ある青年の「戦争レジームからの脱却」論 ― 知って欲しいひとつの記録 ―
- 2016年 10月 26日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市戦争日高六郎
下記に掲げるのは、「海軍技術研究所」(技研)の嘱託だった28歳の青年が、戦中に書いた文章の一部である(■から■)。
■大東亜戦争は依然二重性的性格を帯びつつあり。一は我が資本主義的経済の死活をこれによりて賭せんとし、一は端的にアジアを欧米の侵略より解放せんとす。もし当局者にて、大東亜戦争の性格を完全に後者にまで変貌せしめんか、正に驚天動地の世界史的転換は、ここに実現せらるべしと。しかるに不幸にして当局者にその明察なく、遂に大東亜戦争は今日に及びたり。(略)
吾人明確に断定す。大東亜戦争の二重的性格こそは、我が国今日の窮境を招きたる最大要因なり。満州事変当時に比すれば、我が戦争目標は、一大進歩否一大変質を遂げたり。単なる権益主義は一掃せられ、八紘一宇と言い、東亜新秩序の建設と言う。しかもかくの如き標語の下、アジア解放の義戦に進まんとする帝国に随いて、同生共死を誓わんとするアジア人の誠に寥々たるは如何。これ実に原理的に我が大東亜戦争の目的が二重的性格より未だ蝉脱せざるが故なり。具体的には支那事変に於ける我が政策が二重的性格に終始し、支那民衆のみならずアジア民衆に対して、我が言行悉く相反するが如き印象を与え、美名を掲げて私利を図らんとする最も悪辣卑劣なる所行と感じせしめたる故なり。(略)
吾人はされば主張す。最悪の場合敵英米が無条件降伏を強要し来らば敢然これに応酬すべきなり。吾人は条件付講和を要求すと。条件とは何ぞ。吾人はビルマの独立を要求す、比島の独立を要求す、東印度諸島及旧仏印領の独立を要求す、マレエ人の完全自治を要求す、中華民国の半植民地的隷属地位よりの解放を要求す、香港を英国が再領有せんとすることに反対す(略)、朝鮮の独立は日本これを承認すと。しかして自らに就ては一言も述ぶる の要なきなり。しかして世界の輿論に向って宣すべし。我が大東亜戦争の目的は実に茲に存したり。■
海軍とは勿論、大日本帝国海軍である。書かれた時期は、1945年6月から7月中旬という。全文は、400字詰原稿用紙約45枚あった。なぜ書いたのか。時局の現状を「率直かつ自由に」書く課題を与えられたからである。
青年は、「国策転換に関する所見」として所内の会議でこの意見を発表した。一将官と東京帝大教授平泉澄が同席していた。平泉は「君は世界の大勢からときおこすが、吾人は国体の本義から出発しなければならない。本末を転倒した議論は、百害あって一利なしである」と反対した。青年は8月に入り嘱託の職を解かれた。
青年の名は日高六郎(1917~)。のちに社会学者として、「進歩的文化人」として名をなした。事後的に、この思考と行為に対して賛否を論ずるのは容易である。
しかし、である。
「政治的正当性」political correctness に対する批判は、米大統領選挙の候補者討論や欧州の移民問題に対する国家主義の復活など、様々な形態で風圧を増している。安倍政権は一貫して「戦後レジームからの脱却」の思想に拠り、自民党総裁の任期まで変更して、憲法改訂を目標にしている。
日高六郎の「国策転換に関する所見」は、安倍思想に比べ数周回も進んだ「戦争レジームからの脱却」論であり、真の「積極的平和主義」であり、誠の「政治的正当性」の表現だったと私は考える。「戦後民主主義」の位置を「青年」諸君は知らぬであろう。「戦後民主主義」を生きながらえ、今も一縷の望みをつないでいる高齢者として、ここに記録しておく。(2016/10/23)
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