2016年の暮れに思う
- 2016年 12月 31日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
大晦日である。間もなく今年も暮れてゆく。世のならいにしたがって、2016年を振り返ってみたい。
私は、古い人間だから、修身・斉家・治国・平天下の順に、つまりは個人・家族・国内情勢・国際情勢の順に、感想を略記する。
個人的には今年も大過なく健康で過ごせた。そのおかげで、ブログは366日一度も途切れることなく書き続けることがてきた。本日で、3年と9か月、1371日の連続更新となる。それなりに、毎日意味のある情報や見解を発信し得ているつもりだ。拙いブログも、継続することで真摯さをアピールし、それなりの社会への発信力を獲得しているものと自負している。
もっとも、かつては「憲法」キーワードでのグーグル検索で、「澤藤統一郎の憲法日記」はトップページに位置していた。順位一ケタだったのだ。ところが、次第に後退して、今は9~10頁目に落ちついている。そんなものだろう。ことさらに目立ちたがらず、「二ケタ台」の順位をキープしていることに満足したい。
今年特筆すべきは、DHCスラップ訴訟勝利の年となったこと。バカバカしい訴訟の被告とされて以来、こんないい加減な訴訟での敗訴はあり得ないと思いつつも、6000万円請求の被告とされていることの心理的負担は小さくはなかった。弁護士である私にしてこうなのだから、スラップ訴訟による言論萎縮効果は看過しえない。被告として請求棄却判決を得ただけでは、まだなすべきことをはたしてはいない。来年は、DHCと吉田嘉明らに反撃の提訴をすることになる。「言論の自由」という大義の旗を掲げての訴訟の原告となって、新たな判例を作りたい。
家族も息災に元気で過ごせた。何よりの家内安全である。
国内情勢としては、相も変わらぬアベ一強政治が続いていることが不思議でもあり、残念でもある。アベ政治の継続の中で、戦前を知る人々の多くが、「今は戦争直前の空気に似ている」「意識的に政権に対峙しないと、いつの間にか再びの過ちを繰り返しかねない」と警告を発するようになった。この点に心したい。
戦争に突入する前の、ドイツと日本の歴史を再確認しなければならない。戦争は、ヒトラーだけで、あるいはヒロヒトだけでなし得たことではない。程度の差こそあれ、多くの国民が、戦争を支持し加担したのだ。
たとえば、教育者もである。高知で国民学校の教師をしていた竹本源治は戦後「戦死せる教え子よ」と痛恨の詩を遺している。
逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の師の名において
嗚呼!
慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、
それが何の償いになろう。
逝った君はもう還らない
…
「慙愧 悔恨 懺悔を重ねても、それが何の償いになろう」という慨嘆は重く深い。アベやイナダや維新への批判に手を抜いて、その結果としての「慙愧 悔恨 懺悔」の事態を招いてはならない、と痛切に思う。
都政では、思いもかけぬ舛添バッシングと小池劇場を見せつけられた。舛添を支持するつもりはさらさらないが、あのバッシングのボルテージは違和感つきまとうものだった。私も舛添批判はしたが、今になってみれば、小池百合子を都知事に据える藪蛇の結果となったのは、恐いことだと思う。
明らかに、舛添よりは小池の方が数段危険度の高い存在である。小池流のパフォーマンスを「都民寄り」などと持ち上げて、小池の影響力を高めることに手を貸してはならない。その右翼的な危険な本質を見失ってはならない。
そして、憂うべきは世界である。トランプ、プーチン、ドゥテルテなどの言動を見れば、明らかに民主主義がその本来の機能を果たしていない。熟議のない政治、少数意見を切り捨てる政治、人権を無視しし理性を欠いた、正常ならざる事態が進行するのではないか。仮に、この流れにヨーロッパが続くようなことがあれば危機的状況といわねばならない。
この民主主義の危機的状況は国内でも、アベ、橋下現象として先行している。理性を備えた自立した市民を担い手と想定する民主主義が、その主体を欠いて機能不全を起こしていることをまず認識しなければならない。
もっとも、すべてが悪いことばかりではない。各地で、市民と野党との共闘の動きは進んでいる。沖縄は、米軍とアベ政権に抗して頑張り続けている。両院の憲法審査会の実質審議は進展していない。今夏の参院選で、衆参両院とも改憲勢力の議席数が3分の2に達し、自民党議席が過半数に達したにもかかわらず、である。籾井は、NHK会長職を辞せざるを得なくなった。政権側の思惑も、なかなか実現してはいないのだ。
「理性を備えた自立した市民」育成の鍵は、教育とメディアにある。これをどう権力の恣意から防衛するか。長いスパンでの努力を積み重ねなければならない。
そのような思いのうちに、今年が去年になる。この1年、「憲法日記」お付き合いいただ読者に心から御礼を申し上げて、行く年のご挨拶といたします。御身大切に、よいお歳をお迎えください。
そして、来たる年もよろしくお願いします。
(2016年12月31日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.12.31より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=7914
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye3840:161231〕
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