「特殊な関係」から一民族二国家へ向かう南北朝鮮 -半島での冷戦終結の時代を予感する-
- 2017年 10月 28日
- 時代をみる
- 森善伸子
本年も福岡県日朝友好協会(以下、友好協会)顧問として九州地区日朝友好親善訪問団に加わり、10月3~7日の旅程で訪朝する機会を得た。今回は友好協会の結成10周年で、福岡の他に長崎、熊本、鹿児島からも参加者を加えて訪朝団が29名と大人数となり、このうちマスコミが4社4名も入る異例の陣容になった。そして、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の受入団体が朝鮮朝日友好親善協会とあって、初日の同協会への表敬訪問と歓迎宴では同協会長で朝鮮労働党国際部副部長の柳明善氏が対応、和やかな雰囲気の中で友好親善を推進できた。そこでの逸話を中心に、本稿では北朝鮮の現状を紹介したい。
まず、表敬訪問では同席した長崎県から参加の女性が述べた「原爆に勝者は無い」との発言に接し、柳氏が次のような趣旨の発言を行った点は特記すべきであろう。「我々も広島、長崎の被害はよく知っている。だからこそ、我が国が広島、長崎のようにならないため、核とミサイルを保有している。(中略)我々の開発は自衛のためであり(中略)、この核とミサイルによって我が国、東北アジア、そして世界の平和が守られているのだ」。
この発言は、言うまでもなく抑止力の論理を広島や長崎と結び付けて敷衍させたものに過ぎない。だが筆者の知る限り、このように原爆被害と結び付けたレトリックを北朝鮮の高位の人物が用いたのは、今回が初めてだと思う。このレトリックは、裏返して言えば、原爆の威力が凄まじいからこそ、それを抑止力に用いるという原水爆禁止運動を嘲笑うかのような論理であるけれども、北朝鮮が一貫して用いている主張と完全に符合している。
次に、訪朝前に筆者は大韓民国(以下、韓国)を訪問して、親しい友人から南北対話を始めて欲しい旨を平壌で伝達してくれるよう依頼を受けていた。そこで歓迎宴で筆者は、この依頼を柳氏にそのまま伝えたが、彼の回答は「文在寅が米国に付き従って行く限り、南側とは対話できない」というものであった。筆者は「北南が対話を始めれば、日本でも北と対話しようという世論を起こせる」と畳み掛けたが、彼は「ダメだ」と一蹴して全く取り付く島もなかった。今や北は、対米交渉で韓国を利用対象とさえ見ていないのである。
反共保守勢力を代表する李明博と朴僅恵の両政権を経て、対北融和姿勢を主張する現在の文在寅政権でも、このように変化は起こせていない。周知の通り、これまで北朝鮮は、進歩革新勢力を代表する金大中や盧武鉉(両名とも故人)の両政権においては「包容政策」と総称される、韓国からの一種の包括的関与政策に応じて南北間の「和解と協力」に乗り出し、南北朝鮮による鉄道・道路の連結、金剛山観光事業の実施、開城工業団地での経済協力を実施して、この中で韓国を利用する要求を突きつけたりもしていたのであった。
このように顧みると、「対話と圧力」のうち現在は圧力に傾いている南はもちろん、北も既に相手を必要とせず、かつて「包容政策」の華やかなりし頃に主張された「特殊な関係」から離脱して行っているように思われる。現下の米朝対立が来る数年内に、政権交代など何らかの変化を北朝鮮にもたらすと観察されている中、北朝鮮の内部で市場経済型の経済発展が進むならば、もはや南北の経済協力も必要なく、北は北として南とは無関係に独自の政治的な枠組みを以て社会経済的な成長を続けていくであろう。
実際に今回の訪朝で見聞するところでは、少なくとも平壌において車の交通量は多く、油価は分からなかったものの、特にタクシーは増えているように感じられた。高麗ホテルの食事は立派で、隣にある切手商店の地下にある食堂では、ビール1本を約200円で出していて、15人の食事で総額2万円を切る等、物価上昇を外国人にしわ寄せするような感じも無かった。高麗ホテル従業員の1人に筆者は、国連による経済制裁の影響について尋ねてみたところ、彼の答えは「昔からずっと経済制裁を受け続けてきたから、何でもないです」と極めて素っ気なかった。一部では地方の状況を次第に困難になっていると日本国内では伝えているようだが、少なくとも平壌は今のところ変化が無いようであった。
韓国について言えば、歳月号事件や朴僅恵・崔順実ゲート事件などを受け、昨年度から続く朴僅恵の弾劾から文在寅の大統領就任へ至る過程で「ロウソク集会」を通じ、従来の暴力的な政治活動から脱却して、かなり成熟した民主的な態度を韓国民も身に付けたことが判明した。そして、この過程で反共保守勢力が事実上その支柱を失い、今や自由韓国党が朴僅恵を党籍から除名する事態が起きている。もともと「反共国家」として誕生し、東西冷戦の前線国家と言われた韓国は、こうして統一を必ずしも望まない若い世代の増加と相俟って、北朝鮮とは関係を持ちつつも、もはや依存しない独自の道へ進みつつある。
結果として、従来のように南北が分断と対立を利用しながら国内統治や外交軍事政策を打ち出していく政治スタイルから転換し、今や他の国々と同様ごく普通の一民族二国家の関係へ向かっているように感じられる。東西ドイツとは異なり、このようにして朝鮮半島では冷戦の終結が正に南北の分離と完全独立に至ることで果たされるのではなかろうか。つまり、南北間の対立と依存の複雑な関係は「特殊な関係」として同一民族が持つ紐帯で支えられてきたが、今や同一の民族を越えて異質な国家が全面に現れてきたのである。
このような事態は、周辺諸国にとって必ずしも悪いことではない。なぜならば、1970年代中盤に元米国務長官キッシンジャー(Henry A. Kissinger)らが主張した「クロス承認」とほぼ同様な国際環境が現れれば、南北朝鮮が軍事的に対峙する事態が終わり、両者の間で然るべき条約の締結を通じて事実上の統一を実現することも可能である。ヒト・モノ・カネ・情報は南北の国境を越えて往来し、釜山から新義州まで二国間を繋ぐ鉄道や道路も通じるであろうし、金剛山観光事業に一般外国人として韓国人も参加する道も生まれよう。統一というイデオロギー的な呪縛から解放されて、実際の統一状態が出現するのである。
北朝鮮が「並進路線」と言われる軍事と経済の同時発展を図り、その路線がある程度の成果を収めたところから、北朝鮮は韓国に依存しない本当の意味の独立を達成する自信と展望が持てたのであろう。いずれ北朝鮮による開城工業団地の独自な操業も本格化して、平和的な環境の中で世界が北朝鮮に投資を行うという変化が訪れるかも知れない。各種の報道や筆者の現代峨山関係者への取材によると、北朝鮮は開城工業団地で小規模の発電所を建設してアパレル関係の小工場を独自に稼働させているようだが、国外から北朝鮮への投資が本格化すれば、工業団地の国際化と多角化、分散化を通じ、本来の「包容政策」で実現しかけた諸事業が本当に実現する日も来よう。それが北朝鮮の改革と開放の道である。
誰もが認めるように、中国共産党大会を経て新たな陣容を整えた習近平政権がトランプ(Donald J. Trump)訪中の結果を受けて、何らかの行動を起こすであろうと見られている。そこでは、中国が対米関係にあって北朝鮮という緩衝地帯(Buffer Area)を手放さないのが明白である以上、仮に米中が手を組んで現政権を葬るとしても、さらには最終的な手段として金正恩が自らの身辺の保障と引き換えに西側へ寝返るとしても、政権交代(regime change)等を通じて中国が北朝鮮という地域的枠組みは維持しつつ、韓国を含む周辺諸国と善隣関係を結ぶように導くはずである。朝鮮北部に米軍は駐留しない、あるいは超高高度戦域ミサイル防衛システム(THAAD)を朝鮮南部から撤去する等、中国の新しい指導部は米国と金正恩政権の除去条件を取り決めて、米中の和平と共栄のため動くであろう。
もちろん、北朝鮮の持つ後進性(backwardness)は否定すべくもないものの、逆にそれだからこそ彼らには発展の前途があり、そこにビジネス・チャンスを認めることも出来る。いちど資本の回転が始まると止まることなく利潤を追求するのは属性であり、その証拠が「赤い資本主義」中国である。代替体制の見本であると中国は自体制を認識しているので、むしろ北朝鮮の改革と開放へ繋がる動きを積極的に支援し、さらには押し付けるであろう。
このように眺望すると、いたずらに北朝鮮と対決するような言辞を弄するのではなく、もう少し中長期的な展望に立って事態を静観すべきである。けだし、北朝鮮は先に手を出せば、トランプが国連演説で吠えたように米国は間違いなく「完全破壊」の反撃をしてくると充分に分かっている。上述した柳氏の「自衛」発言から分かる通り、北朝鮮は攻撃されれば反撃するとしても、威勢は良くとも自ら先制攻撃はしないだろうと想定して良い。
それにも関わらず、彼らが大口をたたくのは、その敗者としての歴史から理解できる。もともと日本の植民地として旧ソ連軍により解放され、東西冷戦の中で米国が作った韓国に対抗して、スターリン(Joseph V. Stalin)によって作られたのが金日成政権であった。彼はソ連の現地政策実行者に過ぎなかったので、なんとか実力で国の実権を掌握しようと朝鮮戦争を計画、中ソの了解を取り付けて開戦に踏み切った。ところが、米軍はじめ国連軍が戦争に介入し、朝鮮人民軍は脆くも敗退して、参戦してくれた中国人民志願軍により、やっと体制を維持することが出来た。しかし、人民志願軍は金日成に強大な圧力であった。
人民志願軍が駐留する中、1956年に「8月宗派事件」という一種の権力闘争が起こり、中ソ両党から内政干渉を受けた金日成は、危機的な立場に追い込まれた。すなわち、朝鮮労働党内での血の粛清を咎められた彼は、中国が主導する中ソ両党の訪朝団から粛清停止を要求されて、嫌々ながらも部分的にその要求を受け入れる外なかった。世に言う「血の盟友」なる表面的な言説とは裏腹に、内実では中朝関係は緊張と猜疑の関係に他ならない事実が明白なったのであった。ここから金日成の子の金正日しかり孫の金正恩しかりで、未だに北朝鮮は中国には警戒を解いていない。詰まる所、米国との敵対に加えて中国への依存の関係を解決しようとする弱小国の努力こそ、1960年代から始まった核とミサイルの開発であった。それが旧ソ連邦や東欧諸国から助力を受けながら進展し、2006年10月に最初の核実験に踏み切って、ミサイル開発と共に脅威と見なされるまでになったのである。
結論を述べれば、北朝鮮を過大評価すべきではない。弱小国が核とミサイルを保有していま初めて自信をつけた段階であり、最近になって「トン主」と言われる小資本家が立ち現われ、資本主義的な市場経済の拡散から次第に豊かになっていくことで、やっと人並みの生活を享受できる階層も現れた程度である。その市場経済の拡散程度は詳しく外部から観察されたことは無いのだが、少なくとも資本主義的な生産・流通の形態を導入したことは筆者も一度たずねた農民市場を通じ、広く一般住民にも知られているのは間違いない。
これから何らかの政治的な変動は起きても、その経済発展は止められない。意識が存在を規定すると主張する「主体思想」という独特な北朝鮮の国家イデオロギーとは正反対に、マルクス(Karl Marx)が喝破した通り、存在が意識を規定するのであって、豊かになりつつある北朝鮮の住民たちは、もはや独裁者の下で「苦難の行軍」と称した金正日政権での極度の貧困には耐えられず、いつでもブルジョア革命を起こす可能性さえあると言えよう。
最後に強調したい点として、我々が友好親善の関係を結びたいのは北朝鮮に暮らす普通の住民たちなのであって、「最高尊厳」と称する独裁者でもなければ政府のお偉いさんでもない。彼らは、軽微な罪で拘束していた米大学生ワームビア(Otto Warmbie)君を瀕死の状態で帰国させながら、その死の責任が米国にある等とウソぶく成らず者であり、現政権では権力を恣意的に使って独裁者の肉親まで殺す等の犯罪的な行為を繰り返している。この点は、北朝鮮の一般住民も広く了解しているようで、政権と人民の乖離が進んでいる。
残念ながら「ウリ(我々)式社会主義」という現在の政権では、旅行者は「案内員同志」なる監視役と同伴しなければ行動できないが、早晩この政権が交代される等の政治社会的な変化が起きれば、その立派な国名に相応しい「民主主義人民共和国」に住む普通の朝鮮人と日本人や米国人とが積年のハン(怨み)を解いて和解する日も訪れよう。その日こそ朝鮮半島でついに冷戦が終結する記念すべき時となるはずであり、その時は遠くない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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