菅首相の記者会見、被災地再生の“街づくり構想”をどうみるか
- 2011年 4月 8日
- 評論・紹介・意見
- 利権争奪広原盛明復興計画東日本大震災
関西から(7)
福島第1原発事故が日に日に深刻化の度合いを深め、日本国内はもとより世界各国が危機意識を高めているときに、どういうわけか、その一方で能天気な「未来都市型復興ビジョン」が最近に来て一斉に語られ始めた。素直に受け取れば、被災地域の復興のあり方に関する議論が始まったとも言えるが、私には胡散臭い感じがしてどうもそうとは思われない。
菅首相は4月1日の記者会見で、「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復興計画を進める。世界で一つのモデルになるような新たな街づくりをめざしたい」、「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで通勤する」、「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格も持たせる」など、東日本大震災の被災地再生の“街づくり構想”を熱っぽく語った。(朝日4月2日)
そしてこの構想は、松本健一内閣官房参与(文芸評論家)が3月28日に首相に面会し、「流された所を国が買い上げ、漁港、魚市場、加工場、駐車場を整備し、そこに山の上(の住宅地)から通う。公共事業にもなり、雇用にもなる」と、意見具申した内容がその下敷きになっているらしい。(毎日4月2日)
菅首相や仙谷副長官がお友達を次から次へと参与に任命し、それらの知恵を借りることは大いにあってよい。また災害の専門家でない文芸評論家とはいえ、松本氏が政府参与として大所高所から意見を述べることにも何の支障もない。なにしろ「専門家」にもいろいろあって、東電丸抱えの原子力学者もいれば、ゼネコン御用達の土木工学者なども沢山いて、その存在は「百害あって一利なし」だからだ。
肝心なのはいうまでもなく意見具申の中身だろう。しかし松本氏には失礼だが、この点に関する氏の意見具申は俗にいう「思いつき」とか「ポンチ絵」程度の薄っぺらなもので、まともに考えたものとはとても思えなかった。そして、それを丸呑みして「首相見解」として発表した菅首相の見識にはなおさら驚いた。またこの程度の内容を批判的な解説もつけず、真っ当な専門家のコメントもとることなく、それを麗々しく記事にした官邸クラブ記者たちの「垂れ流し平気」のセンスにも呆れた。
私が「未来都市型復興ビジョン」を簡単に信用しないのには深い訳がある。それは阪神淡路大震災復興計画の策定時、当時の兵庫県知事や神戸市長が「復旧よりも復興」を声高に叫び、災害を奇禍とした“大ハコモノ計画”を推進しようとした生々しい記憶が昨日のことのように消えないからだ。これをリードしたのは、政府の阪神淡路復興委員会の責任者に任命された下河辺淳氏(日本の5つの総合開発計画を策定してきた元国土次官)だった。氏は「被災者の救済などは自治体にやってもらうことにして、私たちはもっと楽しい夢やビジョンを考えましょうよ」と、最初から最後まで復興委員会を強力にリードしたのである。
この間の経緯については、拙文を『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』(原田純孝編著、東大出版会)のなかで詳しく書いているので参考にしてほしいが、それ以降、阪神淡路大震災復興計画は「復興」(大ハコモノ計画)一色で染められ、「復旧」(被災者の生活再建)がなおざりにされていった。このことは誰もが否定できない歴史的経緯であり、厳然とした事実である。
「未来都市型復興ビジョン」はいったい被災地の行方にどのような影響を与え、そしてどのような結果としてあらわれるのか。それは神戸空港建設と新長田地区再開発事業の現状が「歴史の生き証人」として語ってくれる。大震災の直後に神戸市長が「希望の星」と叫んで強行した神戸空港建設は、それ以降、膨大な赤字を垂れ流し続け、神戸空港はいまや「廃港か存続か」の岐路に立っている。また神戸市を活性化するす決め手として推進された超高層ビル40棟が林立する新長田地区再開発事業(神戸市副都心計画)は、計画の中途変更も含めて現在は経営に行き詰まり、商店街はシャッター通りとなって入居した商店主たちは「去るも地獄、残るも地獄」の状態に直面している。
話を東日本大震災の方に戻そう。今回の被災地の復旧復興計画は、私たちが未だかって経験したことがない、あるいは太平洋戦争の戦災復興に匹敵する未曾有の困難な事業だと認識することからまず始めなければならない。当面の緊急課題である仮設住宅建設一つをとってみても、その場所を被災地周辺に立地させるのか、それとも市町村外に配置するのかで被災者と県市町村との間で意見が鋭く分かれている。その背景には、今度の大津波で根こそぎ破壊された漁村集落や沿岸市街地をどう復旧復興させるかについて政府の明確な方針がなく、関係自治体が日々の対応に振り回されているためである。
事態をさらに複雑かつ深刻にしているのは、いうまでもなく福島第一原発の放射能汚染地域が日に日に変化していることだ。それも半径20キロ、30キロといった幾何学的な避難地域内にとどまらず、風向きや地形によって汚染地域の程度や拡がりが大きく異なり、40キロ、50キロ地点においても高濃度の汚染地域が表面化している。またすでに漏出していた高濃度の放射能汚染水の影響に加えて、今度は大量の「低レベル」放射能汚染水の放出によって、原発周辺の海域とくに沿岸部に汚染地域が広がりつつあることが、漁業関係者はいうに及ばず沿岸住民に深刻な不安と恐怖を与えている。
このような国家的危機の最中にあって、いまどき菅首相が「未来都市型復興ビジョン」を臆面もなく語るのは、それはそれなりに何らかの政治的意図があると見なければならない。それに対する私の見解はこうだ。今回の記者会見の狙いは、菅首相の延命工作につながる大連立構想の布石であり、それに向けての「アドバルーン」(観測気球)ではないかというものだ。
今回の東日本大震災の復旧復興計画は、国家予算規模に匹敵する巨額の資金を必要とする。公共事業がその中心になるとすれば、その配分や箇所付けは政治家にとっては生命線とも言うべき利権争いの争奪場になる。菅首相は、「未来都市型復興ビジョン」という形で、自民党に対して「その分け前」の匂いを嗅がせ、大連立に加わり菅体制に協力しなければ「分け前」にあずかれないことを匂わせたのだ。
すでに大量の犠牲者を生みだし、生死の境を漂流している膨大な被災者を尻目にこんな政治取引が行われることなど、国民の目からすれば絶対に許せない。でも政権執着以外に目的がない政治家たちにとっては、このような「政治算術」は日常的な出来事なのであろう。そこには「すばらしい東北、日本」をつくるという夢ではなく、「惨めな東北、悲しい日本」という悲惨な現実が私たちの目の前に拡がっている。
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