2018.ドイツ逗留日記(2)
- 2018年 7月 6日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員合澤 清
「所変われば品変わる」
風俗習慣には、非常によく似たものと全く違うものとがあるが、やはり興味を引くのは違いの大きい方である。
そのほんの一例をご紹介したい。
何年か前にも書いたことがありそうだが、誕生日のお祝いでは、ドイツはその当事者(誕生日を迎えた人)が、祝ってくれる人達を接待して、ご馳走を振舞うというのが通例であるそうだ。もちろん、招待された人も、まさか手ぶらで来るわけにはいかないだろうから、何らかの手土産は持参している。
しかし、今まで出くわした「誕生会」では、寡聞にして、それほど豪勢な手土産は見たことがない。ほとんどの場合、お花やお菓子(チョコレートの類)程度のものをプレゼントしているように思える。
招待する方は大変である。節目の誕生日などでは、ホテルの一室やレストランの一室を借りきって、大勢の客にご馳走を大盤振る舞いしている。
あるドイツ人の友人の「誕生日の時には日本へ行きたい」という言葉には実感がこもっている。
ドイツ人は日本人に比べてアルコールが桁違いに強い。腰を据えて飲みまくっている人も見かける。もちろん、男だけだとは限らない、女性も同様である。さすがに酒好きの私も、そういう人の横にいるとつぶされそうで怖くなる。
酒の飲み方は日本と変わらない。最初はビールで口汚しを、それからワインに移り、最後はシュナップス(Schnaps)と呼ばれているウォッカやブランデーなどの強い酒(火酒)をあおるのが通常の飲み方である。
意外に思うかもしれないが、居酒屋などでぐでんぐでんに酔っぱらっているドイツ人にはほとんどお目にかからない。普段はそこそこの節度を保って飲んでいるらしい。自己批判を込めて白状するのだが、この辺の節度のなさは、酒に弱いわれわれ日本人の方がはるかに上である。
もちろん、街中で、昼間からご酩酊状態の方に出くわすことはあるが、こちらもそれほど多くはない。
しかし、ことパーティとなれば別だ。腰を落ち着けて、徹底的に飲み始める。
16世紀のフランス人作家、ラブレーの『ガルガンチュア物語』にも、野っ原での宴会シーンだったかで、大勢の人たちが酔いつぶれて「糞尿にまみれて」眠りこんでいる姿をユーモラスに描いた場面があったが、洋の東西を問わず、ありうることである。
ところで、日本では、誕生日を祝うのに、誕生日が過ぎてしまってからプレゼントを持参したりすれば、それこそ「気の抜けたビール」のように、白けた気分になりがちである。ドイツでは逆だ。誕生日前にお祝いなどしようものなら、大変な失礼にあたるらしい。誕生日後なら、普通に喜んでくれるそうである。
友人、知人、顔見知り
毎年、日本から引きずってくる荷物の中には、いつもこちらでお世話になっている友人たちに配る土産物も若干入っている。大抵は、焼酎とお茶とカステラというふうに相場が決まっている。以前は、日本酒をもってきたり、羊羹をもってきたりしたことがあったが、ドイツ人の友人に尋ねたところでは、日本酒よりも焼酎の方がよいし、また羊羹などに使われている「餡こ」は西洋人には全くなじみがないようである。
日本茶は、かなり前からドイツでもブームのようだ。時々スーパーなどで見かける「緑茶」は、日本茶もどきではあるが、茶色っぽい色といい、香りのなさといい、味のなさといい、われわれ日本人の評価では、全く「お茶」とは呼べない代物(出がらし)である。それでも結構な値段がついている。軽く、良質のワイン一本分は買える。
日本茶好きの人は、わざわざハンブルクのお茶専門店(輸入元)から大枚をはたいて買っているそうだ。
そういう事情だから、日本茶は大層喜ばれる。持参する当方にとっては、焼酎は重いが、お茶は軽いから大助かりである。
アルコール類の持ち込みは、法律で一人3本までは無税、と決められているので、今のところそれを厳守している。それを超えて持ち込み、税関で止められて荷物検査に無駄な時間を取られたり、超過の税金を払わされたりするのが嫌だからだ。
6月28日に日本を出発し(同じ28日にドイツ到着)、昨日(7月4日)で、ちょうど1週間になる。まあ、大抵の友人たちとは再会し、重い荷物も配り終えた。一人だけ、ベルリンの実家に帰っている人がいるが、この女性とも来週初めに再会する予定になっている。
ゲッティンゲンの馴染みの居酒屋には、月曜日と水曜日の二回訪問した。月曜日は、この居酒屋の関係者(女主人をはじめ、ここで働いている何人かとは長い付き合いの友人である)への挨拶をかねて旧交を温めるためである。
水曜日は、別の友人たちとの毎年やっている定例の飲み会の日に当たる。このうちの二人は、「空力学研究所」というところに勤めている同僚である。
私自身はこういう分野に全く興味がなかったので、これまで調べようともしなかったのだが、ちきゅう座の仲間のFさんから、もう少し調べて話を聴いた方がいいのではないか、と水を向けられたため、改めてネットで調べてみた。Fさんが言う通りで、彼らは「技術屋」さんではなくて、紛れもない「物理屋」さんの様である。
ネットにはこうあった。
「空力弾性の訓練は、空気力学的な力が構造内の弾性力と相互作用するとき、空気流中の構造物上で生じる物理現象を含む。 空力弾性効果は、例えば、植物や建物の自由気流で発生します。」「航空機、ヘリコプター、ターボ機械の空力弾性」「風力エネルギー」などを研究テーマとしているとある。
私の友人はその中の「航空機の空力弾性」の研究機関で働いている。
昨日聞いたところでは、既に2年前にドクター論文を書き上げてゲッティンゲン大学に提出しているらしく、審査に2年かかるとのことだ。彼はドイツの大学を卒業し、英国に留学、マスターを取って帰国している。英国は全てに金がかかる、と言っていたから、ドイツでのドクターに切り替えたのかもしれない。ドイツでの大学生時代には、仲間と一緒に、ハイデガーの『存在と時間』を読んでいたこともあったという。途中までしか読めなかったが、と笑っていた。
もう一人は、ブラウンシュヴァイク工科大学出身で、今、ドクター論文を作成中である。学生時代には音楽の演奏をやっていたらしく、良くゲッティンゲンにも演奏活動で来たことがあったという。陽気な性格な「のん兵衛」である。かなり呑んでいるのに200キロぐらいのスピードで郷里のハンブルクまでアウトバーンをすっとばすことぐらい平気でやる男だ。
数年前に、ヘーゲルの「区別なき区別」ということについて話をしたことがあり、その時以来、自称「ヘーゲル主義者」を気取っている。ヘーゲルの考え方は自分の考え方にそっくりだ、というのが口癖である。
もう一人、前者の彼女がいる。彼女は、ゲッティンゲン大学で中世ラテン語等の古典文献を教えている教師である。ドイツの古典文献学者と聞くと、度の厚い眼鏡をかけた、陰気臭い人を想像しがちであるが、全く正反対で、細身の体つきで、大変明るい話しぶりの、感じの良い女性である。
毎週、こういう人たちとビールなどを飲みながら3時間近くおしゃべりをしている。もちろん、こちらが理解できるのはそのうちの何パーセントか位であろうが、それでも飽きられずに付き合ってくれるのには心から感謝している。
来週会う予定の女性は、元公務員で、数年前に連れ合いを無くして、今は農業をやっている息子夫婦と一緒に暮らしている。ベルリンには年老いた両親と、独身の弟さんがいる。今年、なかなか連絡がつかなかったのは、ひょっとして両親のどちらかが、入院されているのではなかろうか、と心配している。
こういう友人たちとは別に、多くの知人がいる。主に居酒屋で知り合った仲間たち(大抵は、決まった曜日に来ることになっている)である。今住んでいるハーデクセンの居酒屋にもそういう知人が沢山いる。専門学校の教員、サラリーマン、大学の事務員、大学教授、精神科医、演劇俳優、事業家、等々、多彩な顔ぶれである。
更に、毎朝買い物に行くスーパーマーケットのお掃除のおばさんや従業員などが、「しばらく会わなかったけど、元気だったの?」といった調子で話しかけてくれる。
どちらが自分の郷里なのか判らなくなりそうだ。日本は周囲の景観が絶えず変化している。壊したり建てたり、目まぐるしい変化の中で、懐かしさは消滅している。
その点ドイツの田舎は、いつも同じ景観を保っている。電車がゲッティンゲンに近づくにつれて懐かしさがあふれて来る。
がちょう姫 近くの動物公園
2018.07.05記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7798:180706〕
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