「浜の一揆」訴訟 ― 12月1日(金)結審へ
- 2017年 11月 29日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟は、いよいよ大詰め。12月1日(金)13時30分開廷の口頭弁論期日で原被告双方の最終準備書面を陳述して結審となる予定。その次の期日には判決言い渡しである。
この訴訟は、サケ漁の許可をめぐってのもの。岩手の河川を秋に遡上するサケは、三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。沿岸漁民がこのサケで潤っているだろうと思うのは早とちりで、実は三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収という罰則まで用意されている。
では誰がサケを獲って潤っているのか。大規模な定置網業者なのだ。漁協であったり、漁協幹部のボスであったり、株式会社だったり。零細漁業者は閉め出されて、大規模業者だけがサケを獲っている。これっておかしくないか。
岩手沿岸の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねたが、なんの進展も見ることができなかった。
そこで漁民が「浜の一揆」に立ち上がったのだ。嘉永・弘化の昔なら、「小○」のむしろ旗を先頭に藩庁を目指して押し出したところだが、今の時代のそれに代わる手段が行政手続であり行政訴訟の提起である。だから、この訴訟は「一揆」の心意気なのだ。
原告が本訴訟を「浜の一揆」と呼んでいるのは、岩手県の行政を、かつての南部藩の苛斂誅求になぞらえてのことだ。また、漁業の民主化とは名ばかりのこと、実は浜の社会構造は藩政時代の身分的秩序と変わらないではないか、との批判もある。当然に、県政にとっては面白くない批判である。県政の庇護のもと既得権益をむさぼっている浜の有力者や漁協の幹部たちにとっても愉快なことではなかろう。
このことについて、被告の最終準備書面で一言あった。やっぱり気にしているのだ。このネーミング、多少は効いているんだ。
原告らが本訴訟を「一揆」と呼んでいることについて、被告岩手県は最終準備書面において、こう述べている。
「原告は、本件訴訟を『県当局が漁民らを不当弾圧していることへの浜の一揆』だと主張している」。「仮に、原告らが『地域の漁業関係者の理解のもと固定式刺し網漁業によりサケの採捕を自由に行い地域に貢献しつつ幸せに暮らしている光景』なるものが過去に存在し、それを被告が不当な事情で踏みにじったなどという事情が存在するのなら、それを改めようという紛争は、『一揆』と表現するに相応しいのであろう。」「しかし、固定式刺し網漁業によるサケの採捕の禁止は、かつて漁民らが自由に行っていたものを禁止したのではなく、何十年も前から漁業者内部で行われるべきではないものという共通認識がなされていたものを当時の漁業者の総意を受けて明文化したものに過ぎない」
私流に被告の言い分を翻訳すれば、次のようなことだ。
「仮に、三陸の漁民が『漁業界のボスたちの了解のもとにサケの捕獲を自由に行い、県政からも咎められずに幸せな漁民としての暮らしを送っているという光景』なるものが過去に存在し、それを県政がぶち壊したというのなら、それを「元に戻せ」という紛争は、『一揆』と表現するに相応しい」。しかし、「そんな過去の光景はなかったではないか。」「零細漁民は、何十年も前から、ずっと漁協やボスの支配下にあって、大っぴらにはサケを獲ってはならないとされていたのだ。」「県政のサケの採捕の禁止は、それを明文化したものに過ぎない。」「だから、一揆というのは怪しからん」
また、この点についての原告最終準備書面の一節を引用しておこう。
「被告は『原告らは、固定式刺し網によるサケの採補が認められていないせいで本県の漁業後継者の育成及び漁業の係属が不可能になると主張するが、本県では従前から固定式刺し網によるサケの採補は認められていないから、原告らの主張をあてはめると本県漁業関係者はすでに壊滅的な状態になっているはずで、そうした非現実性に照らしても、原告らの主張は理由がない。』という。
しかし、被告(岩手県)作成の漁業センサス確報2013年版によれば、1988年岩手県の漁業経営体の数は8129であった。これが、10年後の1998年は6080になった。2008年には5313に、そして2013年には3365に減少している。
25年間で経営主体数の6割が減少しているのである。もはや、「壊滅的」と表現するほかはない。経営が成り立たず、後継者もいないことから、多くの漁師が毎年廃業している現実を、被告県は、全く重大視していないのである。原告らは、原告本人尋問などで、その苦しい経営状況を明らかにした。…貴裁判所には、現実を凝視した上での判断を要望する。」
かつての一揆の原因には、まず困苦があった。そして藩政の非道への怒りがあった。さらに、多数人の反骨と組織力があっての決起である。浜の一揆も同様である。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。どうして、漁協と浜のボスだけにサケを獲らせて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平が許せるかとの怒りだけではない。原告らには知恵も団結力もあるのだ。こうして成立した浜の一揆なのだ。
一揆の参加者は、ちょうど100人である。沿岸漁民が、2014年に3次にわたって岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をし、これが不許可となるや所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。その提訴が2015年11月のこと。以来、2年で結審となる。
訴訟の請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。
請求の根拠は次のようなものだ。
三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点である。漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。
この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その自由の制約も可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。
この合理性・必要性に支えられた理由を法は2要件に限定している。漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができるとする。それ以外にはない。
これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。
ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。
したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。
このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、この理由がないことは明確になったといってよい。問題は、「漁業調整の必要」という曖昧な理由の有無である。その指導理念は、漁業法に特有の「民主化」でなくてはならない。本件では、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われている。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのか。
定置網漁業者の過半は漁協。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」という。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。漁民と漁協、その主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想にほかならない。
また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。
「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではない。万が一にも、裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」などという倒錯した主張を採用してはならない。
12月1日(金)結審の「浜の一揆」訴訟にご注目いただきたい。
(2017年11月28日・連日更新第1703回)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.11.28より許可を得て転載
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