眼薬一滴、七倍多すぎる
- 2018年 1月 20日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
National Public Radio(NPR)が、ProPublicaというWebニュースサイトの記事を配信してきた。NPRは市民からの小口の寄付で運営されているラジオ局で、アメリカではそれなりにリベラルなマスコミといわれている。そのWebニュースサイトが配信するぐらいだから大きな間違いはないだろうと、ProPublicaのニュースにざっと目を通した。
真偽の確証はないが、ProPublicaの記事に大きな間違いや誇張があるとは思えない。訴訟大国のアメリカで製薬業界を相手にした記事、もし間違いでもあれば、それこそ天文学的な賠償金を請求されかねない。ことはアメリカだけではないだろうし、日本の一滴はどうなんだろうと気になった。
「Drug Companies Make Eyedrops Too Big, And You Pay For The Waste」、読まなくても題を見れば、何を言おうとしているのか想像がつく。記事のurlは下記のとおり。
<NPR>
<ProPublica>
https://www.propublica.org/article/drug-companies-make-eyedrops-too-big-and-you-pay-for-the-waste
去年の健康診断で、白内障の初期症状がみえるから、進行を防ぐ点眼薬を使うようにといわれた。処方箋もって点眼薬を買ってきたはいいが、目薬なんか使ったことがないから、どうやってさせばいいのかまどった。一日三回、天井を目にして、コツというほどのことでもない経験をして、うまくなったというのか、普通にさせるようになった。
それでも、溢れた目薬をティッシュペーパで拭かなければならない。たまに少ししか出なかったのか、流れ出ないこともあるが、そんなことはめったにない。白内障の点眼薬は安いから、溢れ出たところで、さして気にもならない。それが、もし高い目薬だったら、溢れ出るのをなんとかならないと、ニュースに書かれているように気にするだろう。
ニュースで取り上げている点眼薬は緑内障用のもので、商品名はAZOPT® (brinzolamide ophthalmic suspension)。5 mL(日本の標準的表記)入りの一ビン(約百滴分)が295ドル(三万円以上)もする。メーカは、スイスに本社をおく巨大製薬会社Novartis Pharmaceuticals傘下のAlcon Pharmaceuticals。
記事によれば、点眼薬の一滴の量は、多くが50 microliters(アメリカの標準的表記で日本では0.05 mL)で、これは人の目が受け入れられる量の二倍以上ある。 こんな単純なこと、製薬会社は何年も前から知っている。知ってはいても、一滴の量を少なくする容器にしようとはしない。事実、二〇一一年のPfizer社のメモには、「点眼薬の一滴は25から56 microliters(0.025から0.056 mL)だが、人間の目が一度に受け取れる点眼薬の量はわずか7 microliters(0.007 mL)」と書かれている。
普通に考えれば、一滴を小さくして、たとえば余裕をみて0.007 mLをちょっと超える量にした方がいいじゃないかと誰もが思う。そうすれば、頬に溢れる量が少なくなって、無駄が減る。ところが、賢い製薬会社はそうは思わない。頬に溢れる目薬が多いほうが、消費が進んで、もっと売れる。目薬が目に留まろうが、無駄に流れようが、その費用を負担するのは患者。患者が上手に目薬をさせないで、こぼれてしまうのは自分のせいだと思って、次の目薬を買ってくれたほうが儲かる。
記事には、もし一滴の量を少なくして、無駄が減ったとしても、製薬会社は売り上げを保つために目薬の単価を引き上げるだろうから、患者の負担が大きく減るようなことはないだろうという落ちまでついている。
それはまるで、数十年まえに話題になった「味の素のビンの穴を大きくすれば、多くかかってしまうから、もっと売れる」という話と同じロジック。数十年前の話なので、まさか今日日のWebに載ってっこないと思いながらみたら、驚くことにいくつも載っていた。気になるかたは、Googleで「味の素の穴を大きく」と入力してサーチしてみるといい。
目薬によっては粘度も違うし、一滴の出方にバラツキもあるから、人間の目が受け取れる0.007 mLぎりぎりに一滴の量を調整すると、必要とする量をさせない危険がある。そのため溢れるまでの量でなければまずいという主張にも一理ある。確かにそのとおりで、溢れる余裕は必要だろうが、0.007 mLの器に0.05 mL、器の七倍もの量を流すのは、どう考えても無駄を多くして、販売を増やそうという製薬会社の都合にしか見えない。
目薬は角打ち(かくうち)とは違う。角打ちならコップから升に溢れた酒はすすれるが、流れた目薬はいつまでたっても、上手にさせない、ティッシュペーパを用意してという余計なことまでしなければ、目薬一つさせないのかいうイヤな気持ちにさせられる。女性のなかにはアイラインやファンデーションがと気にする人もいるだろう。
日本の目薬メーカがPfizer社のメモを知らないわけでもないだろうし、頬に流れて無駄になることを知らないわけでもないだろう。それでも、一滴の量は日本でも0.05 mL(50 microliters)でアメリカと同じになっている。
日本にも頬に溢れる目薬を気にして、一滴の量はどのぐらいがいいのかと気にする人もいるだろうと思ってWebをみたら、気になることを質問して善意の人が答えてくれるサイトがでてきた。
Googleで「点眼薬の一滴の量」とでも入力すれば、関係したサイトのリストがでてくる。どれも似たようなことが書いてあるが、
善意の人たちの回答で、ProPublicaの記事のように突っ込んだ話にはなっていない。日本でも高額医療費が問題になってはきたが、社会として許容限度を超えた医療先進国アメリカほど先鋭化していないのだろう。
製薬会社に何をいったところで、一滴の量を少なくして、頬にこぼれる量を減らすなどということは天地がひっくり返ってもしそうもない。一消費者として、できることは限られている。こぼれる量を少なくすればいいだけなら、容器の丸い口をペンチでつぶして楕円にすれば事たりる。容器の樹脂には弾力性があって、人の力でいくらつぶそうとしたところで、完全につぶれやしない。してやったりと思ったが、キャップをするとキャップの内側の丸い出っ張り(栓の役目?)が、せっかくつぶした穴を丸く元に戻してしまう。他になにかいい方法はないかと考えているが、なかなか思いつかない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7282:180120〕
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