戦車と機関砲と電子レンジ―はみ出し駐在記(42)
- 2015年 8月 25日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
セントルイス(ミズーリ州)にあるエマソン・エレクトリックにタレット旋盤の据付に行った。出張の話を聞くまで、エマソン・エレクトリックは、その名前すら知らなかった。名前から電機関係の会社だろうと想像はつくが、聞いたこともないし、たいした会社じゃないだろうと思って、どんな会社なのかなどとは考えもしなかった。セントルイス空港のレンタカー屋でもらった地図を見て驚いた。歩いては行けないが、空港の隣にストリート名などいらない巨大な工場があった。
旋盤を据え付ける場所に案内されてぎょっとした。三四十メートル先に出荷待ちの戦車がきれいに並んでいた。初めて戦車を見た。百台二百台ではない、あまりの数に数えようという気にもなれない。巨大な工場で戦車を製造していた。
据え付けは、機械のベッドの下についている六本のレべルボルトを調整(回)して、機械の水平出しから始まる。ボルトを回すには、床に寝転がらなければならない。寝転がらないとボルトが見えない。機械に乗せた水準器を見ては、寝転がってこっちのボルトを調整して、起き上がって水準器を見て、あっちのボルトを調整する。機械が水平になるまで、機械の周りをぐるぐる回って、寝転がっては起き上がって、起き上がっては寝転がっての作業が続く。
床に転がってボルトを回していたら、数メートル先から英語と日本語の混じった会話が聞こえてきた。下から見上げたら、スーツを着た日本人らしき四五人とアメリカ人数名が、歩きながら何やら話していた。日本の大手商社か軍需産業の人たちなのだろう。目と鼻の先で床に這いずり回って作業をしている日本人など、その人たちの目には入らない。床に這いずくばって、油まみれになりながら、工作機械の据え付けや修理に明け暮れている者の目には、スーツを着て軍需ビジネスで禄を食んでいる人たちが輝いて見えた。
タレット旋盤は何度も据付けしてきた。慣れた作業で簡単に終わるだろうと考えていた。機械本体をざっと据え付けて、オプションのバーフィード装置を取り付ける段になって、予想外のトラブルが起きた。外せるはずのボルトの山が崩れていた。レンチが空回りしてボルトを外せない。一本のボルトに泣かされた。
夜勤の保全担当の人が手伝ってくれた。二人で色々やったが、エキストラクター(ボルトを引抜く専用工具)を調達するしかないという結論になった。昼の保全担当に、翌朝エキストラクターを持ってくるように連絡しておくという話で一日が終わった。
保全担当者の話を聞いて驚いた。工場では戦車や戦車に準じた陸上走行車だけでなく戦艦の機関砲も製造していた。戦車の組み立て工場は並んでいる戦車の向こうにあるが、機関砲は別棟のクリーンルームで組み立てていた。機関砲の組み立てラインを見せろと言ったが、機密だから見せられないと断れた。
翌日、エキストラクターを手に入れて、午後たいして遅くない時間に据付作業を終えた。即サービスレポートを書いて、さっさとモーテルに帰ってしまえば帰れるのだが、機関砲の組み立てラインが気になる。ニューヨークへのフライトは明日の朝、何時まで残っていてもいい。時間はある。夜勤の保全担当者が出社するのを待った。このまま帰るのはもったいない。なんとしても夜勤の保全担当者を口説き落としてと思っていた。
前の晩と同じ「見せろ」「ダメ」「見せろ」「ダメ」、ダメの後、世間話になって、また、「見せろ」「ダメ」を繰り返した。保全は、生産ラインに問題がなければ、のんびりした仕事で何もすることがない。ここにいても、何もすることがないのに、どこにも行こうとしない。体のいいさぼりで、日本人と世間話をして時間を潰していたのだろう。「見せろ、たかが工作機械のフィールドサービスの人間、見たところで何が分かるわけでもない」「機密と言っても、何が機密なのかも分からない者に、ちょっと見せたっていいじゃないか」と繰り返した。
機械の据え付けも無事終わって、世間話以外にすることがない。することもなく退屈したのか、しつこい日本人に根負けしたのか、「付いて来るか」と言いながら、クリーンルームのある別棟の方に歩き始めた。別棟の大きな工場に入って、クリーンルームまで結構な距離があった。「このドアの先がクリーンルームだ」と言いながら、クリーンルームのドアに手をかけた。もったいぶっている訳でもないのだろうが、一呼吸置いて、「ドアを開けたら、偶然お前がいただけだ」と独り言を言いながら、ドアを開けて見せてくれた。そこは特定の人たち用の見学ラインだった。大きなガラス窓の向こうに組み立て作業場があった。
初めて見る機関砲、その大きさに驚いた。甲板の上部に出ている部分も大きいが、それより甲板の下の部分の方が大きい。上部に出ている部分は映画や写真で見たことあるが、下は初めてだった。下の部分は直径一メートル以上の大きな円筒形をしていて、細かな部品がびっしり組み上げられていた。細かな精密部品の集積でクリーンルームでなければ組み立てられない。ここまでの精密機器が過酷な戦場で稼動するのが信じられない。
後日知ったが、エマソン・エレクトリックは広範な業界に事業展開した典型的なコングロマリットだった。日常生活で目にする電子レンジからは戦車や機関砲など想像もつかないし、産業制御機器や計測機器など一般大衆の日常生活では接することもない。
電子レンジ辺りしか知らなければ、エマソン・エレクトリックは民生の平和産業に見える。全事業からすれば、取るに足りない平和産業が一般大衆の目を軍需産業から逸らす。逸らされて見えたものが見えたまでで終わる。見えないところの先にはベトナム戦争すらあった。
紛争や戦争がメシの種の軍需産業。その生産活動を支える工作機械。学校を卒業して、機械の機械たる工作機械の技術屋を目指したが、まさか軍需産業に関係するなど想像もしてなかった。就職して、工作機械が、間接的であったとしても、軍需産業でもあることを知ったが、知識として知ったのと戦車や機関砲を目の前にするのとでは違う。戦車や機関砲を誰が何のために使うのかと考えると、就いてはいけない職業に就いてしまったとしか思えなかった。
軍や軍備を正当化する理屈はどうにでもつけられるだろうが、いくらつけたところで、軍が軍備を使ってしてきたこと、不幸にしてこれからもするだろうことは破壊と人殺しでしかない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5605:150825〕
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