「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」なるキャッチフレーズは、タックスヘイブンや資産課税・巨大企業優遇税制を放置したまま、私たち一般有権者に消費税増税を押し付けるペテン的な方便である
- 2017年 5月 30日
- 評論・紹介・意見
- 田中一郎
- 生活保障 排除しない社会へ-宮本太郎/著(岩波新書:2009年11月)=政権交代直後
- 共生保障 〈支え合い〉の戦略-宮本太郎/著(岩波新書:2017年1月)
さて私は、問題提起されております「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」なるキャッチフレーズの欺瞞性に異を唱えなければならないと思い、この簡単なメールをお送りします。
(関連)社会保障と税の一体改革
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/syakaihosyou/
自民党にしろ、公明党にしろ、民進党にしろ、「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」なるキャッチフレーズは、消費税率引き上げのための口実にすぎず、ここで言われる社会保障や福祉などは、単に消費税増税を有権者に飲ませるための「エサ」にすぎません。有権者を愚弄するのもいい加減にしろ、というのが私の率直な感想です。これはいわゆる「ニューリベラル派」を含む多くの財政学者や経済学者、そしてその他の御用学者に対しても同様に申し上げたいことです。簡単に言えば、消費税増税も、社会保険の受益削減・掛け金引き上げも、今日の支配権力や支配政権下では、社会保障の持続可能性や福祉の改革・拡充などとはいっさい関係がないということです。
そもそも、高負担や税改革といったときには、消費税以外の選択がないかのごとき議論の進め方がなされ、また、税の改革といった時には、単純増税以外には手段がないかのごとき議論のされ方が大問題なのです。更に言えば、社会保障制度改革については社会保険しか考えようとしない点も根本的に間違っています。今日に至っては、自民党政治家・麻生太郎に典型的にみられるように、社会保障をしてほしかったら消費税増税を受け入れろ、それがいやなら社会保障もないと思え式の、全くふざけたオウチャクな言論がまかり通るまでに、有権者・国民は為政者どもになめられてしまっています。「税と社会保障の一体改革」という言葉が独り歩きをし、消費税=社会保障目的税であるかのごとき幻想がふりまかれ、また、社会保障財源は消費税に限るかのごとき嘘八百の言論が横行しているのです。
税制についていえば、税には消費税以外にもいろいろあり、今後日本が進むべき税制は、累進課税の強化や総合課税の徹底(資産所得などの分離課税をやめる)、更には、穴ぼこだらけの課税標準(課税対象となる所得:法人を含む)を改めることなどがありますし、また単純増税以外の手段としては、まさに、タックスヘイブンその他による巨額の税逃れを防ぎ、相続税評価額の大幅軽減措置の様な事をやめてきちんと税を徴収するといった、現存する税制の運営方法の改善もあるわけです。消費税について言えば、私は奢侈品物品税に転換していくべきであると考えております。
社会保険が受益者負担の原則をギラギラさせた制度になっていることなども、改めなければいけません。つまり高額所得者の掛け金に低い金額のところで上限を設けずに、もっと引き上げろということですし、逆に資産を持たぬ低額所得者の掛け金については引き下げるか免除をせよということです(=特に健康保険)。
いわば、財政の3つの機能(資源再配分=公共サービスなど、経済安定=ビルトインスタビライザーやスペンディングポリシー、所得再配分)のうち、特に3つ目の所得再配分機能を取り戻すとともに、他の2つについても、きちんと見直し、市場原理主義ないしは新自由主義で頭のイカレた似非経済学を現実政治や大学から放逐せよということなのです。ましてや、今実施に移されつつある消費税増税による税収増と、法人税減税額がほぼ同額という生々しい実態は、「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」なるキャッチフレーズが、まさに嘘八百でありペテン的な方便にすぎないことを正直に表していると言えるでしょう。一般の有権者・国民に対して、軽々に「負担」を言う政治家は一切許さない、それが有権者・納税者の基本スタンスであるべきです。
1990年初頭以降の税収伸び悩みの原因がどこにあるのか=それは市場原理主義的財政政策、つまり巨大企業や富裕層・資産家にその利益の大半が行くようになっている「減税のやりすぎ」にあることは、多くの研究者が指摘していることであり、高負担や税改革を言うのなら、これをまず有権者・納税者に説明をし、これを根本的に改めることが最優先です。そして、そのうえで、財政の3つの機能をきちんとレビューすることです。
今日の日本では、ゴマカシの議論が横行しています。「ニューリベラル」論者の各氏に悪意があるとまでは言いませんが、経済や社会の仕組みがゆがみ、格差拡大どころか、それが相続されて拡大再生産されるような事態になって、「新階級社会」が成立し始めているような情勢の中で、私は甘い議論は禁物であると考えています。かつて丸山真男氏が指摘していた日本の翼賛社会的体質(みんな天皇様の赤子であり、ひとしく日本国大家族の一員である)への批判的な観点がないまま、助け合いだの、共生だの、共同協同だの、きずなだの、といった情緒的な観念は、やがて「1億総火の玉」の排外主義や全体主義に変質していきかねないことを歴史的教訓としてしっかりと認識しておくべきでしょう。
話を戻せば、「高負担」といったときには、まず、消費税や社会保険以外のことを念頭に置き、今日ある税制の許しがたいまでの「歪み」の現状を丁寧にあきらかにし、それを矯正する方策を明らかにしたうえで、更にプラスアルファで消費税や社会保険の在り方に言及すればいいでしょう。高負担の原資調達の「母屋」である税制度が、特定の階層・階級=言い換えれば1%の人間や企業のためにゆがめられているという実態を、まずは日本のすべての有権者・国民・納税者の認識としていくこと、これが最も肝心なことです。また、社会保障を改革するというのであれば、まずは税と切り離し、社会保障の本来の在り方はどうなのか、これからの日本社会や経済とマッチし、持続可能性を兼ね備えたものにするにはどうすればいいかを考え抜き、そのうえで、消費税ではなく、他の税制でそのための原資をどう調達するのか、また、社会保険の現制度の改革はどうするのか、NPO・NGOやボランティアを含む民間の役割はどうなのかなどをしっかり議論したうえで、社会保険の利用も考えるべきでしょう。
「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」なるキャッチフレーズの欺瞞性、ニセモノ性、詐欺的性格を念頭に置かない「お人好し」の議論は、資本主義社会においては、かならずや「利害にさとい」勢力に食い物にされるということを忘れてはならないと思います。「ニュー・リベラル」の人たちの議論は、もちろん注目に値しますが、それだからこそ、その議論の甘さ、現実の厳しさの根源を見破る視線の弱さ、誰が利益や所得の大半を労せずして獲得して高笑いをし、誰が日々の生活の重さに押しつぶされそうになっているのか、なぜそうなっているのか、なぜそれがいつまでたっても変えられないのか、を見定めることが大事であり、従ってまた、そうした改革の議論は、日本社会に独特の、まさにニセモノの「翼賛的体質」(上へ向かっての頂点盲従、横へ向かっての強い同調圧力、下へ向かっての無限の無責任の連鎖)へ無批判、ないしは便乗を感じさせるものであってはならないでしょう。
「高福祉・高負担」は、その「高負担」をきちんと議論できる土台的な仕組み=つまり日本国憲法が保障をしている生存権が保障され、かつ、そのための国民負担が公正公平な税制や課料負担などによって調達されるという仕組みや認識が定着してから議論できることであり、また、「税と社会保障の一体改革」は、税制と社会保障とをいったんは切り離して、その本来の在り方を十分に考察・検討してのちに、次の段階として、その負担の大きさや負担配分をどうしていくのかの議論をしていくべきでしょう。不公平不公正税制や遅れてゆがんだ社会保障観念を放置したままの「高福祉・高負担」や「税と社会保障の一体改革」論議は、その期待に反して、ロクでもない結論を導くものに変質してしまうことになるのです。
(上記とは直接関係はありませんが、下記の社会保障制度に関する2冊はとてもいい
本でしたので、みなさまにもご購読をお勧めいたします)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032341037&Acti
on_id=121&Sza_id=B0
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033545455&Acti
on_id=121&Sza_id=B0
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6697:170530〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。