コミュナル紛争再考 ― 在日ミャンマー人の言説に触発されて
- 2017年 9月 20日
- 評論・紹介・意見
- コミュナル紛争ミャンマー野上俊明
ロヒンジャ問題が国際社会での重大イッシュ—化したためでしょう、日ごろ日本の市民社会向けに政治的な言説をあまりしない在日のミャンマー人の意見が、SNSに載るようになっています。それの最大公約数的意見は、ロヒンジャ問題には宗教的差別や人種的差別は絡んでいない、そうではなくて単なる民族問題であり、ロヒンジャが法定のミャンマー諸民族に属せず、違法にミャンマー国内に定住していることが問題なのだと。それ以上は明言しませんが、「だから彼らを多少暴力に訴えてでも、国外に追い出すことは仕方がないのだ」と本音では言いたいのでしょう。
法治国家では被告といえども、いや犯罪確定者といえども人権が認められています。特定の為政者が定めた実定法でロヒンジャ族が国家の一員として認められていないからと言って、彼らを虐待・迫害していい理屈は成り立ちません。今回の問題では、自分たちにしか通用しない理屈で非道を合理化する、ミャンマー人のインテリも含め、恐ろしいまでの自己欺瞞を目の当たりにしています。あの軍部独裁の時代、世界に向かって人権と民主主義を訴えていたその水準というものが、自分本位の普遍性に欠けたものだったことが明らかになっています。もっともそれについては日本人にも責任が全然ないとはいえません。多くの場合、支援や援助が同情の域を出ず、政治文化についての十分なコミュニケーションを取ってこなかった結果、今になって彼我の間に深い断絶を見出し愕然としているのですから。
この際一知半解を怖れず、コミュナル紛争とは何かを自分なりに定義しておきたいと思います。ラカイン州の紛争は、特にベンガル湾東岸諸国家(インド~東パキスタン~バングラデッシュ、ビルマ~ミャンマー)に特徴的な地域・宗教・人種紛争です。おそらく何百年も前から様々な人種、宗教の人々が混在共存していたであろうこの地域で、異種集団同士の紛争が血なまぐさい暴力性を帯びたのはイギリスの植民地化政策―分割支配 divide-and-rule―によるところが大きいのでしょう。この辺の事情はビルマ史の碩学である根本敬先生の最近の論文をぜひご覧になって下さいー「ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか」、ネット検索可。
コミュナル紛争が重大化したのは、1947年英領インドがイギリスから独立し、インドとパキスタンという分裂国家が成立したときでした。このときベンガル湾の東岸地域では、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間で大規模な人口移動と7,80万人ともいわれる大量殺戮合戦(ポグロムとかジェノサイドとか言われる)が起きました。このことに心を痛め、また責任を感じていたガンジーは少人数のお供だけで紛争地域に入り、多数派(主にヒンズー教徒)の人々を説得して歩いたのです。この時ガンジーはお供の全員に死を覚悟させていたといいます。このあとガンジーがヒンズー教過激派に暗殺されたのも、ガンジーがイスラム教徒に同情的過ぎるという理由でした。(今後の展開によっては、スーチー氏にも累が及ぶ可能性があります)
さて、コミュナルcommunalというのは地域共同社会communeの形容詞型です。したがってコミュナル紛争というのは、まずは特定の地域特性に応じて起きる紛争です。ベンガル湾東岸においては、それはヒンズー教徒が多数派か、イスラム教徒が多数派かという宗教的属性と人口数で色分けされます。そして絶対多数派が少数派を根絶やし(大量殺戮)にする行為がコミュナル紛争なのです。したがってイスラム教徒が多数地域の場合、逆にヒンズー教徒が餌食になるのです。ミャンマーのラカイン州でもロヒンジャが多数派の地域では、ヒンズー教徒やラカイン仏教徒が迫害に会うケースも出ています。
コミュナル紛争はこのように多数派対少数派という特有の構図を持っていますから、スーチー氏が2012年以来とって来たどっちの味方もできないという態度は、人権の一般的原理に反するばかりではなく、公平どころか絶対的に多数派に有利に働く政治的態度だったのです。政治家を自称しながら、コミュナル紛争の現実を本当に見ての政治判断だったのか、疑問に思うのです。
そのうえミャンマーの場合、これに人種的・民族的要素と国家的要素が絡んできて一層複雑化しています。ミャンマー人はインド系の人々を侮蔑的に「カラー」(colour)と呼ぶことが多いのですが、そこに人種的憎悪の念をすぐに感じ取ることができます。また民族的要素というのは、ロヒンジャと直接的な敵対する関係にあるのは主流派のビルマ族ではなくラカイン族(仏教徒)であるということです。しかしラカイン族はロヒンジャに対しては抑圧民族ですが、主流派のビルマ族との関係では被抑圧民族なのです。ビルマ族―ラカイン族―ロヒンジャ族という差別・抑圧の重層構造となっていて、丸山眞男のいう「抑圧の移譲」関係が成り立っているのです。並立的な分割支配ではなく、タテ構造の分割支配となっており、抑圧・差別・貧困などの社会矛盾は常に下へ下へと転嫁され、被抑圧者がともに団結して抑圧者に立ち向かうことを決定的に妨げています。
また国家的要素というのは、ロヒンジャの国籍問題が絡み、かつ国家の強力装置である国軍が絡んでいることをいいます。現在のロヒンジャ族の無国籍・絶対的無権利状態を決定づけたのは、独裁者ネウインが1982年に制定した「国籍法」でした。民主化過程に入ったといいながら、依然植民地時代や独裁体制時代に制定された弾圧法規や非民主的な法律が生きており、「国籍法」はその代表格といえるものです。またラカイン州に対し歴代政府が差別と貧困解消のため、何ら有効な政策も講じなかったことも国家の問題にあたるのです。
さらに国軍の問題です。2012年以降のラカイン州のコミュナル紛争をこうまで悲劇的なものにしたのは、国軍だといわれています。紛争の鎮圧と平定に国軍が真剣に取り組まず、むしろ紛争を奇禍としてロヒンジャ族の地域からの一掃を図った節があるのです。国軍の関与、これがラカイン州紛争の特色です。国連筋は国軍による掃討作戦※を「民族浄化」をねらったものとして強く非難しており、また国軍に対して有効な抑制行動を行なわなかったとしてスーチー政権も批判したのです。スーチー氏はなぜ40万人ともいわれる大量難民が出たのかその原因を究明したいと19日の演説で呑気にも述べましたが、国軍の組織体質や規律の在り方、作戦方式などに関して何の知識もないのかと驚くばかりです(あるいは知らないふりをしているのかもしれません)。
※イギリス軍やアメリカ軍が生み出した対共産ゲリラ掃討方式=「戦略村計画」を踏襲しているのが、ミャンマー国軍だといわれています。「Four Cut Strategy(4つの遮断戦略)」-カレン族武装組織やビルマ共産党軍に対して適用されたもので、食糧・資金・情報・徴募(兵士の調達)の4つを遮断するために、村ごと移動させるか、フェンスで囲ってしまって、ゲリラが接触できないようにするのです。コミュニテイを焦土作戦で徹底破壊する方式、これは中国で旧日本軍が中国共産党支配地域で行なった討伐作戦―中国側は「三光作戦」と呼んでいます―とも符合します。
以上簡単に考察したように、ラカイン州のコミュナル紛争は、人種―民族―宗教―地域―国家の5層構造を持つ厄介な問題なのです。しかし19日の演説でスーチー氏が決意表明したように、アナン勧告〔ロヒンジャに国籍=市民権を賦与すること、差別と抑圧の温床となっているラカイン州の貧困状態解消のため特段の地域開発を行なうこと〕を政府の責任において実行する以外に未来は切り拓かれないのです。国際社会に向かって公約した以上、スーチー氏は不退転の決意で取り組むと期待していいでしょう。
ただ一点付け加えると、スーチー氏の発案で部分的に行われ、成果があがっているといわれる「人権教育」に、ぜひ国民的規模で取り組むべきだと思います。「人権教育」の成果を次々に教訓化し、学校や社会教育の場で国民運動として展開して市民社会を強化すること、そのことはひいては国民の政治への参加をうながし、主権者としての意識を高めることになると確信します。
2017年9月20日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6963:170920〕
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