奥山忠信著『貧困と格差-ピケティとマルクスの対話』(社会評論社)を読む
- 2016年 11月 15日
- カルチャー
- 『貧困と格差-ピケティとマルクスの対話』佐藤直樹書評
● デフレの原因は「搾取し過ぎ」である
本書の真骨頂は、ピケティとマルクスの議論を「導きの糸」として、現下の日本の貧困と格差をめぐる危機的状況を、ラディカルに解析してみせた点にある。一見そうみえないかもしれないが、じつはこれは渾身のアジテーションの書でもある。
私はアベノミクスは、戦後の内閣でも類をみないような露骨で最悪の、「金持ちの・金持ちによる・金持ちのための」政策だと思っている。アベノミクスはデフレ克服のために、貨幣量を増やしてインフレをおこすというものだが、いまだにインフレはおきず、不況から脱出できないでいる。本書ではまず、不況をもたらす「現在のデフレの原因は、貨幣問題ではない」とすっきり・さわやかに宣言する。
その理由をつぎのように説明する。「不況の原因は実体経済にある。その最も大きな、そして直接的な要因は、マルクスに言わせるなら、『搾取し過ぎ』である。(中略)賃金は非正規雇用者の増大によって下がり続け、支払給与の総額も下がっている。これは消費需要の低迷に直結する。そして消費需要が下っている限り、設備投資が起きない」と。
そして、「売れる見込みがないのに生産を拡大する資本家はいない。投資の条件がないところに量的緩和政策が行われる。莫大な貨幣が流れ込んでも生産には使用されない。貨幣が足りないから投資しないのではないのである」と喝破する。
つまり銀行がいくらカネを貸すといっても、モノが売れないから誰も借りない。日銀では民間金融機関に供給された貨幣が、口座に「ブタ積み」になっているという。そして、「企業が使わずに持つ資金である内部留保は、国家予算の3倍を超える。ゆがんだ無気力な経済が、今の日本経済である」と断言する。
ようするに、アベノミクスによって生じた円安と株価の上昇による利益は、結局ちまたの労働者にはまわらず、企業と株の所有者だけが潤うという、とんでもない構造になっているということだ。本書を読むと、不況から脱出できないのは、日本の資本家が労働者を「搾取し過ぎ」なのだということがよーくわかる。
● 日本では「富裕層」すら貧困?
さらに日本では1990年代に、ハゲタカ資本主義としてのグローバリズムの浸透と拡大にたいしておこなわれたのは、国際競争力を維持するための「国内と海外の両方」での「低賃金労働へのシフト」であり、その結果「このしわ寄せが勤労者に来た」という。
生産拠点が海外に移れば、国内の雇用が減り賃金が下がる。国内は賃金格差の拡大と会社のブラック企業化で、すさまじい状況になった。90年代末以降の職場への成果主義の導入によって、うつ病患者や過労死が急増している。
2016年に労災が認定された、電通の女子社員の過労自殺は氷山の一角であり、日本の職場では、月 100時間以上というとてつもない違法残業がふつうのことになっている。karoshiがそのまま英語の辞書にのっている、というのは有名な話である。日本では、海外ではおよそ考えられないような、「滅私奉公」的な働き方をしているのだ。
格差という点では、いまや非正規雇用者の増加によって、本書のいうように「男は女の2倍強、正規雇用は非正規雇用の3倍強の年収」となっている。ここでは、正規・非正規の間の格差や差別のみならず、男性・女性の間の格差や差別も露骨に顕在化している。
そのために相対的貧困率が徐々に上がっており、「貧困線は世帯単位で 122万円である。日本では、16.1 %、つまりほぼ6 人に1 人が122 万円以下の生活をしている」。とくに母子・父子世帯の半分以上が、122 万円以下の生活になっている。それゆえ子どもの貧困率は、OECDの中でも最悪となっている。つまり日本は、とんでもない格差社会になっているのだ。
興味深いことがある。ピケティのいう「富裕層」をめぐる分析によれば、日本の上位10%の「富裕層」の下限は 577万円である。これは間違いではない。ここで誰でも不思議に思うのは、本書のいうように「年収 577万円は富裕層か、という問題」であろう。ちなみに、アメリカの上位10%の下限は1035万円である。1000万円超なら「富裕層」といえるかもしれない。だが577 万が「富裕層」かといわれれば、たしかに奇妙に思える。
しかも上位10%の下限は、かつて 600万円を越えていたのだが、次第に「富裕層」の下限の年収が下がっているという。じつはこれが奇妙に思えるのは、「富裕者が富裕に見えないほど、日本の賃金は安い」からだという。なーる。ようするにこれは、日本の労働者がいかに資本家にナメられているか、ということなんですね。
● なぜ、日本では労働者の反抗や反乱がおきないのか
私の興味は、いったいなぜ、資本家の「搾取し過ぎ」状態にあるにもかかわらず、日本では労働者の反グローバリズムの反抗や反乱がおきないのか、という点にある。私にいわせれば、答えは簡単で、それは他の国にはない日本特有の「世間」のせいである。日本は明治時代に科学技術や政治制度などの近代化には成功したが、人的関係の近代化が十分におこなわれず、伝統的「世間」が強固にのこってきた。
日本人は「世間」にがんじがらめになっているために、この国は先進国中最低の犯罪率と、最悪の自殺率を誇っている。とくに後期近代に突入した現在、社会学者のA・ギデンズのいう<再埋め込み>が生じたため、「世間」の同調圧力がますます強まっている。
<再埋め込み>とは、共同体の解体を意味する近代の<脱埋め込み>時代が終わり、後期近代に入ると、係留先を求めて人々が再度伝統的な共同体を目指すことを示す。世界を驚かせたイギリスのEU離脱や、アメリカのトランプ大統領誕生は、人種・民族・宗教への<再埋め込み>を象徴している。日本では、人種・民族・宗教的な対立が希薄なために、それが「世間」という伝統的共同性への<再埋め込み>として現われているのだ。
私は時代の転回点が、年間の自殺者が突如3万人を越えた98年にあったとみているが、この年から労働者の支払給与総額が減り始めている。また、NHK放送文化研究所の日本人の意識調査によれば、社会全体の「伝統志向」が強まり、「保守化」が始まるのもこの年である。
つまりこのあたりから、<再埋め込み>による「世間」の同調圧力が、明らかに強まっている。この同調圧力によって、労働者の反抗や反乱が徹底的に抑止されているのだ。この構造に、どこかで突破口を開かなければならない。これが焦眉の課題であると思う。
ところで本書の著者である奥山忠信氏は、高校時代以来の友人である。なぜか長いつき合いになった。彼の外見上の温厚な風貌にみんなだまされるが、じつは彼は天性のアジテーターでもある。
いよいよ、我々不満分子の出番である。文句あっか。やろうぜ、ハゲタカ資本主義打倒・反グローバリズム革命。企業の内部留保をすべて吐き出させ、金持ちに課税強化せよと、本書は言外に、しかし本気でアジッてるように、私には思えるのだが。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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