小説:やっさいもっさい(3)
- 2017年 3月 26日
- カルチャー
- 三木由和小説
3「結婚」
医院長室を出ると金澤は章を住まいへと案内してくれた。その貸家に行くには門から左へ行き、次の信号を左、さらに50m進み民家と民家に挟まれた幅1mもない路地を左へ折れた。ここに入ると道は砂利道になる。ザクザク言う音と光の入らぬこの道は直ぐにどん詰まりの小さな平屋建てで切れていた。
「ここだよ!」
と言いながら、金澤は章に鍵を手渡した。
「ここまでの細道はこの家に来る為だけの道だったんですね!」
「あぁ、そうだよ。でも、この家は駐車場の脇に建っているから日当たりが良いだろう。夏は暑いかもねぇ?」
金澤のそんな話を聞きながら、章は鍵を開け玄関のガラスの引き戸を開けた。ガラスが薄いので、力任せに開けようとすると割れそうである。上に持ち上げるようにしたら、途中で引っかかる事もなく、うまいこと開いた。玄関は狭く大人1人がやっと立つことができる。玄関から右に6畳さらにその奥に6畳があるのみだ。どちらも右側に大きな窓が1つずつある。手前の部屋の左奥には流し台、便所、風呂場と並んでいる。
「少しせまいかなぁ?」
「いいえ、浅草では4畳半でしたから十分です。ここは天国です。」
と笑顔でそう答えて見せた。リップサービスとかではなく、章は本当にそう思っていた。
その分、章は一生懸命に働いた。数年と言う時が流れたある日のことである。章は石城に医院長室に来るよう呼び出される。医院長室のドアーをノックする。中から
「はい、どうぞ!」
微かに聞こえてくる石城の声。中へ入る。
「失礼します。医院長先生お呼びですか?」
「やぁ、ちょっと先生に見てもらいたいものがあってめぇ。まぁ、座ってよ。」
ソファーへと促され、腰を下した。すると、黒い手提げカバンを手に取り、章の向かい側に座った。石城はその中から何やらゴソゴソと探し出し、それを章に手渡した。2つに折りたたんである表紙を開くと写真が2枚ある。美しい女性の写真である。右は洋服、左は和服姿で写っている。
「どうだい。」
「綺麗な人ですね!」
石城は口ひげをモゾモゾと動かしながら
「見合いしてみないか?私の友人の娘さんでねぇ、加瀬雅子さんと言う。27歳になる。北島さんはいくつになったかなぁ?」
「私は36歳になります。」
「だったら、年齢的にはいいじゃないか!ただねぇ・・・。」
と言いかけて、石城の口ひげが動かなくなった。
「ただ?・・・何か?」
「いやぁ、実はねぇ、出戻りなんだよ。詳しくはわからないが、子どもはなかった。彼女は雑誌のファッションモデルをやっていたこともあるんだよ。」
「私でいいんですか?」
「いいか?悪いか?と言うのは、私が決めることではない。彼女と北島さん、あなたが決めることだ。ただ、あなたがここでNOと言えば、彼女には決定権がなくなる。と言うことになるけどね!」
章は少し考えて
「医院長、私、会ってみます。ぜひ、会わせてください。」
「そうですか。分かりました。それでは早速、先方に連絡して日取りを調整しましょう。決まり次第、連絡します。」
「はい、私はいつでも良いので、先方に合わせます。宜しくお願いします。」
と言うと部屋を出た。数日が経ったある日、石城から見合いの日時を告げられた。8月14日の夕方6時だった。場所には東口のレビンと言う名の喫茶店が設定された。
8月14日当日は日中、茹だる様猛暑の日だった。だが、3時頃に夕立があったお蔭で夕方は涼しい。章はスーツ姿であったが、さほど苦には感じない。石城と病院から東口までの歩く道すがら、夏の雨が焼けたアスファルトと融合し独特な匂いをさせている。章はこの匂いが好きだった。日中の激務労働からの解放感さえ、この匂いから嗅ぎ取っていたからである。レビンと言う喫茶店はパチンコ店の上にあった。中に入る為ドアーを開くと、ドアーに付いている鐘が喧しい程にカランカランカランコロンと響く。店内は薄暗く、見渡せば2,3人の客がいた。
「まだ、先方はお見えでいないようですね!」
章は先方より早く到着できたことに、ホッとしたように言った。
「そうだね。もう、そろそろ時間だから来るだろう。」
二人は適当にボックス型の席を陣取り、腰を下ろした。すると、ドアーの鐘がカランコロンカランコロンと喧しく店内に響いたのは間もなくのことだった。母親に後ろから、彼女は店内へと入ってきた。紺地に紫の大きなあじさいが浮かび上がる浴衣に白い帯姿で雅子は現れた。石城は大きな身体で立ち上がると手を上げながら
「こちらです。」
口ひげをモゴモゴさせながら、手招きをした。章も立ち上がり、二人を見守った。
四人は向かい合わせに腰を下ろすと挨拶を交わす。石城に促され、章から話す。
「はじめまして、北島章と申します。ご存知かと思いますが、先天性の弱視障害があります。36歳になりました。」
「はじめまして、加瀬雅子です。私は27歳になってしまいました。」
雅子が薄く笑みを浮かべて見せると、四人の堅苦しい場が和んだ。雅子はさばさばとした性格だった。ちょっと鼻にかかった声、長い髪をお団子にした紺の浴衣姿、そのうなじから覗く白い肌から押し寄せる彼女の色っぽさと、その性格のそぐわぬさまは、彼の恋心をくすぐるのに時間は必要としなかった。
間もなく、二人きりになるとメニューから軽食を注文した。二人でえびピラフを食べながら雅子はこんな問いをする。
「章さんは夏と冬とでは、どちらが好きですか?」
「私は夏の方がすきですねぇ!」
「私もよ。ところで、今日私がなぜ、浴衣姿なのか分かりますか?」
「お見合いだから?かな?」
「それもあるんだけどねぇ。」
「他にも何か?」
「今日は8月14日ですから、やっさいもっさいですよ。」
「そうですねぇ。言われてみれば、そうだった。でも、実はまだ一度も見に行ったことがないんです。」
雅子に言われて、章は金澤があの時に居酒屋で、歌って聞かせてくれた木更津甚句を思い出していた。
「それはちょうど良かったわ。だから、8月14日にしてもらったの。」
「それは私も楽しみだ。」
二人が食事を終えて店を出た頃は、もう薄暗くなっていた。西口の方向から大きなスピーカーを通して、(やっさいもっさい、やっさいもっさい)と囃し立てる声が聞こえる。
やっさいもっさいは駅西口から港までの一本道、800mで開催される。大勢の踊り子がやっさいもっさいの曲に合わせこの800mを何度も往復するのである。道の両サイドにある歩道には露天商が並んでいる。二人はその人込みの流れに逆らうことなく、踊り子を見ながら進んだ。時より港から吹く潮風の心地良さは、章は人生で最も幸せな時間を修飾していた。やがて、人の流れは港から駅へと方向を変わった。潮風を背に感じながら、駅まで戻ってきた。まだ、やっさいもっさいは終わる景色もなく、それどころかその熱気はますます満ちて行く気がする。二人はそれを背に東口へと戻った。
「私、東口からタクシーで帰ります。今日は、お疲れ様でした。楽しかったわ!」
「僕もお陰様で、楽しかったよ。」
こんな会話を交わしながら、東口のロータリーまで来ると、突然、章は足を止めた。雅子は二三歩進んだところで、それに気付いて振り返った。不思議そうな顔をして、章をうかがう。章は今しかないと感じたのである。
「あの、私と一緒になってもらえますか?」
自分ではない自分が雅子の前でそう言ってくれたのだった。
「私はそのつもりで、今ここに、貴方の前に立っています。宜しくお願い致します。」
そう言って、深々と頭を下げた。頭を上げ、にっこり笑みを見せると
「じゃ、また、」
とタクシーに乗り込んだ。
「じゃ!気を付けて。」
一人残った章の耳に、やっさいもっさいの声がまた大きく聞こえてきた。
それから間も無くして、二人は結婚をした。けれど、雅子の意向で結婚式は挙げることなく、二人は生活を始めた。章の小さな家に雅子は入った。翌年、二人は男の子を授かる。この子に、章は章一と名付けた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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