それでも日本メシ?―はみ出し駐在記(40)
- 2015年 8月 16日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
ニューヨークから北に百キロほど、車で二時間ちょっと行ったダンバリー(コネチカット州)にAMBEL Precisionという町工場があった。タンバリーから二十キロも南東に行けば、大西洋に面したブリッジポートがある。ブリッジポート一帯は昔からの工業地帯で荒んでいて、出張に行くたびにちょっと緊張した。高々二十キロくらい内陸に入っただけなのに、ダンバリーは落ち着いた町で、ゆったりしていた。
AMBELは賃加工屋で、ビジネスの面で期待できる客ではなかった。ビジネスにはならないが、イタリア系の副社長が面倒見のいい人で、新米サービスマンのトレーニングにはうってつけの客だった。面倒見のよさは、シシリーからベルギーを経てアメリカに出稼ぎにきて、一代で成功したことから来る自信と根っからの遊び好きから来ていた。
最初に訪問したとき、仕事の前にステーキハウスにつれて行かれて、昼飯にマクドナルドの対極にある豪華なハンバーガーをご馳走になってしまった。二度目からは近くに日本メシ屋があるから一緒に行こうと誘われた。「知り合いの話しでは、この辺りではちょっと知られた日本メシ屋で、絶対気に入るから。。。」借りを作るのがイヤで辞退していたが、何度目かの訪問のときに、行かなければならないような雰囲気になってしまった。
その日の午後はもう落ち着かない。工場に出てきては知っている限りの日本の話。仕事より晩に出かける日本メシ屋のことが気になってしょうがない。まるで明日遠足という子供のようだった。
モーテルでピックアップしてもらって「噂の」レストランに行った。それは南の島のバンガローを模した大きな建物で、外見からは日本メシ屋に見えない。どう見てもハワイかどこかの観光レストランで、中に入ったらカウンターの上にポリネシアンと書いてあった。気分を害さないように注意しながら、「ここは日本メシ屋じゃなくて、ポリネシアンじゃないのか。入り口にそう書いてあったろう」と言っても、「ここは日本メシ屋じゃないのか」ときかない。
席について喉をうるおしながら、「ここは日本メシ屋だから、お前、何がお勧めなんだ」と聞いてくる。ポリネシア料理がどのようなものなのか知らない。そこで出される料理がどこまでポリネシアンなのかも分からない。ポリネシアンと言いながらも、怪しい日本メシもメニューの中にあるかもしれない。副社長のためにもメニューを細かく見ていったが、それらしきものは見当たらない。
メニューをいくら見ても何をたのんだらいいのか見当もつかない。しょうがないからウェイターを呼んでお勧めをきいて、アメリカ人がイメージしたポリネシア料理を注文した。不味くはないポリネシア料理というより無国籍料理をご馳走になった記憶はあるが、何を食べたか覚えていない。
コネチカットの小さな町、知り合いも副社長もポリネシア料理も日本料理も、アメリカナイズされたものですら食べたことがないのだろう。これがポリネシアンでもあり日本メシでもあると言われれば、そうだろうと思うだけの知識しかない。そもそも日本もポリネシアも、台湾やフィリピンやインドネシアですら、太平洋の西にある島という程度の知識しかないかもしれない。多くの日本人がギニアとギアナやマリとリマの区別がつかないのと似たようなものなのだろう。
創作料理や無国籍料理では掛ける看板が店にとっても客から見ても難しい。アメリカ人の口に合うことが確認済みのハワイの観光レストランをパクった料理にポリネシアンと銘打てば、ビジネス上大きなリスクは避けられる。パクリが下手でも、これはポリネシアンでハワイアンじゃないというごまかしも利く。アメリカ料理よりは高めの料金設定で、ぼろい商売の観光メシ屋ができあがる。
似たようなことはダンバリーだけでなく、アメリカ中は言うにおよばず、日本にもあるし世界中どこにでもある。何の知識もなく観光メシ屋に来て、絵に描いたような『知らぬが仏』の客。なんだか訳の分からないものを食べさせられて、多少の非日常にプレミアムを払って満足して帰る。帰るだけならまだしも、そのろくでもない経験を口コミで知り合いに伝えてゆく。そうしてまがい物商売ができあがる。今やグローバリゼーションの風に乗って、文化的な距離がなければ成り立たないビジネス花盛りの感すらある。
ニューヨーク支社はロングアイランドの東西の真ん中辺り、郊外のちょっと先に出たところにあった。そこから東に行けば田舎の田舎ではないにしても、ニューヨークの田舎になる。最近はアメリカでも日本メシブームが続いているらしいが、当時そんな田舎まで行けば、もう日本メシ屋などありっこないと思っていた。そこにサービスマネージャが知り合いのアメリカ人からの話しとして、こんな田舎にも日本メシ屋が出来たらしいと言ってきた。日本メシ屋にもバーにも困っちゃない。事務所は東の果てで、仕事だからそこまで行くが、それ以上東には行かない。プライベートでは西、マンハッタンも含めた市内にしか向かわない。
マネージャの口ぶりには、それをちゃかすような響きがあった。「オレの住んでる田舎だって捨てたもんじゃないんだぞ。クイーンズやマンハッタンで悪さしてるだろうが、わざわざ遠くの危なっかしいところまで行って、無駄使いはバカのすることだ。」
そんな田舎にいったいどんな日本メシ屋ができたのか気になっていた。どうせろくな店じゃないだろうと思いながらも、世間話の種くらいにはなるかと、ある日応援者と一緒に出かけた。怪しい日本メシ屋にかぎって、どこか借り物というのか間に合わせの内装で、どの国からもうちじゃないと言われかねない無国籍の情緒?をかもし出している。それでも、かかっている音楽は決まって『春の海』で、琴の音色が懐かしい。日本では味わえない日本を感じさせてくれる。
日本人の客はいない。メニューを見れば一応日本料理の名前が並んでいる。そんな店では、何を頼んだところでろくな物は出てこない。間違いようのないのは冷奴。驚くことの少ないのはスライスするだけの刺身。無難な料理はすき焼きだろう。牛肉にネギと豆腐、醤油があれば、何とか食えるものができる。そう思って頼んだのだが、出てきたものを見てたまげた。ちょっと厚手のしぶとい牛肉のすき焼き、シラタキが手に入らないのだろう、代わりにインスタントラーメンが入っていた。文句を言ってもしょうがない。これがロングアイランドの田舎風すき焼きということでしかない。
日本人客が来ることなど予想もしていなかったのだろう。店主の話が笑えるような笑えないような。日本の釣具のメーカの駐在員だった人が脱サラして始めた。勇気のある人だと思う。何でもありのニューヨークだが、料理に自信などあろうはずもなく、日本人は来て欲しくない。来られるとインチキが一目瞭然なので怖い。
出てきた刺身が語っていた。それは刺身というよりぶつ切りに近かった。味は同じ、切り方なんて、どうでもいじゃないかと言われればその通り。もし客にこれ何と聞かれたら、日本のxxx地方の郷土料理なんですよ。田舎過ぎて日本人にもほとんど知られてないとでも言えば事足りる。
最近の日本食ブームの余勢をかってか世界文化遺産にまで登録された日本メシ。かつてめったになかったのがあちこちにある時代になった。メシ屋の数も増えて、自称日本料理通の人たちも増えただろうが、それ以上に怪しい日本メシ屋の方が増えたのではないかと思う。日本メシ屋の看板を掲げた創作料理か無国籍料理と思えば納得しないまでも。。。あまりに外れたのに出会うと呆れかえって腹も立たない。(腹も立たないはずなのが、ロンドンのわがままさ加減は度が過ぎていて、腹が立った。)
そのうちミシュランの和食版を向こうにまわして、和食認定協議会などというNPO法人を作って一儲け企むのもでてくるかもしれない。寡聞にして知らないだけで、もうとっくにできてるかもしれない。何ができても、B-(マイナス)グルメにゃ関係ないが、どんな定義で何をもってして和食というのかには興味がある。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5583:150816〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。