韓国英陽・沖縄「恨(ハン)之碑」~記憶・責任・平和を築く~
- 2018年 6月 19日
- 評論・紹介・意見
- sigeko kakiuchi
「恨之碑」は、太平洋戦争時に朝鮮半島から強制連行され、沖縄で軍夫または性奴隷とされ、殺された無辜の民を追悼し、過去の過ちを記憶し、平和な未来を築くため…1999年8月12日韓国・慶尚北道英陽に、2006年5月13日沖縄・読谷村瀬名波に建立された。ブロンズ像は、読谷村在住で沖縄戦をテーマに活動を続ける“魂の彫刻家”金城 実さんの作品。
※「恨(ハン)」は、日本でも同じ漢字を使った「恨(うら)み」という言葉があるが、朝鮮語では発散できず内に籠って、しこりとなる状態。怨恨、悲哀、憤怒、無念を表し、文化・思想において全ての根幹となっている。
6月16日は「恨之碑」12回追悼会。当日朝、台風6号通過のため14:00~読谷村文化センターで予定されていた「追悼会」と平和コンサートが中止となり、11:30~恨の碑前で追悼式後「何我寺(ぬーがじ)」での追悼会に変更、との連絡があった。「恨の碑」に到着すると、強風は残っていたものの雨が止み…急きょ集まれた10数名で黙祷を捧げた。
「何我寺」での追悼会には30名弱が参加し、昼食を挟みながら追悼集会に。南北首脳会談により朝鮮半島情勢も変革が訪れようとしている。いま、国家や民族という狭い枠ではなく、東アジア全体としての変容が求められている。
詳細は、「NPO法人 沖縄恨(ハン)之碑の会=https://hannohinokai.jimdo.com/」にて。下記は当日配布された追悼文で、同会 共同代表・知花さんの承諾を得て転載する。
恨之碑追悼 表白 2018年6月16日 知花一昌
本日ここに「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発者朝鮮半島出身者 恨之碑」の12回追悼会を催すに当たり、関係者・有縁の方々 相集い 73年前の沖縄戦に思いを馳せ、特に、日本の植民地にされた朝鮮半島から強制連行され、未だ故郷に帰れない多くの人々に「ちむぐりしゃ」の悼みを感じます。
沖縄戦犠牲者「平和の礎」に今年も58人が追加刻銘され、総数24万1525人になりました。その中で昨年は7年ぶりに15人の朝鮮半島出身者が追加されましたが、沖縄に強制連行された朝鮮人は16,000人とも言われ、うち14,500余人が殺されたと伝えられています。それでも462人しか刻銘されていません。何と日本は朝鮮人の命を軽ろんじて来たのでしょう。地球上に存在するすべての物に名前があります。名前はこの世に存在したという「しるし」です。強制連行され沖縄で殺された歴史を背負った1人の人間としての朝鮮半島出身者の名前の重さを、沖縄人・日本人と同じに考えるべきでしょう。
「沖縄恨之碑の会」では沖縄県に調査の必要性を訴え続けてきました。その成果が昨年の15人の追加ですが、さらに さらに調査の必要性を訴え続けなければならないでしょう。
「恨之碑」の運動が目指すのは沖縄・日本と朝鮮半島の平和共生です。碑文には沖縄に強制連行され、犠牲になった朝鮮半島出身者を「兄・姉」と呼んでいます。加害者であった沖縄の人間が気安く使える呼称ではありませんが共生と出会いの中で、そう呼び合える仲間になっていきたいと切に願っているのです。
今月12日には歴史的米朝会談が行われ、東アジアの軍事的緊張が和らいでいるにもかかわらず、日本の政治は、私たちが目指すのとは真逆の方向に動いています。「集団的自衛権の行使」「共謀罪」など戦争法が次々と成立し、「加速する憲法9条改悪の動き」「横暴な辺野古新基地建設」などなど戦争への動きは限りがありません。「恨之碑」の碑文にある沖縄で殺された朝鮮半島出身者とその関係者と「兄・姉」と呼び合えるために、さらに力を寄せ合う必要性を痛感しています。
うやまってもうす
① ②
③
④
①「恨之碑」供物の沖縄重箱や菓子は台風のためビニールが掛けられた、②黙祷を捧げる、③追悼会、④「沖縄恨之碑の会」パンフより
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7747:180619〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。