「友愛」の復権について
- 2016年 4月 1日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
前近代社会から近代社会が分離自生するプロセスの中で交換(Ex.)、再分配(Red.)、互酬(Rec.)なる社会的統合因が離床自立して、市場、計画、協議なる経済メカニズム、経済システム、経済ネットワークに転生し機構化する。かかる下部構造に並行関連して、自由(L)、平等(E)、友愛(F)の近代三理念が上部構造として姿を現した。バランスのとれた機能する政治経済社会は、市場・計画・協議の三位節合――いずれかが主導するにしても――であらざるを得ない。バランスのとれた躍動する政治文化社会は、自由・平等・友愛の三色節合であらざるを得ない。
自由・平等・友愛は、1789年フランス大革命を象徴すると観念されて来た。たしかに、自由と平等は、アメリカ独立革命・フランス革命、いわゆる北大西洋革命の主導理念であったが、友愛は、1848年革命になって、フランス市民社会に定着したと言われる。広くフランス外に目を向ければ、ハプスブルグ大帝国動揺の時代、いわゆる諸民族の春の時代であった。友愛は、Fraterniteである。英語に直訳すれば、Brotherhood、兄弟愛である。
近代三理念、自由・平等・友愛の中で友愛は異色である。自由も平等も家族関係・血族関係から離れた無機的な響きがあるのに対して、兄弟愛⇒兄弟姉妹愛⇒友愛は、原義的にPaternalism(父親的温情主義、Paterは父親)と同じく、家族・血縁関係の響きがあり、有機的である。
かつて、東京国際大学で一緒に働いたことのある故遅塚忠躬教授、フランス史の大家に次のように質問したことがある。「フランス大革命では王と王妃を断頭台上で公開処刑してしまった。フランス市民は、父母を要とする家族にアナロジーする事で社会的統合を企画する事を断念した。そして、自由と平等と言う市民個々人に傾斜した二理念で社会的分裂を修復しようとしたが成功せず、諸市民間にすでに父母は亡けれども、同じ兄弟姉妹である事を再発見して、社会的統合の方向性を確立した。これがフランス民族の形成ではありませんか。友愛、Fraterniteは民族観念の核心ではありませんか。」私の記憶が正しければ、遅塚教授は否定されなかった。
近代化の画期において、国父と国母をギロチンにかけてしまった近代人は、親子関係ではなく、兄弟姉妹の相互関係に着目して社会的統合を実現し、その内部で自由と平等を志向することになった。
兄弟姉妹関係の自然的延長、つまり歴史的、文化的、宗教的、言語的延長が民族である。かかる延長的人間集団は、決して人類共同体ではなく、民族共同体である。その範囲内で自由と平等を実質化する事ができる。その範囲外では友愛は希薄化し、不自由も不平等も自然現象となる。20世紀に入ると、第一次世界大戦の敗北がハプスブルグ王家とホーエンツォレルン王家を歴史から退場させた。ロシア十月社会主義革命がロマノフ王家のニコライ二世の家族を非公開で処刑した。当時の革命家は、フランス革命に魅せられていた。国父・国母を失ったヨーロッパのほぼ全域で友愛に立脚する社会的再統合が必然化せざるを得ない。
ナチスが友愛という用語を用いたかどうかはつまびらかではないが、ナチス・ドイツは、民族的友愛共同体の最もグロテスクな表現であった。そこでの民族観念は、人種観念と結び付けられ、優等とされたゲルマン民族を頂上とする西欧諸民族とは異なって、劣等とされたユダヤ民族とスラヴ民族はジェノサイドや大虐殺の対象とされた。第二次大戦における西欧戦域とロシア・東欧・バルカン戦域における犠牲者数の大格差は、ナチス・ドイツがロシア・東欧・バルカンの諸民族に対して一切の友愛感情、兄弟姉妹感情を持ち合せていなかった事を物語る。
第二次大戦後、自由と平等を友愛に包摂して真の社会主義を実現せんとした歴史的実験である旧ユーゴスラヴィア・チトー大統領がかかげたスローガンは、Bratstvo i Jedinstvo
「友愛と団結」であった。失敗したとは言え、ナチス・ドイツとは真逆の友愛の試行であった。但し、労働者自主管理の最盛期、チトー大統領が国父然として厳存していたことを忘れてはなるまい。
最後に一言。訳語として「友愛」か「博愛」か。「兄弟愛」の延長として了解できる「友愛」をとる。数年前、『皇帝と公爵』なる映画を観たことがある。1973年ピノチェト軍事独裁を逃れて来た二人のチリ人映画作家による映像だ。1810年にナポレオンのフランス国民軍がポルトガルに侵攻した時の戦争が主題だ。私の記憶に残っている科白を紹介しよう。フランス革命の理念に感動して、フランス軍と共にヨーロッパ各地を歴戦して来たポルトガル人知識人が現実の革命軍の姿に幻滅して発した言葉だ。「結局、ナポレオン兄弟の博愛にすぎなかった。」(強調は岩田)私は、字幕の博愛がFraterniteの訳語だと知っていたからポルトガル人の言葉の刺がわかった。「結局、ナポレオン兄弟の兄弟愛にすぎなかった。」
平成28年3月31日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6002:160401〕
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