名護市長選挙 ―「選挙結果がすべて」ではない
- 2018年 2月 15日
- 評論・紹介・意見
- 宮里政充
政権与党によるあからさまな利益誘導型の選挙だった
2月4日に行われた沖縄県名護市長選挙は、事実上、辺野古への米軍普天間飛行場移設を推進する安倍政権とそれに反対する翁長雄志沖縄県知事による代理戦争であった。だから菅義偉官房長官を中心として政権与党はなりふりかまわぬ選挙戦に出たのである。
昨年12月には菅官房長官自らが沖縄入りして渡具知武豊候補とその支持者らと会い、総事業費1000億円の「名護東道路」(8.4キロメートル)の未完成区間(2.6キロメートル)を前倒しして1年半で完成させることを約束、さらに道路の延伸調査を関係省庁に指示したことを明らかにした。
また、全国土地改良事業体連合会の会長である二階俊博幹事長は今年の2月4日に沖縄入りし、土地改良事業の関係者にわたりをつけた。1000票以上の票が渡具知候補に流れると踏んだのである。
このような利益誘導は4年前の同市長選挙の際、当時の石破茂幹事長が500億円の地元振興基金構想をぶち上げ、地元有権者の反発を買って、稲嶺氏に約4000票の差をつけられた。今回菅官房長官も二階幹事長も、その失敗を繰り返さないように注意を払いながら、ぎりぎりの手法を用いたものと思われる。
この2人のほかに、100人にも及ぶ与党国会議員を沖縄入りさせ、建設、運送、自動車整備などそれぞれが得意とする業界を回って渡具知支持を呼び掛けたという情報もある。
それとは別に、小泉進次郎、三原じゅん子、小渕優子ら人気のある国会議員を現地に送って応援させたのも功を奏した。彼らは盛んに期日前投票を訴えたが、その作戦が選挙民を渡具知支持へ傾斜させていったようである。
これらの結果、2期にわたって移設反対を守り通してきた現職稲嶺進氏は移設賛成の新人候補渡具知武豊氏に破れることとなった。渡具知氏20389票、稲嶺氏16931票の得票で、その差は3458票だった。投票率は76.92%。
稲嶺氏退任式
2月7日、市役所で稲嶺氏の退任式が行われた。市役所には2期8年の最後を見届けようと400人を超える市民が駆け付けた。琉球新報によれば、稲嶺氏は「20年にわたり、国策の下で市民は翻弄されてきた。なぜ、こんなに小さな町で国策の判断を市民が求められるのか。いつまで続くんだろうと思うと心が痛い」と時折、言葉を詰まらせながら苦悩の日々を語った。市民は涙で目を真っ赤にし、稲嶺さんに「ありがとう。ごくろうさま」と声を掛けた。花道の最後には市民による胴上げも行われ、稲嶺さんは4度、高らかに空を舞い、笑顔で市役所を後にした。
渡具知新市長初登庁
渡具知武豊新市長は8日に初登庁し、記者団の質問に対し、「『ずっと尾を引いてる。どういった努力をすれば(移設容認派と反対派の)分断がなくなるのか私の考えを丁寧に説明していくことが必要だと思う』とだけ述べた」(2.8琉球新報)
さて、新しい市長となって、辺野古新基地建設反対運動は下火になったのか。もちろん否である。9日午前、キャンプ・シュワブの護岸ではクレーンが砕石を投入する作業が行われたが、ゲート前やカヌーによる抗議行動は続いている。
移設容認派の勝因―票の流れ
今回の選挙では菅官房長官のテコ入れはすさまじかった。前回選挙と違って今回は公明党の全面的な協力を取り付け、さらに維新の下地幹郎衆議院議員をうまく抱き込んで万全の態勢を敷いた。公明票が2000から2500、下地氏の票が約1500とされているから、得票差の3458票とも計算が合う。
もう一つの勝因は、立憲民主党が「推薦」ではなく「支持」にまわったことである。かつて民主党政権の時鳩山由紀夫総理大臣が「最低でも県外」と宣言して名護市民や沖縄県民を大いに喜ばせておきながら挫折したトラウマは大きく、民主党が野に下った後も代表の岡田克也氏は「米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設について、沖縄県のみなさんが反対するのはわかる。我々としては、対案がない状況で無責任に『辺野古反対』とは言えない。与党時代に国内で様々な案を検討したが、移設先は見つからなかった。対案を見つけるとしたら、政府しかできない」(2015.10.23朝日新聞)と語っていた。これは自分たちの政権で実現できなかったものを現政権に求めるという、極めて無責任な発言であるが、現在野党第一党である立憲民主党も同じようなスタンスをとっているのであろう。辺野古移設の問題に深入りしたくないということか。たとえば、枝野代表が名護市へ何度も足を運び、稲嶺候補を応援していたら、稲嶺氏の得票にかなりいい影響を与えたはずだと私は考える。そして名護市長選への積極的なかかわりが立憲民主党を活性化させるきっかけになったのではあるまいか。辻元清美国対委員長が2月3日に名護入りしたが、同じ日に自民党の小泉進次郎氏は2度目の名護入りをし、2000人もの市民を熱狂させたのである。とても太刀打ちできるものではない。
3つ目の勝因は、渡具知候補が辺野古移設の「争点ぼかし」を徹底させたことである。この作戦はもちろん、基本的には平和主義の立場から辺野古移設反対の姿勢を保っている地元公明党をおもんぱかってのことであろうと思うが、この「争点ぼかし」は「反対」や「分断」に疲れている名護市民に、一つの可能性に向けての選択肢を与えることになったと思われる。事実、選挙期間中も埋め立て作業は行われていたし、市長や知事がいくら頑張っても移設を止めることはできない現実が目の前にある。2010年以来稲嶺市長が拒否してきた国からの「再編交付金」を受け取って市を活性化させた方がいいのではないかと市民が思い始めても不思議ではない。経済政策優先を掲げた渡具知候補の方により説得力があったということだ。
国は札束で頬をたたく
政府は金をばらまいた。たとえば、抗議船に立ち向かう警戒船の日当5万円がそうだ。もうひとつは、政府による交付金。2015年10月、インフラ整備や住民補償を条件に辺野古移設を容認している辺野古・豊原・久志の3区には名護市長の頭越しに地元振興費(1区当たり1300万円、計3900万円)を直接交付している。三つ目。2014年5月、沖縄防衛局は海域の埋め立てに伴う漁業補償金として名護漁業協同組合に約36億円(組合員1人当たり約2000万円)を支払う契約を結んだ。辺野古移設に反対しなければ金が手に入るというわけだ。
最後にもう一つ。これは金に絡むことではないが、市長選の前に、米軍機の相次ぐトラブルがあり、松本文明内閣副大臣が国会審議中に「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばして問題になった。菅官房長官も安倍総理も名護市長選への影響を考え、翌日には松本氏を辞職させた。この有無を言わせぬ素早い対応がなければ、渡具知候補の勝利はあり得なかったに違いない。名護市長選に臨む政府の緊張感は尋常ではなかったのである。
確かに選挙には勝ったが
このようにして辺野古移設容認派は選挙に勝利した。政府は渡具知氏が勝利した名護市政に対して2010年以来実施してこなかった「再編交付金」を2017年度から再開する方針である。「再編交付金」は米軍再編に伴って新たに基地を受け入れる自治体に交付されるものである。(稲嶺市政で拒否してきた交付金の総額は約135億円に上る)その結果、名護市は財政的に潤い、渡具知氏が公約した経済政策は進展していくだろう。
2月8日の記者会見で「名護市長選の結果は辺野古移設容認ではないのではないか」という記者の質問に対して菅官房長官は「選挙の結果がすべてだ」と答えた。だが、移設問題、ひいては沖縄の米軍基地問題はそうはいかない。名護市も沖縄県も政府が「選挙の結果」ですべてを仕切ろうとすれば、今度は別の「選挙結果」を招くことになるのである。渡具知新市長は選挙期間中徹底して辺野古移設問題を避けた。「白紙委任状ではない」と東京新聞(2018.2.5夕)は指摘したが、そのとおりだ。今後、渡具知新市長の政策運営によっては公明党との間に齟齬をきたすこともありうる。米軍機のトラブルは選挙後も発生している。
過去5度の名護市長選挙結果は辺野古移設容認派が3勝、反対派が2勝と拮抗している。辺野古移設問題に限らず、戦後70年もの間沖縄に米軍基地の負担を押し付け、今後もその状況が変わらない限り、名護市民も沖縄県民も米軍基地反対の姿勢を崩すことはあり得ないのである。
本当に辺野古移設が「唯一の解決策」なのかという基本的な問題や、9月に行われる知事選への影響については別稿に譲りたい。(2018.02.12)
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