長寿動物表彰を受けた「とら」の最期
- 2016年 10月 18日
- カルチャー
- 熊王信之
昨年の10月4日に、「長寿動物表彰を受けた『とら』」と云うごく個人的な拙稿を投稿しました。
長寿動物表彰を受けた「とら」 ちきゅう座
http://chikyuza.net/archives/56867
何かの因縁でしょうか、一年後の本年10月3日、「とら」は、空の果てに旅立ちました。
以下は、個人的な飼い猫の最期に纏わる些事の纏めであり、また、或る下層の人間と猫との偶然の出会いから別れにおける思い出の一篇に過ぎません。 世間的にも、現今の社会に於ける意義的にも何等の意味も持ちえない些細な事柄でありましょう。
でも、私には、或る猫の生涯が或る人間にとって、大きな意味を持つことも有る、と云うことを世間に知って頂きたい、と思われるのです。
「とら」は、腎臓病罹患が発覚後、闘病の甲斐あって、本年夏まで、腎臓病の進行を最小限に抑えることに成功しつつ、19年と五カ月を過ごして来ました。 でもそれが、9月の中頃から変調を来し、まず食欲が減退したために流動食を中心とする食生活に切り換えざるを得ませんでした。
昨年夏からの自宅輸液(点滴)で血液検査の結果は良好でしたので、思わぬ体調の悪化には狼狽えましたが、数年前から流動食を栄養補充の意味合いで与えて来た経過から、躊躇なく流動食中心に切り替えて経過を観ました。
ところが、9月28日早朝に、決定的な体調の悪化があり、罹りつけの獣医院へ駆けつけました。 その時点では、未だ、経過を観ることになり、数日の後に別れをしなければならないとは思いませんでした。
以下は、罹りつけの獣医宛では無く、少し規模が大きい獣医院の眼科と腎臓病の主治医宛の私信で、私の数日間の狼狽振りが良く分かる内容になっています。 それ程に、「とら」の症状が急変して行く様が顕著でした。
(以下メール私信 固有名詞は、伏せてあります。)
平成28年10月2日
○○動物病院
○○ 先生
先日は、輸液の購入についてお願いしましたものの、受け取りに訪れもせず今日に至りまして御詫び申し上げます。
勝手な言い訳ですが「とら」の病状が日ごとに変わりますので、対応に苦慮しておりまして貴院訪問が出来ずにおります。
「とら」は、本日(2日)の早朝時には、四肢で踏ん張ることが叶わず、歩行不可能で寝た切りに移行しております。 排便、排尿の際には、四肢を動かそうとしているかのようですが、最早、叶いません。
自力での飲食は既に不可能であり、辛うじて嚥下のみ可能ですので、覚睡時と思われる折に、流動食(猫用キドナ)を強制給餌しております。
啼くことも出来ずに、表情では窺えることがありませんが、眼の動き、四肢の動き等で、私を認知していることが分かり、声掛けをすると安心するかのように呼吸が静かになります。
以下、日ごとの経過です。
28日早朝、吐しゃ物に塗れて倒れていたために、容易ならない容態と認識出来得ましたが未だ、よろつくものの歩行可能で、流動食を飲ませ、■■獣医院へ診察に行きました。
当日の受診後より、夜半まで熟睡と云うより意識不明のように寝て居ましたが、目覚めたと観えた折には、流動食も完食しました。 ただ、反応が平常時よりも悪くなっていました。 平常ならば、流動食を入れた器具が口に振れると開口するのですが、この日よりは、大袈裟に口に器具を触れないと開口しません。
また、早朝よりは、鳴き声を発することが無いことに気づきました。
29日には、朝方には、玄関先まで自力で歩いたのか、其処で寝ていました。 この日には、風呂場等の涼しい箇所に行きたいのか、不自由な脚を引き摺りながら歩くのでした。 また、キッチンに居た私の元へ這ってまで来ましたので、身近にソファーを置き其処で寝るようにしました処、安心したのか寝て居ました。
流動食は、難なく嚥下可能のようで安心しました。 ただ、28日よりは、水を飲みません。
輸液で代用しています。 量は、■■先生の指示で、日に二回に分けて最大200mlです。
30日には、前日に寝た場所にそのまま寝ていて、排便がありましたが、動けないのか、便をした場所に寝ていました。
嚥下は、問題が無い様子で一安心でした。 ただ、既に立ち上がることが困難な様子でした。
31日には、もう歩行どころか立ち上がることが困難になり、また、早朝に流動食を嚥下したのみで、後は意識が無いように眠り込みました。 ■■獣医院では、「厳しい状況」とのことで、何処までの医療を求めるのか、と応答があり、この状態で、入院させることは、回復の見込みが無い中での飼育放棄に等しい行いになりかねず、長年の人生の友の信頼を裏切ることにも等しいので出来ない旨を述べました。
従って、今後とも自宅で介護する積りです。 でも不安ばかりです。
今、「とら」を失えば、私の人生の大半が失われます。 完全退職後には、「とら」を中心にした暮らしを描いていたのですが、残念です。
ひとまず御報告まで。
○○○-○○○○
■■市■■■△-△△
熊王 信之
電話●●●-●●●-●●●●
(引用終わり。)
とらの最期は、今の私には新しく書くことが出来ませんので、あるブログ主催者宛のメールを下に引用します。
(以下引用です。)
「とら」は、平成28年10月3日午前5時32分に空の彼方へ旅立ちました。
これからは、亡父母とともに、私を見守り、私が来るのを待つことになります。
最期は、昔の侍のように、前を見詰めて、そのまま息絶えました。
私が、早朝、「とら」に起こされるようにして起き、とらの下の世話をして、新しいシーツを敷いたベッドへ体を移そうとする中で大きく反り返り腹中の物を自身より遠くへ吐き、前を見据える様が観えたので慌てて抱き寄せ、とら、これからも一緒だよ、絶対に離さないよ、と話しかける間に、真っすぐに前を向いて穏やかで厳しい顔のまま旅立ち、二度と再び帰ることはありませんでした。
とらは、平成28年9月28日早朝に嘔吐とともに倒れ、そのまま死を迎える処を二度、三度と私の呼びかけに応えて帰ってくれたのですが、10月3日早朝は、それが叶わず、厳しい表情で私の呼びかけを拒絶し、自分は行く、との意思表示をしたのでした。
猫なのにまるで侍のようでした。 飼い主に泣くな、とも言っているようでした。 飼い猫として安穏に過ごしていた猫でしたが、数々の出来事から分かる性根は、激しく、厳しい、野生が残る猫でしたので、最期に本性が出たのでしょう。 とら、らしい最期でした。
暫く経過した老猫の最期の姿は、厳しい様が消えて何とも穏やかな表情のままでした。 まるで寝て居るかのような普段の姿に近くて、とら、と呼ぶと起き上がりそうでした。
長年の●●●生活に終止符を打ち、とら、との楽しい生活を夢見て自宅を整理・整頓している処でしたが、私の怠惰のために、それがままならず、とらと一緒に寝る処が無いまま迎えた最期の戦いですが、最期の二日間は、終日付き添いと添い寝が出来ました。 これもとらが気力を振り絞り、死期を伸ばしてくれたお蔭です。
猫なのに古の侍のようでした。 私には、勿体無い程の本当に可愛くて、賢くて、強い猫でした。 故事に倣い、記念に鬣の毛を頂きました。
今、とらは、骨壺に入り仏壇に居ます。 先週に、納骨を願う仏寺を尋ね、仔細を告げ依頼をして来ました。
残された飼い主と猫たちには、少なからぬ傷があり、未だ癒えませんが、時が傷口を塞ぐでしょう。 そう思いたいです。
熊王信之
(引用終わり。)
今、私は、現今の政治も、人類の未来さえも、意識には無く、ある猫と過ごした19年と五カ月を思うのみです。 ある種の病かも知れませんが、時間が癒して呉れること、と信じます。
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