トランプのエルサレムの首都承認は歴史的重大犯罪 ―日本政府は抗議と撤回要求をすべきだ
- 2017年 12月 8日
- 時代をみる
- イスラエルエルサレムパレスチナ坂井定雄
トランプ米大統領は6日、世界で初めてエルサレムをイスラエルの首都として承認、発表した。米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移転準備開始も指示した。
エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地で、とくにイスラム教徒にとっては、神の預言者ムハンマドが昇天したとされる、最も重要な3聖地のひとつ。このため、国際社会が第2次大戦後、英国の委任統治終了後のパレスチナの処理を決めた1947年の国連パレスチナ分割決議では、アラブ人領土とユダヤ人領土への分割とともに、エルサレムを国際管理都市に指定された。その直後の第一次戦争で、エルサレムは聖地の歴史的建造物が集まる東半分をアラブ側、西半分をイスラエルが占領。さらに67年の第3次戦争でイスラエルは東半分も占領して東西合わせたエルサレムを首都と宣言したが、米国を含め国際社会は、あくまでエルサレムを国際管理都市とする47年国連パレスチナ分割決議を順守。イスラエルの首都宣言を受け入れず、すべての国が大使館をテルアビブに置いたままだった。
トランプ政権下の米国が、エルサレムを首都として承認し、大使館を移転することは、当事者のパレスチナ人だけでなく、全イスラム教徒、イスラム国家の強い反感、反米行動を呼ぶことは必至だ。イスラム過激派の反米テロも拡大激化するだろう。
▼エルサレムの歴史と現状
今年は英国が「ユダヤ人の民族的郷土をパレスチナに樹立することを支持する」とした1917年のバルフォア宣言発表から満百年。
バルフォア宣言以後、パレスチナへのユダヤ人移民の組織的入植がはじまり、第1次大戦後の1920年にパレスチナは英国の委任統治になった。しかしユダヤ人移民とアラブ人住民との争いが増え続けたため、第2次大戦後、英国は委任統治放棄。1947年、国連は米国の強い影響下にパレスチナのアラブ・ユダヤ分割決議を採択。総人口約2百万人のうち3分の1のユダヤ人に全土の57%、3分の2を占める主にアラブ人に43%を与え、エルサレムを国際管理都市とする内容だった。翌48年ユダヤ人側はユダヤ国家イスラエルの建国を宣言、分割案に不満だったアラブ側から攻撃開始、第1次中東戦争となった。イスラエルの優勢下に49年休戦協定。イスラエルは占領地を77%に拡大。エルサレムの西半分も占領した。
さらに67年の第3次戦争でイスラエルは、エルサレムの東半分とヨルダン川西岸地区、エジプト領シナイ半島を占領。イスラエルは東西エルサレムを統合して首都宣言した。しかし、国連も米国を含む各国もこれを認めず、パレスチナ側の武装抵抗闘争が拡大した。93年、前年の総選挙で選ばれたパレスチナ和平推進派のラビン・イスラエル首相とアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)が、米国の仲介で交渉、パレスチナ暫定自治宣言に調印。ヨルダン川西岸地区とガザの自治が始まった。
エルサレムについては、パレスチナ側は、故アラファト大統領以来「エルサレムは将来返還後の首都」と宣言。イスラエルは首都宣言をしたものの西半分に住むパレスチナ人を強制的の追い出すこともできず、米国と国連、各国からの圧力もあり、中途半端な支配が続いた。
▼安倍首相はこれでも支持するのか
安倍首相はトランプの大統領選当選後、真っ先に祝賀に飛び、現在に至るまで、他国の首相とはまるで違う支持、信頼、愛想を捧げてきた。しかし向こうは増長するばかり。今回のエルサレム首都承認は、間違いなく、国際社会、各国が非難、批判する行動だ。トランプの暴挙にも、愛想をささげ続けるのか。情けない、恥さらしだ。それとも、沈黙を守るのか。
(了)
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