一人負彦氏の「日本国憲法前文を改正すべき5大ポイント」に応えて
- 2018年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
憲法改正についての議論に何方もお応えになりませんので、私論ですが、お応えしたい、と思います。
第一点、主語は、日本国民で充分にその意を尽くしている、と思われ、自称語「われら」を入れる意義は無いもの、と思われます。 即ち、同義語反復になるのみです。
第二点、改正の御主張は、当該文の誤読、と思われます。 当該文における「政府」とは、過去の政府を指すものでは無く、現憲法下の政府のことであり、当該文は、憲法制定後の将来に向けての宣言であり、過去の反省では無いものであり、「天皇」を入れる意義が無い、と思われます。
更に、附言すれば、現憲法下の象徴天皇は、「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第四条第一項)ものであり、そもそも憲法第九条では、「国権の発動たる戦争」が禁じられているのです。
「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」(大日本帝国憲法第十三条)との一箇条の存する大日本帝国憲法とは相違するのです。
第三点、これも誤読と思われます。 即ち、第一には、憲法改正時点で残存している「憲法、法令及び詔勅」を排除すべくおかれた文と云う趣旨は、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とあることから明らか、と思われます。
第二には、将来の制定・改正も含めての定めであることは自明です。旧憲法は、新憲法制定に依り無効になり、詔勅も同じ、ですので除外され、法令については、新憲法に抵触する定めは、その限りで効力を失うことになりますので、改廃する必要があり、事実、そのようにされました。
第四点、これまた誤読と思われます。 当該文は、戦争について述べるのみでは無いのです。 即ち、当該文に「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは」とあることから知れるように、普遍的な政治道徳に従うことを宣言したものであり、最終文「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」で終わります。
第五点、これも誤読と思われます。 期限を切れば、恰も存在しない「時限憲法」のように見えますがそれで良いのでしょうか。 また、憲法で誓う目的は、達成してそれで済む安易なものではありません。 存在する限り憲法の掲げる目的を達成する努力を行う、と云う至高の定めなのです。
以上、参考文献は、逐条日本国憲法審議録、宮沢俊儀憲法Ⅰ、 清宮四郎憲法Ⅱ、その他。但し、上記の記述は、全て私論です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7722:180613〕
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