「ローソク市民革命」について話したかったこと
- 2017年 10月 18日
- 評論・紹介・意見
- ローソクデモ小原 紘韓国
韓国通信NO537
久しぶりの国道294号線。栃木県益子から自宅までの車窓の景色は稲刈りも終わり、すでに秋もたけなわ。青空に筑波山がひときわ美しく映える。くるまの運転をしながら、昨日(10月8日)、益子の朝露館(関谷興仁陶板彫刻美術館)で話した内容を思い出していた。
この日、朝露館で、韓国の詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の生誕100年を記念する集会があった。朝露館館主の関谷さんが済州島4.3事件、石川逸子さんが尹東柱を語り、私は「現代の韓国を知る」の演題でローソク市民革命について話した。
資料をそろえ、話のあらすじをメモにまとめて準備万端のはずだったが中途半端に終わった。話したいことが多すぎて欲張り過ぎたようだった。それに予想したより多くの人がいてオロオロしてしまった。残念。話したかったことの十分の一も話せなかったような気がする。
悔やんでも仕方がない。「幻」に終わったスピーチを書く。
ローソクデモの衝撃
韓国のローソクデモについておさらいしたい。クーデターでもなく国民投票でもない合法的なデモが大統領を罷免した事件はわが国でも大きな関心を集めた。去年から今年にかけての出来事だが昔のことのように感じられ記憶は薄れがちだ。
今年3月10日の憲法裁判所の朴槿恵大統領弾劾決定まで毎土曜日ごと30回、延べ人数1700万人が参加したという。日本の人口で考えると倍の3500万人に匹敵する。日本の60年安保闘争の参加者が延べ560万人、ピークで33万人。一昨年の安保法制(戦争法)反対の抗議集会は強行採決当日10万人が国会前に集まった。それに比べると想像ができないほど多くの人たちが参加した。光化門前からソウル市庁までの大通り、さらに大統領府に続く道、鍾路周辺の道路が人で埋めつくされた。
きっかけは朴槿恵大統領が親友の崔順実に金銭の便宜を図ったこと、国家機密漏えいの発覚が始まりだった。加計学園の加計孝太郎氏は安倍首相の「腹心の友」だそうだが、崔順実は腹心の友と言わない。韓国語には「腹心の部下」はあるが「友」という言葉はない。
大統領による国政の「私物化」に対する怒りはまたたくまに大統領の退陣を求める声となって全国に広がった。老若男女、全国津々浦々まで、与党セヌリ党支持者までが退陣要求をしたことは支持率が4%まで落ちたことで理解される。真相解明に独立系メディアが大活躍、保守系新聞と言われる朝鮮日報、東亜日報、中央日報までが退陣を求めた。真相解明を求める声は大統領側近の逮捕、贈賄側のサムスン、ロッテの経営者の逮捕によって、それまでの退陣要求から「逮捕」要求に変わった。
大統領は「世間を騒がせた」と謝罪したが容疑は否定、取り調べに協力すると述べただけだった。朴槿恵には勝算があった。3分の2以上の賛成が必要な国会の決議はできないと踏んでいた。弾劾を求めた「ともに民主党」も国会決議の自信がなかった。結果は在籍議員300人のうち234人が弾劾に賛成した。大統領与党が分裂して賛成に回ったからだが、民意が国会を圧倒した。それでも大統領は憲法裁判所で国会決議が否決されることを期待した。親大統領派の裁判官が反対すれば弾劾は免れると踏んでいたが、大方の予想に反して9人の裁判官全員が弾劾を妥当とした。その判決が下されると国中が歓喜に包まれた。裁判の模様はテレビで実況放送され議事堂周辺で待機していた市民たちの様子が実況で放送された。憲法裁判所もローソクの力に圧倒された。
1987年の「民主化宣言」以降、民主化が進んだはずの韓国社会で、軍事独裁を18年も続けた朴正煕元大統領の人気が高いことが不思議だった。親の七光りもあって韓国初の女性大統領になった朴槿恵が憲法違反で収監されるとは信じがたいことだった。韓国の憲法第一条「主権は国民にあり、すべての権力は国民から生まれる」という大原則によって、国民を無視した大統領が主権者によってクビになった。あたりまえのことが実現した。
かつて金大中と大統領選を闘った李会昌候補の二人の息子が徴兵逃れをしたことが発覚して落選したことを思いだした。不正、それも権力者の不正は許さないという韓国人の倫理観の強さを見せつけられた。
大統領選挙では文在寅候補を含めてローソク派の三人の候補者で約68%を集め、二人の保守系候補を圧倒した。しかし大統領の罷免は支持しても文大統領は支持しない人が32%もいる。その人たちを含めた「国民的統合」が新政権の課題になっているのも確かだ。森友学園・加計学園の疑惑や甘利経済担当相の“収賄”に対して日本社会はどうしてこうまで甘いのか、憲法を無視続ける安倍内閣に寛容なのか、今回のローソクデモから日本人が学ぶことは多い。私たちにとってローソクデモは「不思議の国ニッポン」を知る教科書、反面教師でもある。
韓国民主化運動が生んだローソクデモ
ローソクデモといえば李明博大統領就任直後(2008/4)に起きた大規模な民衆行動を思いだす。狂牛病のおそれがある米国産牛肉の輸入に子どもたちが異議を申し立て街頭に現れた。それに触発され、子をもつ親、市民団体、労働団体が立ち上がった。規模としては今回のデモと同じくらい100万人規模のデモが続発。政府の妥協と反撃によって抑え込まれて終息。あの当時の子どもたちが成長して今回のローソクに参加したともいえるが、そんな単純な話ではない。
以降、李政権、朴政権下で「牛肉問題」以上の不満が蓄積され、爆発したのが今回のローソクデモだ。その不満を説明する前に韓国民主化運動の歴史を知る必要がある。ローソクデモは突如生まれたものではないからだ。
8.15演説で文大統領が語っているように、「ローソクデモは過去の民主化運動から生まれたもの。ローソクから生まれたローソク市民革命をやりとげ、後戻りのない輝かしい社会を作ろう」と歴史から学ぶことを訴えている。わが国では大統領発言の一部をとりだして「歴史問題に厳しく、反日的」「従軍慰安婦問題は振り出しに」と理解しがちだが、全体を読めばわかるように、演説は韓国がこれから向かう新たな民主主義の発展に注がれていることが理解できるはずだ。
<韓国の民主化運動の歴史>
1945年の光復(独立)にもかかわらず、東西冷戦から生まれた南北の戦争と分断という悲劇に見舞われた韓半島。日本は朝鮮特需で奇跡的な戦後復興をとげ保守政治体制のもとで高度経済成長をとげた。死者は南北あわせて500万人以上。国土は廃墟と化した。「韓国に民主主義がなされるのは、ゴミ箱でバラが咲くのを待つようなもの」とまで言われ、民主化と経済復興への道のりは厳しかった。事実はそのとおり、韓国の民主化の歴史は一言で言うなら、民衆の蜂起と弾圧、勝利と敗北の歴史だったと言える。
済州島4.3事件(1948)もそのひとつ。済州島の6人に1人、約3万人が虐殺された。
1960年、李承晩政権が「4.19革命」によって倒されたのもつかの間、1961年からは朴正熙らの軍事クーデターが起り、以降長期にわたる軍事独裁政権が続いた。日韓条約に反対する運動は武力で鎮圧され、以降日米が軍事政権を支え続けた。軍事政権に反対する運動は粘り強く続けられたが、「人革党事件」、「民青学連事件」などデッチあげ事件が頻発、厳しい弾圧による暗黒の日々が続いた。
朴正熙大統領が側近のKCIA長官によって射殺(1979)されると情勢は大きく変化した。従来にない大規模な民主化運動が各地に起きたが、またもや全斗愌らの軍部がその前に立ちふさがった。
1980年5.18、光州事件では正規軍が光州を制圧した。400名を超す市民が殺され、多数の行方不明者を出した。金大中が首謀者とみなされ逮捕され死刑判決。『君のための行進曲』は光州で殺された学生を追悼するために作られ、以降、民主化をもとめる人たちによって歌い継がれてきた。
全斗愌による軍事政権は多くの若者を連行して思想改造を行う「三清教育」に象徴されるように苛酷な政治を行った。7年間続いた軍事政権は全国各地で相次いだ反政府運動と国際的批判を浴びて退陣を余儀なくされる。1987年6月先鋭化した学生、労働者にくわえ一般市民までが大統領直接選挙を求め全斗愌の退陣を迫った。ついに政府は「6.29民主化宣言」を発表した。
1988年のソウルオリンピックを前に軍服を背広に着替えた盧泰愚大統領が誕生、金泳三の文民政権、さらに韓国民主化運動の象徴でもあった金大中政権の誕生、廬武鉉の参与政権と続き、韓国の民主化が大きく花開いた。かつて軍事政権と闘った二人の大統領はいずれも選挙では「辛勝」。憲法、政治制度は明らかに軍事政権と違う世界となったが民主的社会基盤は弱かった。家父長的権威主義が根深い社会。さらに北朝鮮の存在を強く意識した「反共主義」が社会を覆っている。日本の治安維持法を模した国家保安法は廃止されず、民主主義を強く主張すれば社会主義とみなされ、さらに北朝鮮とつなげて考えられる風土もある。
昨年、大邱市のある鐘路小学校を訪れた。そこは東学の始祖、崔済愚(チェ・ジェウ)の終焉の地である。エンジュの木をながめながら校庭を歩いていたら子供の銅像が建っていた。像のプレートには「僕たちは共産主義がきらいだ」と書かれていた。大邱は朴正熙、全斗愌、盧泰愚ゆかりの地だが、わが国の二宮金次郎のかわりに反共を叫ぶ子供がいたことに驚いた。
韓国はどう変わるのか。<次号に続く>
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7039:171018〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。