「短歌サロン九条」(憲法九条を守る歌人の会)“柳原白蓮を語る”に参加しました ~「評伝」におけるオマージュについて
- 2016年 3月 21日
- カルチャー
- 内野光子
会員ではないけれど、いつも会報『歌のひびき』を頂いていて、3月19日の例会で、中西洋子さんの柳原白蓮についてのレポートがあることを知った。今回ばかりは、ぜひお聞きしたい報告であった。私は、2年ほど前に、白蓮が編集した『塹壕の砂文字』(1938年)という短歌のアンソロジーを入手していた。その表題紙に近い遊び紙に、白蓮の手になるサインと献呈先が書かれていて、その献呈先の名前が気になっていた。その名前の検索に端を発して、白蓮のことを調べ始め、その顛末をある雑誌に寄稿したばかりだったのだ。まだ、調査の途上だったからである。
会場は、八丁堀の喫茶店貸切りで、24名の参加者であった。中西さんの報告は「柳原白蓮と戦後の活動」と題されていたが、やはり、1945年以前の話が中心となった。白蓮や宮崎龍介の出自にもわたり、歌集の作品に添った鑑賞もあり、とても分かりやすかった。私も時代、時代の初出作品はなるべく読むようにしてきたが、「歌集」として読み通すことはなかったので、その変化などに言及された点が興味深く思われた。さらに、これまでの中西さんの論考では、触れていなかった上記『塹壕の砂文字』の編集については、前線や銃後の人々という弱者への配慮が行き届いている点を強調された。また、これまで触れることのなかった『皇道世界』(1944年2月)に発表された「吾子は召されて」の作品もレジュメに記載されていたことだった。
レポート終了後、私は、初めての参加ながら、少し図々しかったかもしれないが、つぎの2点を確かめておきたいと質問した。私自身は、関心のある歌人に向き合うとき、日中戦争下、表現者としてどんな作品を発表し、どんな行動をしたか、それを戦後どのように考え、歌人としての活動をどのように続けたか、に着目することにしている。したがって、一つは、白蓮についても、『塹壕の砂文字』に寄稿している十首、長男が学徒出陣で出征したときに繰り返し寄稿していた作品群と戦後の作品とのギャップというか整合性についてどう考えるか、であり、一つは、上記の『塹壕の砂文字』の献呈先から、行き着いた生長の家、当時の大陸侵攻、天皇崇拝、聖戦完遂を積極的に推進していた生長の家との関係についてであった。中西さんは、白蓮は、時代と素直に向き合っていたことはたしかで、何が本心だったのか、分かりません、とも答えられ、また、白蓮の宗教観は、仏教はじめ大本教や天理教などの宗教に対しては、広く関心を示し、招ばれれば、どこへでも出かけて行って、講演などいとわなかった、との話をされた。
その後、この会の恒例ということで、参加者全員の感想が述べられた。多くの方は、白蓮の華やかな、あるいはスキャンダラスな面しか知らなかったので、今回全体像を知ることができた、勉強できたというものだった。戦時下の作品や言動については、当時は、誰もが権力者に逆らうことができなかった、あるいはマインドコントロール下にあったが、長男の戦死によって、目が覚めて戦後の活動に繋がったことがわかった・・・との発言、「あの白蓮さえも、戦後は平和運動に命をかけたのだ」という思想の変遷、弱い者へのまなざしは自分の出自や社会運動家となった宮崎龍介の影響もある、などといった感想や応答を聞いていて、思うことは多々あった。
一人の人間の生涯を見つめるとき、その足跡の意外性や物語性に目を奪われて、たとえばその思想の変容の軌跡を、他愛なく許容してしまってはいないか。実は、その底に流れているものを見過ごしてはいないかが、私には重要な課題である。ちょうど、『短歌研究』4月号の特集「評伝を考える」が興味深かった。評伝のスタートは、「一次資料」であって、家族や遺族に依拠する資料や証言は、執筆者にとっては、補充資料だろう。関係者への配慮があると、ほんとうの評伝は書けず、たんなるオマージュになる可能性が高くなるのではないか、と思っていた矢先であった。評伝にかぎらず、近頃のマス・メディアの識者のコメントや登場人物の傾向を見ていると、その人の過去の言動には、目もくれず、現在の、そのメディアの都合の良いことばだけがピックアップされ、中身というより、現在の肩書にものを言わせるような流れが出来上がってしまっていないか。そんなところに、今、話題にもなっている「学歴詐称」問題も浮上したのだと思う。
私は、二次会に参加できなかったのだが、会終了後の立ち話ができたのが収穫でもあった。何人かの方に、声をかけていただいたが、拙ブログの「ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗<歌壇>選者に」(2015年12月29日)を読んだ方がいらっしゃって、「今野さんという選者選びがおかしい」「編集部から、これまでの赤旗の選者たちには全く相談がなかったらしいです」と、党機関紙の姿勢に疑問を投げる人もいた。そう、きょうの参加者の中には、現役、過去も含めて赤旗歌壇選者が数名いらっしゃったのである。「今野さんの歌会始の短歌、ひどいですよね」「赤旗歌壇の今野さんの選が、あまりにもおもねているので、驚いちゃった」といった声もあったのだ。
雨が上がった週末の広尾界隈、初めて通る道もあった。
追記:なお、冒頭の白蓮についての拙文は、『日本古書通信』4月号(4月15日発売)に掲載予定です。
初出:「内野光子のブログ」2016.03.20より許可を得て転載
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