「新左翼はなぜ力を亡くしたのか」仮説
- 2016年 6月 18日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
「変革のための総合誌」『情況』(2016年4/5月)の巻頭論文「新左翼はなぜ力を亡くしたのか?」を読んだ。そこで論じられていない仮説的視角から同じ問題を考えてみたい。
数日前、ある研究会に参加した。かつて自分達の人生の相当期間を新左翼運動で活躍して来た老壮世代がメインな出席者であった。そこで、ある人が新左翼の達成した歴史的功績としてスターリン主義を解体させた事を挙げた。新左翼の実践、特に反スターリン主義の理論闘争がなかったならば、今日でも西ヨーロッパにおいてさえスターリン主義がはびこっているだろう、と言われた。
それはその通りだろう。しかしながら、ある種の異和感が私には残る。
左翼の基本性格は、私有財産制と市場原理の統合を絶対原理とする資本主義的社会編成に対する批判にある。資本主義的社会編成を原理的に批判し、実践的に革命するか。あるいは、原理的批判にあえてとどまり、それに機能上の制約を課すか。実践的には、左翼のあり方は様々であっても、私有財産制と自由競争原理を社会編成の唯一原理とする思想に異を唱える所では共通であろう。
スターリン主義も亦、かかる左翼の一つの巨大な現実態であった。その一党独裁的国有国営制計画経済が「人間の顔をした」社会主義に脱皮出来ずに、「人間の顔をした」資本主義に一時期変身できた先進資本主義諸国との経済競争、軍事競争、思想闘争、一言で言えば、文明闘争に敗北し、内部から自崩した。日本の新左翼は、その誕生当初から、すなわちスターリン主義が強大かつ神聖に思われていた1950年代から、スターリン主義の体制と思想を批判し続けて来た。例えば、ポーランドにおける反官僚制の労働者運動とその結実としての自主管理労組「連帯」への熱烈な支援活動。そして「連帯」労組議長の労働者ワレンサ氏一行の訪日にあたってのあの大々々的歓迎。前世紀の1980年前後の歴史であるが、私=岩田のまなこの奥に今でもよみがえって来る。
しかしながら、1989年から1991年にかけて、ソ連東欧諸国でスターリン主義権力がなだれをうって崩壊する。新左翼は、自分達が思想する真の社会主義社会への移行の好機到来とばかりに脱スターリン主義ポーランド等に期待するような事は全くなかった。脱スターリン主義諸国のネオリベ的資本主義への移行を完全にアメリカ資本主義のリーダーシップにまかせてしまった。自分達が支援したポーランド「連帯」労組がスターリン主義権力によって弾圧されることにあれほど抗議しながら、ワレンサ大統領のネオリベ政権が「連帯」労働者団結の基盤である重化学企業を次々に閉鎖し、大量の失業者を産み出す事に一言も抗議しなかった。労働者のシンボルであった「連帯」議長ワレンサ氏がスターリン主義権力打倒後に新興企業家層のシンボル、大統領ワレンサ氏に一夜にして変身する奇跡を無言で見守るだけで、問題にさえしなかった。
「新左翼はなぜ力を亡くしたのか」は、新左翼の実質的目的が、特に新左翼知識人のそれが資本主義批判と言うよりも、資本主義批判のグロテスクな現実態スターリン主義の批判にあったと仮定すれば、理解しやすいし、説明しやすい。すなわち、1989年から1991年におけるソ連東欧のスターリン主義体制の自崩で目的が客観的に達成され、自己の存在目的を失ったからである。東大に入学してしまってから、受験勉強に精を出すものはいない。
スターリン主義体制からすれば、アメリカの資本主義的原理主義と新左翼のマルクス主義的理想主義の分進合撃にやられたわけだ。いわゆる「別個に進んで一緒に討て」だ。そして、アメリカ資本主義は主に現実、つまりハイエナだから、スターリン主義体制の死体処理に当然利害関心を持つ。新左翼は主に観念であるから、つまりハイエナではないから、死体処理に利害関心を持たなかった。
最後に一言、かくして資本主義は、「人間の顔をした」資本主義であり続ける理由を失う。
平成28年6月17日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6150:160618〕
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