抜き書き典籍紹介・「暴」引断簡零墨(4)
- 2016年 3月 18日
- カルチャー
- 山川哲
『独占資本の内幕』D.マッコンキィ著 柴田徳衛訳(岩波新書1972)
„OUT OF YOUR POCKET“ Darel McConkey Revised Edition,1955
安倍政権になって「軍需産業中心の産業再編成」が本格化し始めた。相変わらず「高度経済成長の夢」を追い続ける日本の政・財界と、それに追随する旧態依然の官僚群、一部の学者グループ、右顧左眄するジャーナリストや恥ずべき労働組合幹部連中、彼らの操る「日本丸」は、今度こそ本当に取り返しのつかない「破滅への航海」に出航しようとしているように思える。軍事産業の育成・強化に国民の血税を大量に注込み、「軍事ケインズ主義」への道を直走るこの国にはもはや未来はないのであろうか。「安保法制化」も「緊急事態条項」も「共謀罪」も「沖縄辺野古基地移転強行」も、すべてこの同じ根っこから生み出されている。この根幹のものが何を意味するのか、それがわれわれの未来にどんな運命を用意しようとしているのか、そのことを見据えるために、過去の経験にくり返し立ち返り、単に経験を現状に適応するのではなく、その精神をくみ取り、反省してみることが大切ではないかと思う。
今回取り上げた書は、かつてのドイツの世界的なカルテル会社、イー・ゲー・ファルベン(I.G.Farben「染料製造業者連合会社」)に関するものである。日本版への序文(1955.9.5)を書いているのは、かつて米国内で、ポール・スィージーとともに左派の代表的論客として鳴らしたレオ・ヒューバーマン(『資本主義経済の歩み』『キューバ』などの名著で知られる)である。早速、そのヒューバーマンの「日本版への序文」から紹介していきたい。(例によって、ゴシック体は評者のもの。また引用の仕方もかなり恣意的なものであり、必ずしも原典に忠実なものではない)
1.レオ・ヒューバーマンの「日本版への序文」から
「独占は―少しでも多くの利益―を追求しようという競争の制度から必然的に由来してきたもの…たがいに提携した方が儲けが大きくなると気づくや否や、競争をやめ、事業を結合させてトラストを形成し、独占的支配権をもつ大企業になり、相互にカルテルを結成した。なるほど理屈の上では、需要供給の経済法則により価格が決定され、『自由企業』と競争によって動く経済だといわれるが、実際は独占の力により価格が決定され競争が制限され、ほんの一握りのものが支配する巨大企業の経済だ。」(pp.ⅰ-ⅱ)
堤美果の『貧困大国アメリカ』(岩波新書)には、今日のアメリカの現状に照らし合わせながら、民営化という名の大企業支配の現実が生き生きと描き出されている。消防や警察まで民営化されたら人々の生活はどうなるか?当然、金持ちが優先的に救助される。こんな社会がフェアな社会といいうるだろうか。また、軍隊が民営化されたらどうなるのか?実際にアメリカでは軍事機構が次々に民間委託されているのであるが、その結果、戦争は長期化され、地域紛争は継続されることになる。なぜなら、そうすることで「軍需産業」は潤うからだ。怖い世の中である。以下の叙述は、独占化傾向が人々の目に顕在化してきた時代から、それが一気に世界中を席巻する有様をよく示している。
「アメリカで…こうした過程がはっきり形をとり始めると、人々はびっくりした。生産を制限し価格を釣り上げるトラスト行為…それから何としても保護されねばいけない。皆が強く要求した。この要求が1890年に議会でシャーマン反トラスト法として結実し、『取引または商業を不法な制限や独占から守ること』が宣言された。だがこの法律を提案し作成した議員裁判所が競争から独占へ移り行く資本主義の発展を懸命に抑えても、…どうにもこの発展の力は抑止しきれなかった。シャーマン反トラスト法が成文化されてから61年後の1951年に、ダグラス最高裁判所判事はカリフォルニア・スタンダード石油会社に絡む反トラスト訴訟において、『大企業は、その哲学のおかげで更に大きく成長する。独占はまさに開花し、カルテルはこの国に対する支配力を強めた。トラストも強固となった。今や自由と競争の余地は次々と狭められていく。』と述べている。」(p.ⅱ)
企業は最大限の利益を得ようとして相互に連携し(トラストを形成し、カルテルを結ぶ)、大企業化、企業グループ化して行く。この傾向を規制社会の「法」によって規制することは不可能である。なぜなら、「法律」は資本主義社会の法律に他ならず、規制すべきはずのものが、規制されるものを土台として成立しているからである。建物の土台をくずせば、建物そのものも崩壊せざるを得ない道理である。
「独占は能率的である、生産や販売・管理のコストを下げる、無駄を省く…独占がもつただ一つの悪い点は、人民がそれを所有していないこと、一握りの僅かな人間が私益を追求して事業を進める―ここに独占のあらゆる悪が花咲く。」(p.ⅲ)
「必要なことは、昔語りとなった資本主義の『自由企業』へ復帰することでもなく、当面した独占資本主義下の『一握りの者に支配された企業』をそのまま存続させることでもない。問題の解決は、独占を人民の所有とさせ、かくて『企業を社会的所有』とすることである。必要なことは、生産手段を社会的所有として、これを国民経済の計画性の下に運営し、かくてこれを民主的な目的に奉仕させることである。必要なことは社会主義である。」(p.ⅳ)
この上述の部分は、最近のアメリカ大統領予備選挙を通じて民主党のサンダース候補が訴えている「格差是正」=社会主義の主張とかなり共通しているように思われる。1%対99%という貧困化蔓延社会の中で、愈々アメリカでも、特に若年層の間で、「所得再配分」が真に問題となってきているのであろう。「独占を人民の所有へ」「企業を社会的所有へ」というスローガンには大いに説得性がある。
2.ウェスト・ヴァージニア州選出上院議員ハーレィ・M・キルゴァの序文
「例えばこんな疑問がある―1918年に敗戦国であったドイツが、その後20年もしないうちに世界征服計画の第一歩に驚くべき成功を収めてしまった。なぜだろう?
その原因が今こそ我々に分かった。カルテルの組織が、この征服活動の大半の責任を負っているのだ。ドイツ・カルテルの連中が、ヒットラー独裁の背後に潜む真の力であり、この連中の資金と影響力がナチの権力掌握を可能ならしめたのだ。連中の組織的な経済戦争が、ヒットラーの武力侵略の前奏曲を奏でた。」(p.ⅵ)
独占企業はナチスドイツのスポンサーを務めた。あるいはナチスが、独占企業の世界制覇のお先棒を担いだという方が正しいかもしれない。ナチスは当初、独占解体、富を民衆の手に、を標榜し、中産・下層階級の運動として台頭した。しかし、実際には裏でちゃっかりと独占体と手を結んでいたことは、例えば、ユダヤ系金融資本家のロスチャイルド一家が、ヒットラー政権下でも悠々と生きのびて、商売をしていたこと、などからも明らかである。ところが他方で、この同じ独占体は、自国の利益すら「飛び越えて」、ひたすら企業の利益のみを追求する本性的な傾向をももつ。レーニンのいう、「交戦中に敵国に武器を売る」ことをも辞さないのである。このことが以下で触れられている。
「(日米開戦時のアメリカが一種の『産業の空洞化』にあったということ)…カルテル行為に関してなされた上院の諸報告が、この疑問に答えている。すなわち拘束や制限がカルテル組織のまさに精髄となっているからだ。生産能力の制限、発明や技術的変革の拘束、供給の制限、新しい材料の拘束―これらが非合法なカルテル協定の特質をなすものであり、更に我が国の大企業はこうした協定を他国といくつも結んでいる。」(p.ⅵ)
「複雑に取り決められた秘密協定、特許権実施許可のやり取り、反トラスト法回避の卑怯な試み、独立起業の打倒を図る熾烈な闘争、戦争さ中の敵国に対する『製法』や資材の手渡し」(p.ⅶ)
3.イー・ゲー・ファルベン(I.G.Farben)とはいかなる会社なのか?
イー・ゲー・ファルベンの「成功」は、発明を産業化したこと、またいち早く独占的なカルテルを取り入れたことにあった。そしてカルテルとは、競争に勝ち抜くために内部での競争を制限すること、その分を消費者の負担に回すことに他ならない(独占価格の民衆への押しつけ)。
「実用染料を、始めてコール・タールから抽出したのは、イギリスとフランスであったが、ホーマー・T・ボーン議員による上院特許委員会において、1942年に司法省がなした証言によれば、これを『科学的商業的に一層推進したのは』ドイツであった。この進歩は、前世紀の末にはかなり進んでいた。カルテル形式によるこの事業方法も、同じく進んでいた。色素をタールから抽き出す技と、儲けを人々から抽き出す技とが、世界の利潤と権力を求め、どんどん進歩した。染料工業は、特有の不吉で危険な性質をもち、染料『中間体』の工程をわずか変えると、色素の代わりに爆薬がつくられる。…両者の生産方法には、工程上紙一重の差しかなく、この点にこそ、科学―ひいてはカルテル―がどんなことをなしうるかという、我々が理解すべき一つの難しい事情が…厳として存在するのだ。
ドイツは今世紀の初めに巨大な染料工業を発展させ、第一次大戦においては、連合軍よりはるかにたやすく戦時体制に切り替えることができた。今、世界の指導的な染料製造業者であるアメリカのデュポンは、1902年に仕事を始めたが、我々があの戦争で染料―そして軍用爆薬―の製造を迫られるまでは、細々とした事業であった。1914年当時、アメリカにはこうした事業所が立った7つしかなく、しかもそれらのほとんどは、輸入した染料や中間体の合成作業に従事していた。1919年までには、我々は90の染料と爆薬の事業所をもつようになった。」(pp.26-27)
「(ドイツの)危険を見てとったウィルソン大統領は、意志表示を何回かして、一つの組織を作った。しかしそのファウンデイションが実際に組織され動きだすのに時間がかかり、それまでに特許類の売りたてが今一度行われてしまった。1918年に外国資産管理局は、共にドイツ商社であるバイエル会社とシンセティック・パテンツ会社との株式、1200の特許、工場設備を差し押さえた。その次の年に、管理局は―ケミカル・ファウンデイションが発足する前に―これらの財産を競売により、アメリカ商社のスターリング・プロダクツ会社へ、600万ドル以上で売った。スターリングは、染料と化学の財産を、他のアメリカ商社たるグラッセリ化学会社へ転売した。有名なアメリカの会社間における売買は、ファウンデイションの活躍と相まって、ドイツ化学の利権をアメリカから確実に締め出したように思えるだろう。…こうしているうちに、染料カルテルがヨーロッパで組織されつつあった。休戦(1918.10.11)の二ヵ月前に、すでにスイスの3主要化学製造業者が「一般プール協定(高次のカルテル)」、即ち利益共同体に加盟していた。ドイツも既に染色工業をタール染料製造業者の連盟あるいは協会に組織していた。1924年に、『製造業者たち』という名で知られているこれらの会社仲間は、スイスの業者と価格協定を結んだ。1925年12月2日に『製造業者たち』を新しい経営の下に置くため、イー・ゲー・ファルベン工業会社が組織された。これは、ほとんどあらゆるカルテル物語にしつこく付きまとって来るイー・ゲーの悪名高い歴史のほんの発端にすぎなかった。1927年に、イー・ゲーとフランス業者との協定が成立し、『その目的は…価格を下げ生産を増加させるために生産を合理化するものである、という参加者たちの宣言が、声を大きくして伝えられた。』しかしアメリカ商務省は、…懐疑的な意見を述べた。1929年、イー・ゲー・ファルベンその他各社は、一緒になり、ヨーロッパ染料カルテルを組織した。デュポンはこのカルテルの考えに興味を持ち、…世界が今まで目にした最悪の不況のさなか(1930年恐慌)にあっても、カルテル政策は全世界にわたり、価格を維持し―またつり上げもした。」(pp.28-34)
「三井も、日本が極東征服を開始してから一年ほどのちの1933年に、カルテルの仲間に加えられた。しかし次の1934年までにもうカルテルは、三井が中国市場を侵しはしまいかと恐れるようになった。というのは、一方では日本の膨張政策のためであり、他方では日本政府が巨大な三井の染料工場建設のため300万円を支出していたためである。アメリカ染料業界の一役員は、『その工場建設は、日本の戦争準備の一環である』と書いた。」(p.35)
「(カルテル)協定の根本原則は…全世界を通ずるチタン化合物の製造・販売・技術的発展に、心から協力することである…。つまり考慮すべき要点は…
(1)商業上の競争心を防止し
(2)技術上の競争心を防止する…事である。」(p.153)
「(米のアルミニウム会社)アルコア―1930年代の『建設の時代』に、それまで手中に収めた動力の潜在能力の半分よりやや上までしか稼働させなかった(1938年まで―司法省の調査結果)―632590キロワットが発動され、620550キロワットが発動されなかった。…1939年の初夏、フランスのアルミニウム会社の一役員に米国、ヴァージニア州レイノルズ金属社のリチャード・レイノルズは警告する。ドイツはフランス自身がアルミニウムに加工している以上のボーキサイトを、フランスから購入している、と。フランスの訪問客は『ドイツは真鍮が不足している』といって、まったく無警戒だった。―フランスはその後一年もたたぬうちに、ナチの飛行機による攻撃を受けることになった。」(pp.178-179)
4.敵国の産業とも手を組み、したたかに生き残る独占企業
「ニュージャーシーのスタンダード石油会社は、イー・ゲー・ファルベン工業が石油から市販用合成ゴムを作り上げたことを、1927年11月に知った。翌年早々スタンダードは、その工業化に『仲間入り』したいといった。…1929年11月9日にファルベンとスタンダードは、『領域の分割』協定に調印した―ファルベンは少なくとも24億ドルの資産をもつ世界最大の企業結合、スタンダードは約20億ドルの資産をもつ世界最大の石油会社…イー・ゲーは石油事業そのものに立ち入らないし、我々も化学事業へ立ち入らないという想定の下に…(スタンダード石油の一手紙)」(pp.190-191)
「(戦後押収された)証拠が示したところでは、ファルベンは『名目上は一介の私企業であったが、実はドイツ国家に仕える巨大な帝国』であった。―それは少なくとも、380のドイツの会社を支配し、世界93カ国にわたって散在した500以上の会社を保有していた。同社は、地上における最大最強の化学トラストとして、多くの国の諸会社と2000以上のカルテル協定を結んでいた。…1933年2月に他の大工業と共に、ナチ党の選挙資金として120万ドルを寄付…『事実上ドイツ政府の研究機関のように機能した』」(pp.214-217)
5.ナチスドイツに全面協力し、ユダヤ人虐殺に加担しながら、戦後も生き残る「巨悪」
「ファルベンの毒ガス実験―最初はサルで試していたが、そのうち集団キャンプから連れてきた人間の生体を実験に供した」(p.223)
「ポツダム宣言後の証言によれば、イー・ゲーの潜在的生産能力の87%は、戦争によっても破壊されず、従ってファルベンはいつでも運営を開始しようとしていた。1946年1月17日のUP通信によれば、イー・ゲーの普通株は『三週間もしないうちに26.5ポイントも騰貴していた』」(p.228)
戦前、戦中、戦後をも含めて、イー・ゲー・ファルベンは世界中にその子会社、孫会社を残している。その関連企業ということでは、限りなく膨らんでいく。これらの会社は、戦後「分離・独立」という形式をとって親会社から切りはなされているのではあるが、当然ながら同族の企業グループに属している。
「『ひもはすべてドイツから手繰られていた。』これは1942年にキルゴァ上院議員が、合成ゴムに関するトルーマン委員会の公聴会で語ったところである。彼のこの想定は、その後1945年にキルゴァ委員会がアメリカ陸軍によるファルベンの世界化学王国に関する証言を聞いた時、全く的中していたことが分かった。…そこで分かったことは、合成ゴムにおいてもその他多くの化学分野においても、ひもはドイツから手繰られており、しかもそのひもはイー・ゲー・ファルベンがにぎっていたことである。」(p.213)
「証拠が示したところでは、ファルベンは『名目上は一介の私企業であったが、実はドイツ国家に仕える巨大な帝国』であった。出来るだけ内輪に見積もっても、それは380のドイツ会社を支配し、世界の93か国にわたって散在した500以上の会社を保有していた。同社は、地上における最大最強の化学トラストとして、多くの国の諸会社と2000以上のカルテル協定を結んでいた。その外国持ち株や契約の一部はあまりにもうまくカムフラージュされていたため、全貌は永久に知られることがないだろう。」(pp215-6)
最後にこの書のラストで触れられた、最も不気味な警告をご紹介してこの稿を締めたい。
「注意せよ!原子力のカルテル化に注意せよ!」…「もし原子力がひとたびカルテルの手中に入れば、イー・ゲーとナチスの場合とまったく同じように、たちまちカルテルと軍部のなれ合いが成立するだろう。そうすればこの世はたちまち『一つの世界』-ただし隷従の一つの世界-に変わってしまうだろう。」(pp.241-3)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0218:160318〕
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