東京高裁へ、恥を知れ-はみ出し駐在記(90)
- 2016年 4月 1日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
病気もせず、そのまま駐在させておけたら、こんなことにはならなかったと地団駄を踏んだ人も結構いたと思う。証言台に立たれるまで、まさかここまで厄介なヤツだとは思ってもいなかったろう。
帰国早々、親しい活動家仲間から電話があった。話は聞かなくても分かっていた。話しを遮って「心配するな、分かってる。事実は事実として全部話してやる。嘘は言わん。。。」
社会人にはなろうとしたが、上手く阿ねて会社人というガラじゃない。出世しようなどという気ははなからない。「義を見て為さざるは。。。」などと大仰だったことでもない。事実を事実として、まっさらな気持ちで生きてゆこうと思っていただけで、理不尽に呻吟している仲間を放ってはおけない。
ニューヨークに赴任する直前、活動家仲間の一人がデュッセルドルフ駐在の辞令を拒否して、数か月後には解雇された。帰国したとき、解雇を不当として身分保全の訴訟を起こして戦っていた。駐在員候補は他にいくらでもいたし、都立大出の優秀な技術屋が適任とも思えなかった。一人っ子だった彼は高齢の両親の健康を気にかけて、ちょっと遠いが実家から通える距離にある会社に就職した。バイアスを排除して状況を真正面からみれば、辞令は活動家としての彼への嫌がらせででしかない。
あいつは駐在辞令を拒否してお前は駐在は、おかしいんじゃないかと思う人もいただろう。それは二人のおかれた状況の違いが、二人をして違う選択肢を選ばせたということにすぎない。都立大を出て電気制御屋としての道を歩んでいた彼とは立場が違う。
研究所から子会社の輸出商社に飛ばされ、技術屋への道は閉ざされて飼い殺し状態だった。東京の子会社に追い払ったのに、しょっちゅう工場に顔をだす。顔を出しては組合事務所に出入りしている。煩わしいから、いっそのこと海外に飛ばしてしまえというのが本音だったろう。国払いになった。どうせ、いてもしょうがないところにいる身、多少のためらいも不安もあったが、いいじゃないかとニューヨークに行った。
四年ほどの間に身分保全の訴えの場が千葉地裁から東京高裁に移っていた。弁護士事務所で大筋の話を聞いて、山のように積み上げられた公判記録を目の前にしてちょっと腰が引けた。いやいやたいしたことないからという彼の弁に引きずられて、いくつかを手にした。見た目のかさに気圧(けお)されるが、情報密度が極端に低い。
彼が重要と考えていた公判記録数冊を渡された。よく存じ上げている、一世代前の先輩駐在員の証言もあれば、海外に出たこともなく、どこで海外市場に関与されたのかという人のもあった。仕事で直接お世話になっていた方々が証言してなかったのがせめてもの救いだった。
渡された数冊に目を通していって、なにこれ?という証言に何度も何度も引っかかった。傍聴席で聞ける生の証言ではなく、公判記録として記述されたものを読んだだけなので、言い方による違いやニュアンスは分からない。それでも、そこには視点の違いや立場の違い、考え方の違いなどなどによる意見の違いとは別の次元の世界があった。よく引合いに出されるコップに水が半分は入っていると言うのか、半分空だと言うのかというような視点の違いによるものではないことは、証言された方々が一番ご存じのはずだ。
「駐在員は会社の将来を背負って立つ若きエリートだ」という虚構の構築が完了していた。虚構の構成要素を関係者の証言のかたちで作り上げ、それを積み重ねる手堅い手法だった。手法は手堅いが事実がない。事実かどうかにおかまいなく、会社に都合のいい虚構の構築のために言いたい放題。作り話でしかないのに、駐在員の仕事や生活になると原告側には反論できる人がいなかった。
四年もかけて築き上げてきた虚構、一見難攻不落に見えるが、所詮業界知らずの弁護士が描いたずぼらな設計で作った張りぼてでしかない。そんなもの、策を弄するまでのこともない、正攻法で押せば潰れる。
業界によっても違いもあるだろうが、七十年代も末、工作機械業界の米国駐在員の中には冗談半分、卑下半分で自らをデリートと呼んでいた人もいた。人材という意味でも、待遇をみても五十年代や六十年代の華やかな頃とは違う。駐在に出れば、組織も設備もないところで専門外どころか、どぶ掃除のような雑用も含めて、ありとあらゆることを一人でなんとかしなければならない。それはそれで将来の糧にはなるが、技術屋としての専門分野での成長は望めない。
日本語の「技術」の定義があいまいで、テクノロージーや、そこまでゆくとサイエンスと呼ぶべき領域から技能に過ぎないものまで、全てを技術と一括りにしていることが多い。工作機械屋で「技術」と言ったときに何を指しているのかリストアップすれば、次のようになる。1)新しい方法や手段を開発する、2)機械を設計する、3)機械を製造する、4)機械を使う、5)故障した機械を修理する。ここで技術と呼べるのは1)から3)までで、5)は明らかに技能の分野、4)は両者のいずれのケースもある。駐在員に求められるのは、ほとんどのケースで5)、たまに4)がある。学卒の将来を嘱望される若い人材を5)には充当しない。
機械の据え付けや修理に走り回るフィールドサービス要員は、長きにわたって高卒がほとんどで、高専出が増えてきていた。管理職になって海外支社の経営という駐在はあっても、将来個々の部隊の中枢を担うことを嘱望されていた学卒の若い人たちは、出張までで駐在には出さなかった。会社の主張「駐在員は若きエリート」は歴史的事実に照らしても嘘だった。
証言された何人もの方々は、こう証言すれば、こう虚構の構築が進むことを知っていて、よくぞそこまでと驚くほどの真っ赤な嘘をついて、虚構の構成部品を作っていた。裁判所という公の場で、嘘が偽証罪に問われることも承知で、個々の構成部品つくりの役割分担さえしていた。
その方々、年齢からして就学年齢に達した子供もいたはずで、家に帰れば子供に嘘はダメと言い聞かせているはずの人たちだった。どなたも自らの意思で証言台に上ったのではないだろう。会社組織のなかで明示か暗黙かにかかわらず何らかの強制力をして、労働争議などなければ、ただの善意の人で過ごせた方々に、組織だった虚構構築をさせていた。
会社にとって都合のいい証言を拒んだところで、当時職を失うことはなかった。ただ間違いなく冷遇されただろう。会社のためという都合のいい大義名分を持ち出して、保身を正当化する中堅社員。ロジックで身分保全の正当性を主張している従業員一人満足に説得できずに、会社組織ぐるみで虚構を作り上げて、脅迫じみた環境ででしか従業員に服従をせまることができない経営陣とその従者たち。偽証が、偽証を依頼、指示したことが適法かどうかの問題ではない。ことは、経営者、会社員、従業員などである以前の人としての存在そのもの、人としての尊厳の問題になる。虚構構築に関与した方々も、嘘も方便とか視点や考え方の違いとかいう逃げ口上が通用しないことを理解する最低限の知能はあったはずだ。知能だ、あえてあの人たちに良識を求める気はない。その後、自らがなさったことを次の世代になんと説明してきたのか。大方、口を噤んで隠し通して来たのだろう。それで一社会人としてまっとうに生きてきたとでも思っているのか。「恥を知れ」という以外の言葉が見当たらない。
東京高裁で、当時労働争議を専門とした総資本のお抱え金満弁護士、記憶に間違いがなければ竹内桃太郎のヤクザのような挑発に乗って言い合わざるを得なかった。強圧的にでれば、恐れてたじろぐとでも思っていたのだろう。最初から恫喝に近い口調で支離滅裂な論理?を振り回して突っかかってきた。オヤジと息子の年齢差、名のある弁護士と一介の駐在員崩れ、明らかに人を呑んでかかってきた。
その程度のものにレベルを合わせて言い合いたくはなかったが、一つひとつ事実をならべて、何も言えなくなるまで押し返していった。何を証言するわけでもない、事実を事実として、ありのままに言うだけで、恐れるも恐れないもない。否定のしようがない事実、好き嫌いの話でもない。作り話と事実、はなから勝負はついている。ヤクザのような辣腕(?)弁護士でも、築き上げてきた虚構の崩壊を防げなかった。あっけなく崩れてなくなった。
砂上の楼閣なら楼閣は本物だが、それは蜃気楼以下の嘘で作った虚構。事実を事実として見てゆけば、半分居眠りをしていた副裁判官でも分かる。虚構の設計図を描いた弁護士とその設計図を支えた人たち、いったい何を考えていたのかいまだに分からない。『不思議の国のアリス』ならまだしも、ゲッベルスほどの能があるわけでもなし、「嘘の国のオヤジ」は醜悪以外のなにものでもない。
どの争点でも切り返す手立てを失っていった金満弁護士、言い勝ってしたり顔の三十前の若造に腹を立てていたのだろう。なんでそんなところにというところに争点を振っては墓穴を掘っていった。あまりに勉強不足で工作機械事業のなんたるか、そこにどのような人材が必要かという必須の知識がない。無知な弁護士が些細な周辺の話しで突こうとするものだから、後になって埋めておけばよかったかもしれないと思う隙間も埋め尽くせた。それは数手先すら読む必要もない詰将棋のようなもので、あまりの無様さに哀憐の情さえ湧いてきた。もう、会社側に大勢をひっくり返すような手は残っていない。
二回も出廷すれば終わりだと思っていたのに、竹内桃太郎がああだのこうだの言ってくるから、四回も証言台に立たされた。四回目は短かった。それこそどうでもいいことしか言ってこないし当初の迫力もない。こんなことで出廷させるなと言いたくなったが、途中で終わったことに気が付いた。
ちょっとしたら会社が謝罪のひとつもなしに示談を言いだした。もう失う体面もないものが、それでもまだ繕う体面が残っていると思っているのかのようで、陋劣な見苦しいものだった。
虚構にのって虚勢を張ってたのが、去勢されたかのように急におとなしくなった。なにかの拍子で顔を合わせる度に、人を睨みつけていた人事総務畑の使いっ走りが顔を伏せて足早に逃げてゆく。まるで頼みの用心棒が切られてしまった三下やくざのようだった。権威や権力を笠に着てしか生きられない、自分のない寂しい人たちなのかもしれない。
基本的なところで嘘で作った虚構が必要な組織は最終的にはもたない。国のレベルでいえば、ソ連の崩壊も歴史上の多くの独裁国家も、たとえ一時の輝きがあったとしても、最終的には崩壊を免れなかった。あれから三十余年、嘘で守ろうとした会社も倒産して、きれいさっぱりなくなった。人間の尊厳まで堕して、あの人たちはいったい何を守ろうとしたのか。守ろうとしたものにどれほどの価値や意味があったのだろう。
残念ながら今でも似たような状況にある組織や人も結構いるだろう。個人ができることは限られている。限られてはいるが、個人が生きないところに、まともな社会があろうはずもない。まともな社会にいたいと思う。その社会で後悔も恥もできるだけ少ない人生をおくれたらと思う。
完
『はみ出し駐在記』を完了します。
書き残したものは日を改めて投稿します。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6000:160401〕
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