「美しく」はなりたくない ―百田尚樹氏らの報道圧力発言について
- 2015年 7月 17日
- 評論・紹介・意見
- 宮里政充沖縄
ことのおこり
いま私が腰かけている周りには、沖縄タイムスと琉球新報が積み上げられている。
まず、6月26日(金)付けの両紙に目を通してみる。沖縄タイムスは1面トップに「普天間居住商売目当て」「自民改憲派議員ら会合・百田氏が発言」「沖縄二紙つぶさないと」などの見出しが踊っており、社会面には「著名作家史実にふた」「百田氏発言・宜野湾市民怒り」「野党『政権の危なさ痛感』」の見出しで関連記事を載せている。一方琉球新報はこの段階では社会面で「沖縄2紙つぶさないと」「自民改憲勉強会・百田氏が主張」の見出し記事だけである。ところが、これが26日以降になると、両紙とも連日百田発言と権力の報道圧力に対する批判記事が1面トップだけでなく、総合面や社会面を埋め尽くすようになり、6月27日(土)、両新聞社は共同抗議声明を出した。少々長くなるが、その全文を紹介する。
百田尚樹氏の「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという〝言論弾圧〟の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。
百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。
さらに「(米軍普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」とも述べた。戦前の宜野湾村役場は現在の滑走路近くにあり、琉球王国以来、地域の中心地だった。沖縄の基地問題をめぐる最たる誤解が自民党内で振りまかれたことは重大だ。その訂正も求めたい。
戦後、沖縄の新聞は戦争に荷担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような報道は二度としないという考えが、報道姿勢のベースにある。
政府に批判的な報道は、権力監視の役割を担うメディアにとって当然であり、批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。にもかかわらず、批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険であり、沖縄の2つの新聞に限らず、いずれ全国のマスコミに向けられる恐れのある危険きわまりないものだと思う。琉球新報・沖縄タイムスは、今後も言論の自由、表現の自由を弾圧するかのような動きには断固として反対する。
琉球新報編集局長 潮平芳和
沖縄タイムス編集局長 武富和彦
自民党若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」(安倍首相の応援隊であるらしい)は6月25日、百田尚樹氏を講師に招いて自民党本部で行われた。まず、報道陣に公開された冒頭部分で百田氏は「マスコミの皆さんに言いたい。公正な報道は当たり前だが、日本の国をいかによくするかという気持ちを持ってほしい。反日とか売国とか、日本をおとしめる目的で書いているとしか思えない記事が多い」とマスコミを批判した。勉強会はその後非公開になったが、発言者がマイクを使用していたため、声は外に漏れていたという。
いま、非公開にした講演と質疑応答の内容について東京新聞(6月27日、1面)と朝日新聞(6月27日、2面)をつなぎ合わせるとおよそ次のようになろう。
講演の部分。「政治家は国民に対するアピールが下手だ。難しい法解釈は通じない。気持ちにいかに訴えるかが大事だ。集団的自衛権は一般国民には分からない。自国の兵力では立ち向かえないから、集団的自衛権は必要だ。侵略戦争はしないということで改憲すべきだ。攻められた場合は絶対に守るということを書けばいい」。
質疑応答の部分。議員の方から報道規制を正当化する発言が相次いだ。まず、大西英男衆院議員(東京16区)は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。われわれ政治家、まして安倍首相は言えないことだ。日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけてほしい」。続けて井上貴博衆院議員(福岡1区)が「福岡の青年会議所理事長の時、委員会をつくってマスコミをたたいた。日本全体でやらないといけないことだが、テレビのスポンサーにならないのが一番応えることが分かった」と発言。それに対して百田氏は「新聞よりテレビだ。5つの民放が、自由競争なしに地上波という既得権益を手放さない。自由競争にすれば、テレビ局の状況はかなり変わる。ここを総務省にしっかりやってほしい」と応じた。その後、長尾敬衆院議員(比例近畿ブロック)が、沖縄タイムスと琉球新報を名指して「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている。何とか知恵をいただきたい」と申し出た。すると百田氏はこれに応えて「沖縄の2つの新聞社は絶対つぶさなあかん」と述べると、会場は笑いでざわめいた。百田氏はさらに続けて「沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば、目を覚ますはずだが、どうしようもない。(沖縄の基地負担問題は)根が深い。苦労も理解できる。左翼は沖縄に基地があるから、米兵が沖縄の女の子を強姦すると批判するが、データ的にいうとひどいウソだ。米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」とつけ加え、最後に「政治家は言葉が大事。『負』の部分はネグったら(無視すれば)いい。いかに心に届くかだ」と締めくくると、会場からは大きな拍手が起きた。
沖縄県議会で釈明を
私はこのリベラル21で、その氏名は明らかにしていないが、百田尚樹氏について2度触れている(「4 やっぱり犀だ!」(2014.03.12)、「9 憎しみと報復の連鎖を食い止めよう」(2015.02.08)。彼は2013年10月にNHK経営委員に指名されており、その2か月後、『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』という本を安倍首相と共著で出版している。ただその彼は経営委員の任期中、東京都知事選で田母神俊雄氏を応援し、演説の中で「南京大虐殺はなかった」「対立候補たちは人間のクズみたいなもの」などの暴言を吐いたが、「放送が公正、不偏不党な立場に立って、国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資することを自覚する」という「服務に関する準則」に反するのではないかと批判されると、「不偏不党は放送に関してのみ。個人の思想信条は認められて当然」と自身のツイッターで反論した。また、土井たか子氏の訃報に接して「まさしく売国奴だった」とツイートした(2014.09.28)こともある。
彼は任期満了で退任したが、安倍政権との関わりは続いていたものとみえる。今度の自民党本部での発言が批判にさらされると、彼は26日、短文投稿サイト・ツイッターで「沖縄の2つの新聞はつぶれたらいいのに、という発言は講演で言ったものではない。講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったものだ」と言い訳した。また同日、共同通信の電話取材に応じて「オフレコに近い発言で、冗談として言った」と説明している。沖縄タイムスと琉球新報については、関西に住んでいるのでほとんど読んでいないが、インターネット上の論評から歴史認識などについて「偏向している」と感じたと答えた。そして今度の発言は「クローズな場での私人としての発言だ」という姿勢を崩さなかった。その姿勢は28日、泉大津青年会議所主催の講演会でさらに明らかになる。彼は沖縄タイムスと琉球新報が抗議声明を出したことに触れて、「おかしな話だ。私の話を何も聞いていない。伝聞に過ぎない」と批判し、「まだしばらく2紙とはやりあっていかないといけない。自民党本部の勉強会で、2紙をつぶさないといけないと言ったときは冗談口調だったが、今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と話した(沖縄タイムス6月29日、1面)。
安倍首相は26日の衆院平和安全法制特別委員会で民主党の寺田学議員が百田氏の発言について、「おわびしないのか」と質問したのに対して「自民党にはさまざまな講師が来ていろんな考えを述べる。我が党の考え方とだいぶ離れた考え方のことを述べられる方も往々にしておられる。その場にいないのにもかかわらず、その方になりかわって勝手におわびをすることは私はできない。わびるかどうかはまさに、発言する人物のみがその責任を負うことができる」と答えた。
というわけで、百田氏は保守系の評論家の一部や経団連などからも批判を受けているが、ご当人はまったくめげる風もない。佐藤優氏は6月28日の琉球新報の「特別寄稿」で、「自民党勉強会における発言事件は、今後の沖縄と日本の関係を変化させる分水嶺になる可能性がある」とし、「百田氏の発言は長尾氏とのやりとりの前後関係からして、軽口や冗談と受け止めることはできない」もので、「沖縄の名誉と尊厳が踏みにじられている。沖縄人のアイデンティティーが侮辱されている。県議会に、長尾敬衆院議員と百田尚樹氏を参考人として招致し、真意を問い質すことを試みてほしい」と提案しているが、私はその提案に大いに賛成である。百田氏の発言を封じるのではなく、彼が勉強会で主張したかったことを沖縄県議会で思う存分披露してもらい、活発な質疑応答の時間を保障することこそ、民主主義にかなった方法だと思うからである。
ネトウヨの乗りで
この百田尚樹なる人物は安倍政権を批判する勢力を「反日」「売国」と呼び、自分と意見を異にする人を「人間のクズ」と罵倒するなどの言葉使いからして、いわゆるネトウヨに属する人物とみていいだろう。普天間基地がもとは田んぼだったという誤った情報もネットで得たものと思われる。
勉強会の代表で、自民党青年局長を更迭された木原稔衆議院議員(熊本一区)についても同じことが言える。彼は、6月23日に沖縄で行われた沖縄全戦没者追悼式で安倍首相に野次を飛ばした人物は「明らかに動員されていた」とインターネット動画サイトで述べたが、わざわざ「明らかに」と言ったからには即座にその確かな情報源を明らかにすべきだった。それをしなかったのは、おそらく中傷・罵倒が目的だったからだと言わざるを得ない。
小林よしのり氏が7月初め、テレビ朝日の「モーニングバード」の取材で「自民党の国会議員はネトウヨ化して政治家としてのレベルが下がってきている」と述べていたが、妙に説得力があった。また彼は7月5日、自身のブログで「安倍首相自らがデマだらけのネットの中の匿名情報を信じて、フェイスブックで発信しているくらいだから、そりゃあ配下の議員たちがネトウヨ的妄言を吐き散らすはずだ」などとも書いていて、なるほど、国会審議で安倍首相自らが野党議員に野次を飛ばした行動にも納得がいったのだった。
本土ジャーナリズムの反応
沖縄タイムスと琉球新報はつぶしたらいいという発言が、喫茶店や飲み屋ではなく、こともあろうに自民党本部で、しかも安倍首相の応援団によって行われたという事実は、ジャーナリズムにとっても日本の民主主義にとっても放ってはおけない問題であり、当然のこととして本土ジャーナリズムも一斉に批判と抗議の記事を載せた。琉球新報は6月29日(月)特集を組み、全国紙、ブロック紙の6月27日(土)付社説を転載している。転載されたのは、東京新聞「民主主義への挑戦だ」、毎日新聞「言論統制の危険な風潮」、朝日新聞「自民の傲慢は度し難い」、読売新聞「看過できない『報道規制』発言」、西日本新聞「これが自民党の『本音』か」の五社である。
政府の対応
自民党の谷垣禎一幹事長は27日、党本部で記者会見し、党内の若手議員による勉強会で安全保障関連法案をめぐって報道機関に圧力をかけるような発言が相次いだ問題で、会を主催した木原稔青年局長を1年の役職停止とし、事実上更迭する処分を発表した。問題発言をした大西英男、井上貴博、長尾敬の各衆院議員も厳重注意処分にした。
谷垣幹事長は記者会見で処分の理由について「報道の自由を軽視し、沖縄県民の思いを受け止めるべく努力してきたわが党の努力を無にするかのような発言がされた。国民の信頼を大きく損なうもので看過できないと判断した」と述べた。
ところが、大西議員は処分後も(テレビの報道を見る限り)、政権に反対するマスコミを懲らしめるべきだという持論を繰り返している。彼は自分を取り囲んだ記者たちに向かってこう言い放った。
「だって、新聞社はまだ社会的制裁を受けていないじゃないか!」
彼もまた百田氏と同じく全く反省などしていないのである。
報道圧力の裏にあるもの―美しい日本へ
ところで、沖縄タイムスと琉球新報に対する批判は今回が初めてではない。昨年の沖縄県知事選の応援で沖縄入りした櫻井よしこ氏は講演の中で「琉球新報、沖縄タイムスの記事は『日本を愛するという気持ちはない』としか読めない」と批判し、「本土の比較的まともな産経新聞とか読売新聞みたいな新聞が、ここでもう少し定着していくといい」と主張している(東京新聞6月30日〈火〉、29面)。
特に安倍政権になってから右派議員や右派論客が勢いを増してきた。これらの右派勢力はもちろん、憲法改正で一致しているわけだが、その憲法改正の先に見ている日本の国家像は、たとえば、櫻井よしこ氏の場合「美しい日本」である。彼女は「憲法改正を実現する1000万人ネットワーク・美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表(3人)のひとりである。後の2人は杏林大学名誉教授・田久保忠衞氏と日本会議会長、元最高裁判所長官・三好達氏。
代表発起人には国会審議の中で、菅幹事長から安全保障関連法案合憲論者として名前を挙げられた西修氏(駒澤大学名誉教授・代表発起人)と百地章氏(日本大学法学部教授・幹事長)が加わっている、なお、代表発起人39人の中に、朝日新聞本社で拳銃自殺した人物の行動を賛美する長谷川三千子氏(埼玉大学名誉教授)、そして何と百田尚樹氏も名前を連ねている。
そもそも、百田尚樹氏から「美しい」というイメージが湧いてくるだろうか? 衆院総務委員会で野党の女性議員に向かって「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」と野次を飛ばし、今度の勉強会における発言で厳重注意処分を受けてもなお「マスコミを懲らしめたい」という持論を曲げない人間を「美しい日本」の担い手として受け入れることができるだろうか?
私は、彼らが目指す国家像は「美しい日本」とは真逆な、全体主義の管理国家であるとみている。彼らにとってはメディアも学校教育も国策を忠実に実行するためにあるのであり、国策に逆らう者は「サヨク」「反日」「売国奴」「非国民」として懲らしめ、排斥し、葬り去らなければならない。そうしなければ「美しい日本」は成立しないのである。
そこにはもう自由や民主主義はない。むしろ現在の北朝鮮や中国に限りなく近い国家のイメージだ。特定秘密保護法、教育委員会制度の改革、国立大学における国歌と国旗掲揚の要請、道徳科目の設置、NHKや民放への圧力、権力による報道監視へつながりかねない放送アーカイブへの動き、マイナンバー制度の導入などなど、安倍政権は国民に対する国家管理を急ピッチで進めてきた。
そういえば、自民党による憲法改正草案第二十四条には「家族は互いに助け合わなければならない」「夫婦は相互の協力により維持されなければならない」などの項目がある。ということは、親子喧嘩、夫婦喧嘩などの家庭不和や不倫や離婚は、つまり違憲状態ということになるわけだ。国民の個人生活の中にいちいち口出して縛ろうという、みみっちい憲法が世界中のどこの国にあるというのだ?
「どう? あたしって美しいでしょ?」という女を、私は好きになれない。「美しくあれ」という上から目線の説教も嫌いである。
「民族の美しい血」を求めたナチスが何百万人ものユダヤ人を虐殺し、死者の皮膚でランプの傘を作ったり手袋を作ったりした行為を思い起こしてみよう。そして同時に「神国日本」「神風」「聖戦」などの「美しい」言葉がどこどこの国で、どれだけの人間を殺害したかを思い起こしてみよう。そういう過去に真摯に向き合うことが「自虐」で「反日」で「売国」であるとするイデオロギーと対峙する立ち位置を確保しよう。過去から目をそらして、なんとか自分を取り繕い、正当化しようとする姿勢を恥じよう。
安倍首相の謝罪
百田氏になり代わって沖縄県民に謝罪することはできないと言っていた安倍首相も、7月3日の衆院平和安全法制特別委員会で「大変残念で、沖縄の皆さまの気持ちを傷つけたとすれば、申し訳ないと思っている」、「勉強会の会場が党本部であり、最終的には私に責任がある」と述べた。「傷つけたとすれば」という言葉の中には「傷つかなくてもよかったんじゃないの?」という気持ちが読み取れ、世間の批判に追い込まれて謝罪せざるを得なかったといういきさつが見えてくるのは寂しい限りである。
抗議の動き
報道関係や沖縄県側の反応をざっと拾ってみる。
6月29日、日本新聞協会の編集委員会は、自民党若手議員の勉強会での発言について「極めて深刻な問題だ。政権与党の議員でありながら、憲法二一条で保障された表現の自由をないがしろにした発言は、報道の自由を否定しかねないもので到底看過できず、強く抗議する」という声明を発表。
7月2日、沖縄タイムスの武富和彦編集局長と琉球新報の潮平芳和編集局長は日本記者クラブで会見し、「この国の報道の自由、表現の自由、民主主義は危機的な状況にある」と訴えた。
同日、沖縄県議会6月定例会は午前の本会議で与党側と自民党側がそれぞれ緊急動議で抗議決議を提案。与党案は自民党総裁宛てで、百田氏の発言は「読者である沖縄県民をも侮辱するもので、到底看過できない」とし、発言の撤回と県民への謝罪を求めた。県政野党の自民党は衆参両議長と問題発言が出た文化芸術懇話会の代表宛に「不穏当な発言」への反省を求める独自の決議案を提出したが、賛成少数で否決された。両決議は同日午後の本会議で質疑や討論などを経て採決。賛成31、反対13、離席2で可決。
同日、沖縄県政与党5会派などが那覇市で抗議集会を開き「発言は政権の意に沿わない報道への弾圧につながり、言論の自由を脅かし、民主主義の根幹をも揺るがす。沖縄県民を愚弄する精神が底流にある」として自民党総裁の安倍晋三首相に県民と国民への謝罪を求めた。
7月4日の夜、菅官房長官と翁長知事が東京都内のホテルで夕食をとりながら会談し、席上菅官房長官が百田氏の発言に言及し「申し訳ない」と謝罪。
7月7日、自民党沖縄県連が党本部に谷垣幹事長を訪ね、自民報道圧力問題について抗議し、今後同じような問題が起きないように強く申し入れた。幹事長は「県民に迷惑をかけて申し訳なかった」と陳謝。(琉球新報電子版)
同日、ウイーンに本部を持つ国際新聞編集者協会(IPI)は「日本政府は与党批判を抑えるという報道圧力に対処する必要がある」との声明をホームページで公表。IPIのスティーブ・エリス弁護士・広報部長は問題について「われわれは心を痛めている」と表明し、「日本の指導者らに対し報道機関の自由を尊重し、守るために行動するよう強く求める」と訴えた。IPIは報道・表現の自由の保護や促進、ジャーナリズムの向上などを目的に1951年に設立された。120カ国以上のジャーナリストらが加入し、日本にも委員会がある(ryukyushimpo.jp)。
これらの外にも動きはあるが、全体として、安倍政権を揺るがすまでにはなっていないのは残念である。
廃案か解散総選挙が筋だ
私は日本が「美しく」あることを望まない。私自身が「美しく」あることも望まない。今ひたすら願うのは、野党や世論の力で法案を廃案に持ち込むこと、さもなければ解散総選挙で現政権の信を問い直すことである。第三次安倍内閣は全有権者数の25パーセントの得票率で絶対多数の議席を取った。そしていま、安保関連法案について国民は今国会での成立に賛成していないばかりでなく、憲法学者のほとんどが法案の違憲性を主張している。選挙は民主主義の根幹である。だからこそ、選挙で多数を取ったからといって民意を無視すれば、その政権に対して主権者は「ノー」を突きつけることができるのである。選挙で成立した政権が独裁化した例は、洋の東西を問わず、枚挙にいとまがない。
沖縄タイムスと琉球新報をつぶそうとするファッショ的な思想や、民意を無視して法案を成立させようとする強権政治は、かならず、歴史の審判を受けることになるだろう。そういう事態は日本にとって屈辱的であり、国際的な名誉失墜の傷は深い。
安倍首相は、アメリカ連邦議会上下両院合同会議で約束したことに義理立てするのではなく、目の前にいる主権者の意思を尊重し、法案を取り下げるべきである。
日本の歴史に汚点を残さない選択を切に望む。
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〔opinion5497:150717〕
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