この3年間で332の村落(全442―青山)をまわった。多くの村落、多くの問題だ」。どのような村落にどのような問題があるのか、それにたいする大統領の分析は?しかし大統領は、「貧困との闘いに力を出し、発展のために努力しなければならない」と述べるにとどまり、またしても平凡な言い回しでオチをつけました。まるで具体性を欠くことが今回の演説のテーマであるかのようです。
大統領も悩んでいるのだろうか
演説の締めくくりの内容もあまりにも具体性を欠くという意味において、逆に興味深いものがありました。
「みんなが家族のことを心配していることだろう。しかし自分たちのことだけではなく、みんなの全体のことを配慮することを忘れてはならない」といい、みんなが協力すればこの国の生活をよくできるという意味のことをいい、「みなさんに神のご加護を」で演説が終わりました。
この中途半端さは何だろう。とくに最後のくだりだ。演説の流れとしは、自分のこと・自分たちのことだけでなく全体のことにも目を向けようといえばいいのに、「家族」という用語が突拍子もなく登場してきたように思えます。演説全体の色調からいっても、あるいは東チモール人の作文の傾向からしても、家族という用語が登場するからには「社会」とか「共同体」とか「国家の最小単位」という用語を添えるのが自然の流れなのですが、突如「家族」が登場し、「心配する」という用語を添えています。もしかして、実はいまの東チモール問題を象徴する言葉は「家族」だという大統領自身の潜在意識の表れではないでしょうか。考えてみれば、大統領の長女も10代半ばの難しい年頃を迎えています。「家族のことを心配する」、つまり「家族の悩みを抱えている」東チモール人の一人として、大統領は自分に言い聞かせるように国のためにみんなのことに目を向けることを忘れてはならないといって演説を締めくくった……といえばそれこそ陳腐な分析でしょうが、タウルお父さんは娘とうまくいっているのかなとふっと思ったりしました。
大統領の演説全体の内容は平凡であっても真っ当であり決して間違ってはいません。しかし国民の大半が若者である人口構成を考えると、大半の東チモール人の耳には届きにくい内容といわざるをえません。大勢の若者たちは、侵略軍との戦いに明け暮れた親たちのように夢中になれることがあるでしょうか。平和だからこそ子どもたちが抱えてしまういいようのない悩みを大人たちは理解できているでしょうか。恵まれた環境に生まれてきたのに子どもは勉強しないでブラブラしていると親たちは悩んでいることでしょう。“スマホ”に食いつくように時間をつぶす東チモールの都市部の若者らの姿は日本と似たようなものです。インターネットから有害な画像・情報が見放題であることを親たちは理解しているでしょうか。
家族の悩み、親の悩み、子どもの悩み、恋愛問題、性の問題、自死の問題……などなど、家族・個人をめぐる諸問題が実は東チモールが取り組むべき課題なのではないか、趣旨・論点のぼやける大統領の演説を聴いて思ったしだいです。
ともかく東チモールは新世代の新しい問題に直面し、侵略軍と戦ったかつての自由の戦士たちはむんずと胸ぐらをつかむことのできない新手の“敵”に苦戦していることは確かです。
「独立回復」の記念日。首都の海岸沿いにある「レシデレ広場」に大勢の人びとが祝日のひとときをおもいおもいにすごしている。芝生に座っている人たちを見ると弘前公園の花見の光景を思い出す。しかし車座になっている人たちの膝もとには食べ物や飲み物はほとんどなく何も口にしていない。まわりで食料品は売られている。庶民の購買力はまだまだ低いままだ。首都、「レシデレ広場」にて。2015年5月20日。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
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