書評 戦前の「非合法」性
- 2015年 6月 11日
- カルチャー
- 宮内広利書評
仲正昌樹は、『日本とドイツの二つの戦後思想』という本の中で、第二次世界大戦に対する責任のとり方に言及して、ホロコーストなど大悪事を犯し、周りの国々から徹底的にその責任を追及されたため、戦後、ことの善悪を深くわきまえて、内面にまでとどいた反省の態度を示している大犯罪者のドイツと、中途半端な悪事をはたらいたから、中途半端な責められ方しかされなかったため、曖昧なままの戦争責任論にとどまってしまったわが国の比較をしている。つまり、同じ非行にはちがいないが、「人道に対する」罪まで問われなければならなかった「非合法」なドイツの戦争犯罪との比較で、わが国は戦争責任の所在が明らかでないといわれているのだ。これには、もちろん、戦後、国家が東西に分断され、冷戦構造の危うい均衡の上に挟まれたドイツの現実政治の背景が発言の根拠になっている。そのせいもあって仲正は、戦争責任論が提起された時点の状況の中で、政治的国家の立位置が戦前の国家に連続しているかどうかを改めて問い直している。
その前提を認めた上で、戦前、戦後をつうじて、より鮮明な近代国家であったかどうかに倫理的な尺度があてがわれており、戦争責任論が提出された時期の思想のスタンスのちがいをのぞけば、ほとんど、丸山眞男などの近代主義的な見方の延長にある論議をしていることになる。いいかえれば、仲正は、天皇の処遇や戦争責任を謝罪する主体の不明確さが、ナチスを根絶やしにしたドイツとはちがうとして、大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性の矛盾点をついて、政治的・法的問題があたかも、善悪の根拠に包められるような言い方をしているのだ。
しかし、そういう政治的・法的な中途半端性、曖昧さこそ、わが国の戦前と戦後の連続性の非連続性、非連続性の連続性を象徴しており、逆に、ホロコーストのドイツとは異なり、わが国の戦争の方が「非合法」性であった根拠になるとおもえる。つまり、わたしは、丸山や仲正の見方とちがって、大衆のナショナリズムが資本主義に対する「非合法」性として突出した点にこそ、わが国の戦争の問題が集約してあらわれているとかんがえる。わたしたちの一般的なナショナリズム理解では、日中戦争からやがて太平洋戦争に突き進んでいく15年間の過程は、歴史事実を検証しても何もみえてこない印象をもってしまうからだ。つまり、支配の側にいたはずの個々の政治家、軍人、そして、もしかしたら天皇でさえ、ほとんど、何ものかに誘導され自然の嵐がとおりすぎるのを見守っているような感じがあり、普遍性、特殊性を問わず、近代国家の中心を外れた位置にナショナリズムの核心があるようにみえるのだ。
したがって、大澤真幸のようなナショナリズムの変遷を資本主義の歩みとともにセットで点綴し、「天皇の国民」の明治期、無風状態の大正期、「国民の天皇」であった昭和というアウトラインを引いた縦割りの近代史の概念ともすれちがってしまう。彼が指摘した1930年代のファシズム台頭期にあらわれた「近代の超克」論議に含まれている資本主義の超越化も仲正とほぼ同じ視角においてとらえられているが、近代国家を支える資本主義自体が帝国主義的にウルトラ化していったというのは、その天皇制ファシズムの影の側面をきわだたせたものにすぎない。それらの核心を外した齟齬をときほぐしていかない限り、ドイツの目鼻立ちがくっきりした戦争責任論に照らされると、わが国は、およそ、近代と半近代の距離で埋められる程度の対立図式に流されてしまうことになる。
おそらく、戦前の思考は、表向き立憲君主制に傾いた天皇制の表看板があり、あくまで、その表面から大衆に向けて攪拌するように本体が隠されていた。そのような表裏が合わせ鏡のようになった戦前のファシズムの本質は、立憲君主制から象徴天皇制に憲法上の政体が交替したからといって、公式の歴史観ではうかがい知れないような反目の構造をもっていたにちがいない。戦前・戦中からの知識人が、転向体験や戦争体験を公に語りたがらず、ある面、戦争責任が次第に闇に葬られ、自然の成り行きのように風化していったのにも理由があった。ほんとうなら、死ぬのが当たり前と覚悟して、あるいは、同意する間もなく家族に見送られて出征し、黙々と軍務に従い、生きて帰ったのが奇跡でもあったみずからの体験を赤裸々に語ればよかったのに、米軍の占領とともにだれもがなし崩しに民主主義者に転向して、みえない国家の幻想に責任をなすりつけ、口を噤んでしまった。
そうして、一度は加担した理想と苦すぎる生死の体験との落差は、人々の心に沈み、曇りガラスをはさんで遠近感をなくしてしか語ることができないものになってしまった。やがて、半世紀をへて後遺症がようやく癒え、ポスト・モダンの思想状況になってからはじめて、子供や孫たちの口を借りて、そもそもの戦争体験と向き合って反芻することになった。だが、それに呼応して浮かび上がったのは、戦前の資本主義の危機感と、現在、わたしたちがおちいっている資本主義のどんづまり感の二重写しの姿に、天皇制が引き寄せられるように上重ねされたナショナリズムの姿である。そこには現在の位置からは、戦前の資本主義よりも遥かに遠い封建的遺制の含みがあった。しかし、かつてのナショナリズムがウルトラ化されるためには、その逆の契機も必要であって、封建的遺制の側に引き寄せられた近代資本主義のあり方こそ着目されなければならないのである。
ずっと以前、吉本隆明は、封建的遺制と明るい近代が同居する大衆のナショナリズムのありかを指して、その二重構造こそがわが近代に課せられた宿命として、文学批評の基準においていたときがあった。それは戦前の共産主義者の転向と年長の文学者の戦争責任を読み解くための必須のキーワードであった。親しさと残酷さ、大衆と知識人、共同性と孤独、鎖国と開国、これら一見、二項対立にみえるものの不思議な同居が、ひとりひとりの人間の内面劇を屈折させ、やがて近代史のうねりの中で、雪崩を打って戦争に突入していく背景をなした。吉本はこうしたわが国の近代の二重性の屈折を総体のビジョンとしてとらえそこねたことに知識人の敗北の原因をみつけた。彼は、多くの知識人がマルクス主義、モダニズムの理念をおしたてながら、その反面、それと自らの内面の封建的意識を主体的につきあわせることなく、表向きの理念が大衆からの孤立感に襲われたとき、いかに脆く崩れ落ちるかということを転向論において立証した。
それは大衆のナショナリズムにおいても同じで、土俗の意識が上昇する知識としての近代的意識に触発されたとき、自らの足元を掬われ、そのナショナリズムは知らぬ間に、ウルトラナショナリズムとして侵略戦争に迎合していった。それからいえば、大衆のナショナリズムは近代資本主義からの侵食をぬきにして、ウルトラナショナリズムとして発現することはなかったことになる。こういう考え方は、一見、大澤の資本主義と天皇制の相補性の観点と似ているようにみえるが、大澤の場合は、現在のポスト・モダンにも通じる資本主義の類似性にウェイトをおき、あくまで資本主義の通時性を前提にして天皇制の問題を取り上げている。だが、吉本にとっては、戦前の政体が立憲君主制とは名ばかりで、実際は、アジア的専制国家とみなし、その負の遺制が資本主義と接触する途中で、近代的武器を引き寄せ、軍拡路線をたどったという見方をとっていることだ。
そのため、吉本は、近代資本主義に招き寄せられた大衆のナショナリズムを「社会ファシズム」と呼び、反対に、大衆のナショナリズムが近代資本主義を招き寄せた場合を「農本ファシズム」と呼んで区別している。大澤がポスト・モダニズム後の予感に警鐘を鳴らしたもの、また、仲正が戦争責任の厳格さをみぬいたドイツのファシズムとは、この社会ファシズムにあたっている。社会ファシズムが資本の高度化による産業・軍事複合体制の再編成を意味したとすれば、農本ファシズムは、戦前の圧倒的多数の農民層を背景に、資本の収奪によって疲弊した農村の暗い涙やため息となって、ナショナリズムの核を形づくった。吉本はこの農本ファシズムにせき止められたナショナリズムが、大衆意識の吸引力を増し、泡立ち増幅しながら侵略戦争に駆り立てていったとしている。それだけではなく、わたしはより積極的な意味で、もともと、この農本ファシズムこそ、当時の支配層によって「非合法」の烙印を押されたものとかんがえる。
実際に、明治維新以降、革命思想として大衆の心情をゆさぶり、代弁していたとおもえたのは、『日本改造法案大綱』の北一輝をおいてほかにない。北の洞察が優れていたのは、資本制によって追いつめられた故郷の農村の崩壊を背負って、その受け身でしかない土俗のエネルギーから、天皇制を逆手にとって革命の積極性に換え、一瞬ではあったけれど、資本制の廃絶の夢を紡いだことだ。もちろん、このエネルギーは大衆意識の根幹で上げ底化され、やがて、資本制のより一層の浸透を前に抵抗のバネを失い、核を失った日本的自然思想の当然の運命であるかのように、敗戦による農地改革で息の根をとめられることになる。しかし、国家の戦争権力をも超える戦争エネルギーは、まちがいなくこの農本ファシズムの力にあずかっていた。
農本ファシズムの吸引力に比べれば、社会ファシズムを支えたのはブルジョアジー、政治的支配層の一部に限られており、支配権力にとって組しやすかった。社会ファシズムは資本制の仇敵ではなく、資本制的権力の補完勢力でしかなかったから、その基盤は戦後もしばらく持続して、旧左翼の政治的最低綱領として、社会主義ブロックの裏支えを演じ続けてきたが、戦後の大衆ナショナリズムの先端は、このような進歩的なポーズには決して触れることはなかった。
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