連休の前、5年後の被災地へ、はじめて~盛岡・石巻・女川へ(1)
- 2016年 5月 8日
- カルチャー
- 内野光子
連休中にもかかわらず、当ブログにお訪ねくださった方も多く、恐縮しています。時節柄、多くは、自治会会費や社協・日赤関係記事へのアクセスですが、熊本地震への義捐金にかかわってのアクセスも混じっていたと思います。続く余震の中、被災者の方々には、ただただお見舞いの言葉しか申し上げられず、むなしさが募っています。 一か月以上も、長い間、ブログへの投稿が途切れてしまいました。ともかく、目の前の仕事に追われ、その途中、かねてからの予定通り、連休前に、東北旅行に出ました。4月29日に帰宅した折には、わが家の垣根は、テッセンの花盛りになっていました。
4月26日午後、連れ合いが、盛岡で、岩手県生協関係団体のTPP学習会で報告をするというので、便乗してついて行くことにしていた。はらずも、開業間もない「はやぶさ」10時24分発に乗ることになり、指定も7割くらいは埋まっていたか。盛岡には12時半過ぎには到着。ホテルに荷物を預け、学習会会場へ。「TPP合意の内容、くらしへの影響」と題された話、端々には聞いてはいるものの、まともに客席で聴いたのは久しぶりである。国会審議最中に明らかになった西川公也『TPPの真実』の内容、結局出版取りやめになったものの、ゲラ刷りが出回って、交渉過程は秘密と言いながら、結構踏み込んで書かれているという。熊本地震対応もあって、結局批准は先送りになった。問題は山積みで、この日は、TPPは、定着しかけてきた「地産地消」を侵害し、高額医療・薬価高止まりを助長し、国民の命が危なくなるという話は身につまされた。ご苦労様でした。
高松の池、平和の像は桜吹雪くなか
生協、農協関係の二方のご案内で、桜の名所でもあるという「高松の池」まで。「先週末が最後の見ごろ」ということだったが、遊歩道は、ジョガーが行き交い、散った桜が薄紅のじゅうたんを敷いたようでもあった。ここには、二つの平和の像があるという。最初に案内してもらったのは、岩手県生協連と婦人団体、青年団体、原爆被害団体協議会4つの市民団体の提唱・賛同により、1995年に建立された、郷土の彫刻家、舟越保武とその弟子による家族の群像「望み」だった。もう一つは、池のちょうど対岸に位置する、自身もシベリア抑留体験者であった佐藤忠良による「ひまわり」、とてもかわいらしい少女像である。少し風が冷たくなり、池の端の桜並木から、目を空に転じると、雪を頂いた岩手山が望めるのだった。
高松の池、平和記念像「望み」舟越保武他制作
高松の池から岩手山を望む
そして次にと案内いただいたのは、材木町の「光原社」だった。材木町の「いはーとぶアベニュー」と名付けられた商店街は、なかなか雰囲気のある通りで、その真ん中あたり、生前の宮沢賢治が出版した唯一の童話集「注文の多い料理店」、その印刷・出版をしたのが友人の経営になる「光原社」だったらしい。通りから一歩、店の中庭に踏み入れると、大正の香がする、独特の世界が展開する。喫茶室も資料室もあり、中庭を突き抜けると、北上川に直面する。通りの向かいには、民芸店があり、陶器、鉄器、笊、織物からアクセサリーまで有り、時間が許すなら、ゆっくりしたいところであった。 夜は、生協連の方々との会食となり、さまざまはお話を伺うことになった。ありがとうございました。
光原社中庭
光原社、中庭から望む北上川
かつては松尾鉱山から流れる汚水で川は赤かったとそうだ
初出:「内野光子のブログ」2016.05.08より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/5-890a.html
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〔culture0243:160508〕
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