トイレが近くて
- 2016年 3月 21日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
私はトレイが近い。知り合いから、歳のせいではないか、一度医者に行って来いと言われたこともある。ありがたいアドバイスなのだが、十代の後半には近かったら、歳のせいではない。夏の暑い日に屋外で作業すれば、汗で水分が出てしまうからだろうが、半日以上ゆかないこともある。要は摂取する水分と発汗の関係からトイレに行く頻度が決まっているだけだろう。トイレが近いといっても病気というほどのことでもないと思っている。
それでも、もしかしたらと気になって、Webで調べてみた。「日本泌尿器学会」のホームページ上の記載だから信頼はおけると思うのだが、いまいちはっきりしない。そこには朝起きてから寝るまで八回以上は頻尿と書いてある。そうなら病気かと続きを読むと、一日の排尿の回数は人によって様々なので、何回以上が異常とはいえず。。。八回以下でも自分で回数が多いと思えば頻尿と言えるとある。
人によって様々なうえに、その日の水分の摂取量と発汗などから排尿にもばらつきがある。白黒をはっきり言い切れないのも分かるが、八回以下でも自分で思えば頻尿ということは、八回を超えても、これこれこうだから今日は、今はトイレの回数が多いのだと説明がつけば頻尿ではないということになりはしないか?
生活習慣病というのを言われるようになって久しいが、では水分摂取が多いからトイレが近いのも生活習慣病の一つなのかという疑問すらでてくる。気にして水分の摂取を控えれば、当然のようにトイレに行くことが少ない。であれば、それは生活習慣病ではないとも考えられる。説明がつくトイレの近さであれは、さして頻尿を気にすることでもないと、勝手に納得している。
ところが日常生活では頻尿が故に、いろいろな不都合というのか困ったことがおきる。朝最寄駅で降りて、事務所に行く途中でコンビニに入って、ペットボトルの紅茶か緑茶、たまにコーヒーを買って行った。事務所につくなり、仕事にかかる前に、給茶機でお茶をいれるのも、コーヒーサーバーでコーヒーを入れるも面倒だし、気が引ける。かといって何か飲み物がないのも寂しい。一時間以上かかる通勤で喉も乾いている。そこで、仕事をしながらのペットボトルの飲料がかかせない。
夏はクーラーが利いていて、冬は部屋が温まるまで足元は結構冷えている。さっさと朝の仕事を片付けようとするのだが、そこに水分補給がちょっと多かったりすると、トイレ行が始まる。どういう理由(わけ)か分からないのだが、一度トイレに行きだすと、たいした時間も経っていないのに、また、またかよという感じでトレイに行きたくなる。何度も行けば排水量もしれていると思うのだが、経験からはそうでもない。行けば行ったで、多くはないが不思議なことにきちんとした量がでてくる。
来客があったり、社内のちょっとした会議で自分が座長のような立場にいるにもかかわらず、トイレ行が始まってしまうと、なんともばつが悪い。「申し訳ございません」「ごめん、ちょっと」などといってトイレに抜けて、急いで帰ってくるのだが、また行きたくなる。できるだけ我慢するのだが、なんとも生理的要求には勝てない。
特に酒の席では、きまりは悪いし情けない、いい歳をして申し訳ないやら、何ともさまにならないことになる。ビールにしても焼酎にしてもウィスキーにしても、どんな酒でも酔っぱらう前にトイレに行きたくなる。仕事の関係の人たちや知り合いとの飲み食いも終わって、電車に乗って帰宅するのだが、店を出る前のトイレは欠かせない。それでも駅でまたトイレに行って、しばし途中下車までしてトイレにで、家に着くまでに何回もトイレにゆくことがある。途中で事故でもあって電車が止まりでもしたらどうしようって、乗っていても気が気じゃない。
こんな実に個人的な生理的な問題を、多くの人たちがあいつは何やってんだ、何度も席を外して、人の話の腰を折って、。。。と思っているのが分かる。なんとかその場を保ちたいのだが、どうにもこうにも生理的な要求にはいかんともしがたく、お会いした方々には失礼をしてきた。生理的に何らかの改善?というのか変化でもない限り、この問題は解決できないと思う。情けないが、申し訳ない。ご容赦頂きたい、と言っても、だからどうした、お前とは付き合わんと言われれば、それはそれでしょうがないとあきらめるしかない。ただ、生理的な問題と人としての気持ちや考えとは切り離して考えて頂けないかという、かなわぬお願いがある。
酒で失敗したというのは昔からある話だが、小便で失敗したという話は聞いたことがない。まさか自分が歴史的にも稀な「小便で失敗した」なんて、ないよなと思いつつ、すでにしているかもしれないという気もする。
<ヨーロッパトイレ事情>
ヨーロッパには仕事ででかけたことがあるだけで、住んだことはない。長くても一二週間の滞在だから経験できることはしれている。出張で行ったヨーロッパの国は下記の通り。
イギリス、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランス、スイス、スペイン、イタリア
拙い経験からでしかないが、行くたびに公衆トイレが見つからないで困った。文明国(?)だから、ないことはないと思うのだが簡単には見つからない。デパートでもショッピングモールでも、あることにはあるのだが、どこもトイレ番の女性がいて小銭を払わないと使えない。そのたびに小銭を探してがめんどくさい。トイレが近いものにとって、ヨーロッパは生理的に相性が悪い。
移民や貧しい人たちのなかには、小銭であっても金を払ってトイレを使うことを潔し(?)としない人たちもいるし、酔っ払いはどこにもいる。その人たちには人目につかないところなら、どこでもトイレになる。庶民の街で人目につかないところが日常的に繰り返されて、ヨーロッパに憧憬の念のある日本人には、ちょっと信じられないだろうが、驚く香に包まれた街ができあがる。それは臭いで、幸いなことにテレビや映画では分からない。行ってみて、はじめて人が犬と似たようなことになっていることに気付く。たかがトイレの話だが、これが畏敬の念さえあるヨーロッパの現実の一面であることも事実で、この現実を体験してしまうと、ヨーロッパもその程度かと思えてくる。きらびやかな文化の後ろに「小便臭い」街並みがある。
テレビで大規模なデモを見るたびに、あの人たち、トイレはどうしてるんだろうって、いらぬ心配をしてしまう。テレビで見ているから心配で済むが、もし自分がそこにいたらどうなるんだろうと思うと、参加をためらう。まさか機動隊のお兄さんに「トイレはどこでしょう?」って訊くのも気が引ける。訊いたら親切に教えてくれる度量の大きなお兄さん、いるのかな?
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5981:160321〕
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