小便出張に傍若無人-はみ出し駐在記(60)
- 2015年 10月 30日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
毎年春から秋にかけて、本社からエライさんや総務の課長がニューヨーク(NY)支社に来た。なにも寒いし雪の降る冬に来ることもないとは思うのだが、冬を避けたのはゴルフをしたいがためだったとしか考えられない。インターネットもなければ国際電話も高くて使えない時代、経営上や業務上の打ち合わせをと思えば出張しかない。そうは言うものの、まだまだ海外が遠い時代で、ちょっと行ってくるという出張ではない。アメリカにくるだけでも十時間以上かかるのに、NY支社から始まってシカゴ事務所に立ち寄って、最後はロスアンジェルス支店に寄って帰国する。片道十時間以上かけて、十日くらいの滞在日程を聞くと、実情に疎い人には、さぞかし仕事仕事の過密スケジュールにみえただろう。
ニューヨーク支社は駐在員の数も多いし、社内接待要員の副社長もいるからだろうが、エライさんたちは、決まって週末にはニューヨークに滞在するスケジュールにしていた。週末のお遊びはまだ分かるが、仕事をしなければならない日にも、聞こえてくるのはお遊びのことばかりで、いったいこの人たちは何をしに来たのかと、アメリカ人も含めた実務部隊の全員が思っていた。
リコールもどきの障害が起きて大騒ぎになっていたにもかかわらず、技術系のエライさんが来たのは、おざなりの一回だけだった。出先では解決しようのない問題を山のように抱えていたから、実務の人たちがくれば、仕事になって(というのも変な話だが)簡単には帰れない。それを恐れてなのかもしれないが、来るのは決まって何の役にも立たない総務系のエライさんたちだった。
総務の課長が定期視察にきた。サービスの応援に来ている人たちとは違う。相手は総務の課長、下っ端には仕事上での話など何もない。それでも会社もちの夕食にはありつける。どこに行っても食べたいものを食べさせて頂くだけで、できるだけ会話の中には入らないようにしていた。総務というより労務管理の意識しかない人とは距離を置いておいた方が無難だった。もう既に大きく外れた人材、これ以上外れると会社の外になる。どのみち長居をするところではないにしても、二十代半ばにしてはちょっと早すぎる。
日曜日に副社長のアレンジで総務の課長とE先輩とM先輩の四人でゴルフに行った。やらないからそう思うだけなのかもしれないが、ゴルフをするためNY支社に来たのではないかと思うほど、エライさんは来る人来る人必ずゴルフに行っていた。土曜に行って、日曜に行って、放っておいたら平日でも事務所にも来ないでゴルフ場に行きかねない。口を開けばゴルフの話で、頭のなかはゴルフしかないのか、仕事はどうしたって揶揄(やゆ)したくなる。
夕方、副社長から電話があった。偶然下宿にいたからいいようなものの、一体こんな時間に何?と思ったら、「今ポート・ワシントンのシーフードレストランにいるから、お前も来い。xxx課長もお前も一緒にって言ってる。」
ただメシ食えるのはありがたいが、総務の課長とは遠慮したい。島流しにしたのが、おとなしくしているのを見たいって訳でもあるまいし、美味いメシを不味く食う席で気が乗らない。返事をためらっていたら、「何だ、お前、一人で夕飯食いにいくよりいいだろう。お前の下宿からだったら、十五分もあれば来れるだろう。早く来い。」
ただ飯食えるからって、のこのこ出かけるのも癪に障るが、外れた立場でも多少の格好は付けておこうかと出かけた。何度か行ったことのある高級レストランで、日常的に行くところではない。ちょっとしたリゾート気分で豪華なシーフードを売り物にしていた。そこまでゆくと、フツーはジャケットを着ていないと入れないが、その店はカジュアルでも、決して喜んでではないだろうが入れてくれた。
店に入ったら、もう四人でワイワイやっていた。下戸もちょっとお付き合いして、いつものサーフ・アンド・ターフを注文した。サーフは海でシーフード、ターフは草原で肉料理、ロブスターとヒレステーキをセットにしたもので、フツーの人はハレの日でもなければ食べない。
副社長が仕事で使っていることもあって常連客だった。ゴルフウェアの日本人が窓際のいい席に陣取っていた。周りには年配のカップルか年配のカップル同士の四人組の客しかいない。オヤジ連中はジャケットを、女性もよそ行きの格好をしていた。みんな特別な日に特別な人との夕食で、特別なときなのだろう。
周りの年配の客の視線が気になった。多少なりともハレの場で、ちょっと気取って夕食のはずなのに、日本人が飲んで騒いで、顰蹙ものだった。誰も自費で来ているわけではないから、予算に制限があるようでない。金さえだせば文句はないだろうという奢りがある。私生活でそんな店にくるような社会層でない者に奢りがあれば、周囲など一切お構いなしの傍若無人の振る舞いになる。
あまりに煩いからだろう、近くにいた年配のカップルがウェイターを呼んで、席を替わった。それを見ても、なんとも思わない。思わないというより、何を気取ってるんだというような素振りで、馬鹿にしていた。酔っているからといういい訳も出来ないわけでもないが、良識が働かなくなるまで飲んじゃいけないし、そこまで飲んでしまうということは、あるはずの良識に欠けるということに他ならない。
いつでもどこでも似たようなことがある。戦後の日本の駐留軍もそうだったろうし、高度成長期にゆけゆけどんどんだった日本企業の駐在員や出張者、最近は経済成長著しいお隣の国の人たち、誰もフツーの人でしかないからだろうが、自らを、特に集団になったときに自制するだけの自覚が足りない。それが二十歳やそこらの若い人たちの、若気の至りといえる歳ならいざ知らず、人間としても社会人としても、確立されてしかるべき年齢の人たちが率先しての傍若無人。それを恥ずかしいことと感じる神経すら持ち合わせていないとなると、日本とは日本人とはいったい何者なのか、できれば同席したくない人たちと思われる。
戦後日本の貧しいなかでの駐留軍、できればお断りしたい、同席したくないと思ったのが、戦後二三十年で思われる側になってしまった。多少なりとも良識があれば、人にされてイヤなことを、敵討ちでもあるまいし、人にしないくらいの配慮くらいあってもよさそうなものなのだが、経済成長はしても最低減の良識を培うことができなかったということなのかもしれない。
p.s.
犬や猫が定期的に自分のテリトリーを回って臭い付け-小便することから、NY支社の駐在員の間では、実務を伴わないエライさんたちの定期的な出張を「小便出張」と呼んでいた。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5747:151030〕
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