テント日誌12月6日…インドネシア火力発電事業に抗議の声
- 2017年 12月 8日
- 交流の広場
- テント日誌12月6日(水) 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後(9・11から2278日)
かなりの冷え込み 12月1日(金)
事務所に着くと、Tさんが私にタブレットの中の物をプリントしてほしいというので、それはできないけどPCからだったらできるよ。と言うことでPCを立ち上げてみた。すると、何とPCの重いこと、うんともすんとも言わない。仕方がないのでPCの掃除から始める。デスクトップに貼り付いたアイコンをフォルダに入れ綺麗にした。そして、CCLEANERをダウンロードして清掃してみた。何とかさくさく動くようになった。頼まれた物をプリントアウトして、急いで事務所を出た。
そんなわけで、出発が遅くなってしまった。経産省前に着くと既に幟旗も立ち椅子もしっかり並んでいる。TさんをはじめYさんWさんたち女性陣がセットしてくれたのだ。
早速座り込み開始するが、冷え込みが厳しくオーバーズボンをはく。幾分か暖かくなった。それでも寒いので腰にカイロを入れてみた。何とかこれで大丈夫。時折、身体を動かしたりして、冷えきった身体を暖める。
いつもやって来る年輩のおじさんが「ご苦労様、この寒いのにここに座り込んでも何にもならないよ。安倍や世耕大臣は痛くも何ともないよ。」と言ってくる。ここに座り込む事に異議がないかどうかは、原発反対の世論が6割7割あることが証明されているでしょ。運転するだけで毒物をまき散らす原発の危険性は今ではごまかすことはできないでしょと訴える。
4時になり、ぼちぼち人が集まって来たので、私は文科省前に移動する。今日は高校生や大学生は今年最後になる金曜行動だそうで、いつもの2~3倍は人が集まってきている。しかも、韓国から農民会のメンバーが来日し、抗議に参加しているので文科省前の道に人が溢れかえっていた。 (S・S)
【地震×原発】指標が抜きんでて世界一危険 12月1日(金)
文科省前の300名を越える若者たちの声を聞きながら、経産省前で抗議行動を開始。ひとしきりの抗議コールのあと、富山から来られた方(九条改憲阻止の会)が原発推進を止めるように経産省に厳しく訴える。
続いて、唐津に駆けつけて脱原発を訴えている淵上さんから電話肉声で現地行動報告。この2日間の現地の方々との行動に続き、2日にも午前は九州各地の人たちと唐津市でポスティング等の行動をして午後には「玄海原発再稼働を許さない! 12.2唐津集会」に参加するそうだ。
さらに、1日午後に衆議院議員会館で行われた<集会&政府交渉:原発事故被害の今とこれから~求められる「国」の関与とは>の報告を聞いた。イタリアの広くきれいな避難住宅には驚いた。2人用60㎡とか5人用100㎡とか。福島のプレハブ避難住宅とは雲泥の差だ。常設の市民安全省、災害防護システムがあるのも素晴らしい。日本はなぜこんなに思いやりがない心が貧しい国になったのだろう。25兆円の復興費はどこに消えたのか?
小児甲状腺がん194名についても、そして他にどれだけ患者が出て隠されているかも政府交渉で役人たちは明らかにしなかったらしい。
院内集会での塩崎賢明さんのお話でもう一つ驚いたのは、地震国日本・原発密集国日本は、他国に比して二桁も危ない世界一危険な国ということ。
3.11後6年9カ月、何としても原発を止めねば。 (K.M)
日差しを浴びて輝く銀杏に魅せられて 12月2日(土)
今日も快晴。やはり雨はいやだ。まだ正午なのに影がとても長く、南の空の太陽は夕日のように低いところで輝いていた。冬が近づいてきている。
日差しを浴びて銀杏の黄色とオリーブ色の葉が誇らしげに輝く。歩道を落ち葉がうっすらと覆い殺風景な霞ヶ関を彩る。樹々にはまだたっぷりと葉が残っていてO・ヘンリー的気分になるのはまだ少し先のこと。「最後の一枚が落ちればこの国の原子力行政は大きく舵を切り、核廃絶に向かう」。なんてことになればいいのだけれど。目の前の建物の中で最後の一枚の絵を懸命に描いているのかもしれないね。
いつものように機動隊のお巡りさんが私たちに気づいていないかのように無言で通り過ぎていった。ここでは座り込みは非日常ではなくて日常。だが沖縄では…。言葉もなく右手を左胸に。
デモクラシー、でも暮らし。暮らしを犠牲にはできないけれど、デモクラシーを日常化しないとやはり生きていけない。だから一駅だけ足を運ぶ、一歩でいいから足を踏み出す。できるのはそんな事だけ。
15時すぎると異常に寒くなった。冷気が周囲を包む。昼の暖かさに騙されないようにしないと。(O・O)
不愉快な経産省側の応対 12月3日(日)
暖かい初冬の日曜日。いつもどおり藤原さんと一緒に座り込みのセッティングを完了。ほどなく銀輪部隊の二人と群馬のTさん、日曜当番の橋ゆきさんが加わる。今日も合唱隊のIさんWさんのお二人はお休みだそうだ。2時ごろにようかんさんが来てウクレレで歌い始める。橋ゆきさんは縦笛でSさんも加わっての賑やかな抗議だ。暖かいのでうとうとしていると急に敷地内に入るなとの怒声が聞こえた。見ると経産省日雇い? 巡視警備員がSさんの小さな手提げ袋が歩道の縁石に乗っかっているということで大声をあげたらしい。
これに怒った橋ゆきさんが経産省側に椅子やテーブルを移動して経産省と彫り込まれた大理石を挟んで抗議の意思表示だ。やがて、匿名の110番通報があったということでシロチャリの警官2人が来て、橋ゆきさんが警官に説明したところ了解して帰った。それにしてもいつも大人げない経産省である。それだけ自分達がやっていることが悪いことだという自覚があるのだろう。こちらとしても正当な抗議行動を妨害された思いで不快な一日だった。(S・K)
寒さが身体に響く歳になったのを実感しながら 12月3日(日)
少し前から腰痛が出てきていてだましだましの日々なのだが、経産省前の集会で長く立っていたのがきいてか、痛みが増した。腰を温めるカイロを忘れていたためである。その日は帰りには難儀をした。テントがまだあったころも冷えると腰にくることは経験済みなのだが、カイロは手放せない。そんな歳になったのだと実感するが、陽ざしが温かであると言って油断は禁物なのだ、とあらためて思う。
巷は忘年会の季節だ。かつては手帳が忘年会のスケジュールで埋まっていたこともあったが、今は少なくなった忘年会を楽しんでいる。これは日本の文化なのだろうか、と思ったりする。こういう日々の中でも訃報を聞くことも少なくなく、粛然とした気分なさせられるのだが、時にはホットすることもある。過日、孫たちが来るというので勝栗(焼栗)を買ってきた。栗の皮をむきながら、孫娘に、これは栗の木になるのだと言いながら、「大きな栗の木下で…」と歌ってあげた。大きくなってキャンプに行くと教えられよ、とも言って。そしたら、孫娘は「おじいちゃん違うよ」と言いながら自分で「大きな栗の木の下で」と歌い出した。そして、つられるように下の方の孫もかわいい声で唱和した。僕は驚いた。そして、この突然の出来事が嬉しかった。今も、その歌が風呂場で自然に口をついて出る。こんないいこともある。それは師走というどこか気の休まらない日々に訪れるオアシスのようなものだ。
あれやこれやの日々の中で、経産省前にやってくるのだが、どう考えても理不尽な原発再稼働の動きには我慢がならない。国会は相変わらずの風景だが、そういう政治の動きと関係なく、原発再稼働は進められる。国民の意向というか、意志と無関係に国家的な、共同的(公的)な政策が進められる。これを権力の暴走というが、それをものの見事にやっているのが、原発再稼働である。これを止めるにはどうすればいいのか。僕らには座り込みに足を運ねだりするようなこと等しか、今のところ道はない。いつもの面々に顔を合わすことで、どこか気持ちが救われることぐらいしか支えはないのだが、こんな風に年をこえていくのか。来年のことを言うと鬼が笑うらしが、笑われてもいいから、壁を超えるものが見えるといいのだが。「としたけてまた超ゆべし思いきや命なりけり小夜の中山」(西行)。(三上治)
山口からお孫さんに会いに来た女性が寄られて 12月4日(月)
今住んでいるアパートが大地震に対して耐震性がないので引っ越ししてくれるよう夏から頼まれていた。先週尋ねた不動産屋がすぐ見つけてくれきのうアパートを見てきた。陽当たりも良く内部も小綺麗なのでここに引っ越すことにした。今日中に契約を完了しないと他の人にきまってしまうかもしれないというので早番の責任者のSさんに事情を話して遅れることを了解してもらった。
全ての契約手続きが完了したのが2時半過ぎだったが、4時前には着けるのでその旨テントに伝えて家を出る。テントに着いたのは4時過ぎだったが常連の人は私のくるのを待ってくれていた。4時半頃その人達が帰ったので今日のテントの様子を聞いた。今日は陽が出て暖かく座り込み用具を経産省まで引いて来る間に汗をかくほどであったそうだ。テント前は何事もなく過ぎていったが、一度だけ右翼の街宣車が外務省へ抗議しに来たついでにテント前を通り、相変わらず口汚く罵って走り去って行ったそうである。彼らの罵りには根拠がないので我々には全く通用しない。
経過を聞いたあとでレジェンド・Sさん、山口県からお孫さんに会いに来られる女性やらが立て続けに見えられ、たちまち賑やかになった。山口の女性はここが三ヶ所目で七時半の高速バスに乗って帰るという。相変わらずエネルギッシュである。大きな板チョコを買って来られ皆でご馳走になった。レジェンドさんはきょう一人でこられたのでいつも心配している助さん、格さんは一緒じゃなかったのか訪ねると、第一月曜日は防衛省への抗議行動の日なので一足先にそっちに行かれたそうでレジェンドもここが終わったら防衛省へ向かうそうだ。まだ昼のお弁当を食べてなかったそうでー貰ったお菓子を食べていたら忘れていたーそれを食べて防衛省へ行かれた。足どりはしっかりしているように見えた。(保)
泊(北海道)のSさんが夜の会議に参加された 12月5日(火)
午前中に北海道・泊村から座り込みに参加したいという連絡があった。12月2日(土)より3日(日)午前まで福井県のおおい町で開催された原発再稼働反対の「全国相談会」と、3日(日)午後からの大飯原発動かすな!全国集会とデモに参加され、北海道への帰路、東京に立ち寄られた方だった。
雲ひとつない快晴の霞が関は12月にしてはかなり暖かく、昼の12時前に椅子を並べ終えると多少の汗をかいていて、ホッとして3人で座り込みを開始した。すると直ぐに、警察車両から中年の制服警官がやって来た。彼はしばらくこちらを伺い、最後に近づいてきて「路上にものを置かないで」と言い捨てて立ち去った。
しばらくすると急に寒くなった。西の空を見上げると小さな雲が太陽を隠していたのだ。その雲も直ぐに飛んで行って、再び暖かくなったところに、新潟からやってきた方が座り込みに参加された。そしてSさん(国分寺の元気なばあさん)がいつもより早い2時過ぎにやってきた。また、午後の座り込みには参加できなかった、といって泊のSさんが夜の会議にお見えになり、最後までお付き合い頂いた。(O・E)
インドネシア火力発電事業に抗議の声 12月6日(水)
今年で一番寒い日だということなので、着こんで来たが、日が照っていて暖かい。座り込みグッズをセットし終わった頃、財務省前でマイクを使った抗議行動らしい声が聞こえたので見に行った。抗議していたのは「インドネシア チレボン石炭火力発電事業にNO!」「JBICの石炭発電融資にNO!プロジェクト」の人たちだった。主張は以下のようなこと。
“日本の官民で推進するチレボン火力発電事業はインドネシアの住民、漁民の生活を破壊するもので、インドネシア住民は拡張反対の裁判を起こし、裁判所は差止を認め、2017年4月に2号機の環境認可は取り消された。それなのに、事業者(丸紅や東京電力の合弁会社)は「詐術」を使って、拡張計画を続け、融資契約まで結び、それを実行し始めた。これは許せない。パリ協定の実施にも違反することだ。財務省と外務省は推進指導をやめろ”インドネシアから3人の住民が来ていた。それぞれ発言されていた。発言の中で、日本のやり方は戦前の、インドネシアを植民地支配していた時のそれと同じだ」ということも言われた。経産省の原発政策も、インドネシアでの火力発電政策も資本の儲けのためだということだ。
今日は水曜日なので、規制庁への抗議行動をやってきた人がきて、座り込みに参加。さらに今日は.「大飯原発再稼働やめろ!関電東京支社抗議行動」が17:30~18:15(富国生命ビル前)まで、続いて、「第51回東京電力本店合同抗議が18時30分~19時30分頃まで(東京電力本店前)ある日で、3時過ぎくらいから、それに参加する人も座り込みに参加し始めた。それから今日は環境省を呼んでの甲状腺がんについての追及集会が議員会館であり、Tmさんはそれに参加してから遅番の当番に入られた。(T・I)
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青空川柳句会
12月10日(日)13時~ 経産省前にて 選者(乱鬼龍)
STOP!伊方原発高松集会12.10
12月10日(日)13時~ JR高松駅前広場
◆第6回福島原発告訴団総会のお知らせ◆
秋も終わろうという時期になってしまいました。開催が遅れて申し訳ありません。第6回の総会を、福島県郡山市のビッグアイにて行います。記念講演として、サイエンスライターの添田孝史さんの講演も予定しております。
皆様のご参加をお待ちしております。
第6回福島原発告訴団総会
日時 12月10日(日)
第一部 13:30 開会・議事
第二部 15:00 記念講演
16:30 閉会
場所 郡山市ビッグアイ 7階会議室1
(郡山駅西口 徒歩すぐ)
無料
*第一部は告訴団会員のみの参加とさせていただきます。
以下のアドレスより入場券を印刷し、記入してお持ちいただけると助かります。
https://goo.gl/5VwEPX (googleドライブへのリンク)
印刷ができない場合、当日受付でお名前・ご住所の記入をお願いします。
*第二部の記念講演はどなたでもご参加頂けます。
記念講演「東電を助けた『国策』手抜き捜査」
講師:添田孝史さん(サイエンスライター。元国会事故調協力調査員)
12月8日(金)5時~6時経産省前抗議行動(テントひろば)
官邸前抗議行動は6時30分から(首都圏反原連)
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