ドルをフンドシにも三分の理
- 2018年 5月 28日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
知り合いの日本人から、「人のフンドシで相撲を取る」って言い草を聞いた。聞いたときは、さすがにうまいことを言うなと感心したけど、後になって、そりゃ言いすぎじゃないかって思いだした。確かに一理も二理もあるとは思うし、そう言われてもしょうがないところがないわけじゃない。でも、言わせてもらえれば、オレたち、皆様の経済活動の最後のところの帳尻合わせをしているわけで、人のフンドシってのはないだろう。正直言えば、やばい橋は渡りたくないし、帳尻あわせにしても、もうちょっと穏やかにやらせてもらえないかという希望すらある。それにだ、フンドシってちょっと酷くないか。せめてベルトぐらいにしてもらえないかな。
金融の世界で飯はくってるっていうだけの与太もんの話、学者先生や研究しているエライさんには、あまりに雑でそれこそ与太話にしか聞こえないかもしれないし、視点が一方的すぎるとお叱りをうけるかもしれない。でもだ、大雑把にしても、こうとでも考えなきゃ、起きてることの説明がつかない。
オレたちはとんでもない額の金(かね)を背負わされて、それに見合った利益をいつもいつも叩き出さなきゃならない。それが仕事だろうって言われりゃ返す言葉もないけど、やってみりゃ分かる。いつもいつもってのは、傍でみてるほど簡単なことじゃない。
目論見、思いつきじゃないぜ。高等数学まで駆使して、それこそ経済学者から社会学や心理学者まで雇って順当に考えて、こうだからこうなる、ならないわけがないとして資金を運用してる。それがなにかの拍子に、それもオレたちじゃどうにもできない、社会そのものの風邪かしゃっくりかで仕掛けがずれてしまうことがある。そりゃ運用してる金額が金額だから、オレたちだけなく、社会全体が大変なことになる。それをオレたちのせいにされても困る。確かにされてもしょうがないところもあるけど、オレたちゃぁ、それこそ冷や汗かきながら、皆様の経済活動の帳尻を合わせようって一所懸命仕事してるだけなんだから。
本来の富の生産である製造業や鉱業や農業から遊離して、金融がここまで肥大しちゃったのは、なにもオレたちのせいじゃない。ましてやオレたちが望んだことでもない。みんなの経済活動が産み落とした、どこにも持っていきようのない金(かね)があふれ出したのがそもそもの始まりで、それはオレたちじゃなくて、みんながしたことだ。
始まりのところから説明しようと思うんだけど、八十年代の中南米のデフォルト騒ぎがなんで起こったかを想像すれば分かりやすいかもしれない。そりゃ理由というか原因を挙げていけばいろいろあるだろうけど、そもそもの始まりは、七十年代の二回にわたるオイルショックだ。それこそある日突然原油価格が只みたいな値段からとんでもない値段に跳ね上がった。原油の輸入国だった先進国は、アメリカもヨーロッパも、そりゃ日本も大騒ぎだ。それは発展途上国も同じで、世界中がインフレで恐慌状態になった。
ここまでは、そこそこの年の人たちならみんな経験してると思う。その経験というのか実体験には続きがある。原油価格が上がって輸入国から産油国に原油代金として、とんでもない額の金(かね)、国際決済だからドルが支払われた。物を売って買ってのことだから、ここまでも日常生活の実感でわかる。問題はその産油国に流れ込んだ莫大なドル、今になってみれば、まだまだかわいいもんだが、をどうするかになった。
産油国にゃ、そんなとんでもない額のドルを使うというか、資金として運用するシステムがない。産油国が馬鹿でかい金庫でも作って、しまいこんでおくわけじゃない。あふれかえったドルがロンドンの金融市場に流れていってはみたが、シティだけじゃ持ちきれないってんで、最終的にはニューヨークに流れ込んだ。
アメリカの金融界だって、とたんにそんな金額を任されたって、たまったもんじゃない。金(かね)ってのは金庫にしまっておけるもんじゃないんだよね。金(かね)を預けられて困るなんてこと、多くの日本人にはピンとこない、あるいはこなかったろうな。なんせ日本は戦後高度成長を続けてきて、国内の資金需要がどんどん大きくなっていった。そんなとこじゃ、銀行は巷の人たちから金(かね)さえ集めてくればよかった。それこそ銀行の玄関には、貸してくれって企業が列をなしてたんだら。集める能力は、まあ国内限定にしても鍛えたけど、集めた金(かね)の運用、それも世界をまたにかけてとなると、とてもじゃないが日本の銀行にはできない。してきたことがないというか、する必要のないところにいつづけて世界を制覇したなんて思っちゃう甘ちゃんだからな。川も海もないところで泳ぎなんてしようとしないのと一緒で、ある日突然水に放り込まれたって、おぼれないようにするのが精一杯だ。
オレたちの先輩のニューヨークの金融屋だって、本当に困ったと思うよ。なんせそれまで扱ってきた金額とは桁が違うドルがなだれ込んできて、金利を払えってんだから。そんなとんでもない金額を融資できる産業なんて、ありっこないじゃないか。金融が製造業を支配するとか、実業の決済を離れたところで、とんでない金融取引なんてんで非難するのはいいけど、実際問題として、そんな膨大な資金をどこのどの産業に融資できるかって考えてからにしてほしいよな。いくら考えたところで、金利を払うためには、流れ込んできた資金に見合う開発プロジェクトのようなものでも作り上げるしかないじゃないか。
そこで目がいったのが、こういっちゃ失礼だけど、裏庭の中南米だったってことだ。経済活動のなかから自然成長の延長線のようなレベルじゃ、そんなばかげた金額なんか運用できないから、IMFでもなんでも使って、なんでもいいから開発プロジェクトをあちこちでという方法しかなかった。当たり前なんだけど、そんな国の経済政策も買っちゃうような、実体経済に関係のないプロジェクトなんてのが、うまくいくわけがない。でも当時はそうでもするしかなかった。しなけりゃ金利を払えない。
ことの始まりはアメリカが世界に垂れ流してきたドルが、オイルショックを契機に、それまでとは桁が違っちまったということなんだけど。オイルショックが収まってというのか、高い原油価格に順応するかたちでアメリカもヨーロッパも日本も立ち直っていったが、ここで世界が小さくなったというのか、常に利益を求め続けなければ、今まで以上の利益を必要とする経済合理性からアメリカの製造業が製造業から流通業へと変わるのが加速した。アメリカでテレビを作るより、メキシコで作ったほうが儲かる。日本やオランダのテレビを相手先ブランドでも持ってきたほうが儲かるというかたちで国際分業が進んでいった。
この国際分業、実に合理的に見えるんだけど、それをすれば、企業はいいにしてもアメリカの貿易収支の赤字が積みあがっていく。国際分業がどんどん進んで、アメリカは消費大国になって、日本がジャパン・アズ・ナンバーワンなんて言ってたけど、日本が作って、アメリカが消費すれば原油のときと同じようにアメリカから日本にドルが流れる。と思うだろうが、これも原油のときと同じで日本に行ったドルはアメリカの銀行に預けられる。これは中国とアメリカとの関係でも、ドイツでも韓国でも同じだ。
ここで面白いというのか自業自爆のようなことまで起きてくる。日本も中国も、円高や元高ドル安は困る。そんなことになったら、せっかく稼いでアメリカにドルで預けた資金が目減りしちゃう。アメリカが円安や元安が問題だと騒いだところで、どっちも根本的な手なんかうとうとはしない。
ドルは国際決済通貨で、ひどい話だけど、アメリカは刷りたいだけ刷って、支払いに当てられる。日本や中国に支払われたドルが、実はオレたちアメリカの金融屋にとっては、フンドシに相当するんだな。フンドシが多けりゃ多いだけ、あっちこっちの勝負に打って出れる。活用できる資金が多ければ多いだけ、仕掛けも大きくなって利益も大きくなる。アメリカの借金がオレたちの資金源になる。その資金を提供しれくるのが対米貿易で黒字を出している日本や中国ってことだ。これを反対側からみれば、アメリカが、アメリカの経済界がそうしてるってことだ。
経済の「け」の字も分からない大統領やそこにうろちょろしている議員連中やゴロツキどもが産業保護だとか貿易赤字を縮小しなきゃってさわいでるけど、遠の昔に金融業で成り立っているアメリカ経済のことを考えれば、貿易赤字がなくなったら、アメリカ経済がどうなるかなんて考える知識もなければ、知恵もないんだろうな。
アメリカが垂れ流したドル、みんなが仕事をした成果として手に入れたはいいけど、あまりに多すぎて手に余る。それを処理する必要にせまられて、オレたちアメリカの金融機関が処理するというのか運用するビジネス体系を作り上げた。見方によっては、みなさんのビジネスの結果として吐き出されてきた贅肉を運用してさしあげていると言えないこともない。ここで一つはっきりしておかなきゃならないことがある。そんなビジネス体系を作ったのはオレたちだけど、作らなけりゃならない状況を作ったのは、オレたちじゃない。みんなだ。当たり前の話で分かってもらえると思うけど、オレたちだって要りもしないものを作ってるほど暇じゃない。
みんないい人たちだ。まじめに一所懸命働いて、きちんと貯金して、善良な市民だ。ただ自分たちで稼いだ金を自分たちでどうするってのがなくてだ、こういうと貯金は日本の銀行に預けてますなんてのんきなことを言ってくる善良すぎる人もいるだろうけど、貯金された日本の銀行、日本じゃ融資先がみつからないからって、オレたちのところに持ってきて、運用して金利をって話になってるなんて考えたことないんかな。少子高齢化で人口が減って消費も減る。消費が減れば生産も減る。日本の製造業が日本国内に新しい製造拠点を作らないで、中国やアジアやタイやメキシコ……に工場を作り続けてるじゃないか。それって、日本という国、あっちのこっちの個々の会社じゃなくてだ、国として投資に値しなくなっちゃったと言うことじゃないか。
世界の先進国の多く、日本や中国もドイツや韓国もアメリカへの輸出で自国の経済をまわしている。これってアメリカのドルの垂れ流しを進めて、実業の世界では運用しようのない巨大なドル資金を作り続けているってことだってのに気がつかないのかな。貿易立国だとか経済成長だとか言ってるけど、その活動の最終段には持って行きどころのない、とんでもない額の宙に浮いたドルが残る。
新自由主義がどうの、グローバリゼーションがどうのってはいいけど、ことの始まりは実業では運用しきれない巨大な、今も増え続けているドル資産だ。これをどうするかって、なんらかの解決策も考えずに、やれ金融資本主義だとか新自由主義がどうのこうのと言ったところで何の解決の糸口も見つかりゃしない。
解決につながるかもしれない、こうしたらってのは、オレが思いつく程度だから偉い学者さんや研究者連中は分かってんだろうけど、まず第一に、自分で稼いだ金を金融機関に運用してもらうなんてことをやめることだ。金融機関ってのは、これを取り除いたら金融機関じゃなくなっちゃうってのがあってだ、命を賭けてでも金利を追い求めちゃうんだ。そんなところに金(かね)を預けりゃ、金(かね)が資金になって金利を求めてになるのを避けられない。
第二に、これがどうしてもしなきゃならないことなんだけど、稼いだ金(かね)を普通に考えたら利益のでないところに投資、投資というのも変だが、普通の分かりやすい言葉でいれば、散財することだ。海洋汚染が酷けりゃ、魚じゃなくてゴミを取る船、漁船じゃなくてゴミ船を作って、世界中の海を走り回ってゴミ集めしてだ。そのゴミを焼却して発電でもすれば発展途上国に電気をって話になるじゃないか。
伝染病のワクチンだって、人材も含めて発展途上国の医療問題もあるし、地球温暖化対策だって、上下水道だってあるじゃあないか。そういう利益という見返りを期待しないところに投資(散財)すりゃいいんだ。そうでもしなければ、利益を求めて世界中を走り回る浮遊資金が減らない。浮遊資金が減れば、金融が実体経済から遊離した金融資本主義なんてもの、金融のマネーゲームのような新自由主義も、自然に消滅とはいわなけど、少しは改善するはずだ。
「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している――共産主義という妖怪が……」って名言があるじゃないか。でもそりゃ昔の話で、今は一匹どころか数え切れない浮遊ドルが、世界中を徘徊なんてもんじゃない。電子データの送信だから、それこそ光の速度で世界中を駆け巡ってるんだぜ。金(かね)を節約するってのは、節制という精神的な苦痛、なかにはマゾかと思うほどその苦痛が好きってのもいるけど、散財ってのは気持ちのいいもんだろう。小汚く稼いだ大金持ちが慈善事業で散財しているのをみれば、それがどんなに楽しいことか想像もつくってもんだ。
みんなで散財して、楽しんで、住みやすい地球。こんないいことないだろう。新自由主義なんてのはもう古い、公共自由主義の時代だって、これならノーベル賞を何回ももらえる。そう思わないか?
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7677:180528〕
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