サッカーW杯で考えたこと
- 2018年 7月 6日
- 評論・紹介・意見
- サッカー盛田常夫
予選リーグ3戦全敗を予想した評論家が多くいるなかで、決勝トーナメントに進んだ日本チームの健闘を称えたい。十分にW杯の醍醐味を味わわせてもらった。
予選リーグ最終対ポーランド戦の最後の10分間の球回しに多くの批判が寄せられたがこの批判は当たらない。予選リーグは決勝トーナメントに進むための予備選であり、そこを突破しない限り、いくら健闘しても意味がないことは自明のことである。4チームによる予選リーグの最終戦では、そこに至る前2試合の結果によって、いろいろな可能性が存在する。日本チームは1勝1分の首位に立っていたからこそ、リーグ戦突破に有利な選択肢を確保できた。負けても1点だけの失点であれば、突破の可能性が非常に高かったのは、最初の2試合を負けなしで来られたからだ。それが最終戦でリスク回避の余裕を与えたのである。
このような駆け引きはW杯のみならず、五輪の予選リーグ戦でも度々見られたことであり、今回の日本チームの球回しをとくに批判するのは筋違いである。ところが、欧州ではイギリスの専門チャンネルが、日本チームのリスク回避を批判するばかりか、決勝トーナメントでベルギーにコテンパンにやられれば良いと論評していた。3-0か、4-0で日本は惨敗するだろうというのが、イギリスの専門チャンネルの予想だった。
私はこの批判に、根強いアジア人蔑視を感じた。サッカー発祥地であるイギリス人はプライドがあるのだろう。高々、ここ20年のW杯出場経験しかない日本が、しかも世界のトップクラブに属している選手がいないチームが、コロンビア戦の幸運な勝利を得たからといって、世界の強国のように、リーグ戦突破の球回しをしたことが気にくわないのだ。イギリスやフランス、あるいはスペインやイタリアがやるのは構わないが、サッカー新興国の日本がやるのは「小賢しい」ということなのだ。
対ポーランド戦の批判が強い中、史上最強と言われるベルギー相手に日本チームがどう闘えるのか。負けても好いから惨敗だけはしてもらいたくないというのが、正直な心情だった。惨敗すれば、「ほれ見たことか。やっぱりフロックで勝ち上がったのだろう」と批判されただろう。最初にW杯に出場した1998年フランス大会で、ハンガリーの友人は「パス回しは良いが、点を取らない限り勝てないのだよ」と日本チームを批判したことがある。ハンガリーは1950年代の黄金時代、東京・メキシコ五輪優勝の後は、見る影もなく代表チームは低迷しているが、サッカーは欧州のスポーツだという気持ちが強い。FIFAが2009年に創設したプシュカシュ賞は、ハンガリー動乱の後、外国遠征からハンガリーに戻らず、レアルマドリードに加入し、歴史を作ったハンガリーのFWを記念したものだ。ハンガリーの黄金時代の中心選手だった。だから、長らく、ハンガリーに遠征する日本代表チームは代表チームと試合をしてもらえず、クラブチームしか相手にしてもらえなかった。
これまでのW杯と違って、現在の日本チームの選手のほとんどが欧州リーグでスタメンか、準スタメンのポジションを確保している。確かに、香川選手を除いて、レアルマドリードやバルサ、あるいはセリエA、プレミアリーグやブンデススリーグのトップチームに属している選手はいないが、いかにベルギーが史上最強と言われようと、真剣勝負で守備を統率して闘えば、惨敗はしないだろうとは思っていた。しかし、その確信がなかった。その意味でも、対ベルギー戦は、現在の日本サッカーレベルを世界標準で測ることができる試合だと考えていた。
手に汗を握る試合だった。勝ち上がる夢を与えてくれたが、現実は甘くなかった。しかし、惨敗することなく、しかも最強チームの一つを最後まで追い詰めることができ、ほっとした。欧米のアジア人蔑視や偏見は未だに根強い。それが顕著に現れるのが、スポーツ競技である。それを打破するためには、対等に闘えることを示す以外にない。欧米では、一般的な偏見があっても、人種に関係なく実力へのリスペクトが存在する。どのような分野であれ、実力を見せて批判を封じ込めることでしか、アジア人がその存在を示すことができない。日本が世界標準のサッカーを展開できることを示したことが、今大会の最大の収穫である。
選手が揃っているのに、負けが込んでいるチームを引き上げた西野監督の手腕は見事である。やはり、言葉の壁やコミュニケーションの不足が、団体競技の難しさを語っている。監督が選手の意見に聞く耳をもたず、通訳を介してしか意見を伝えることができないのでは、チーム力が強くならない。ただ、今回の選手選考で多くのファンが失望したのは、ベルギーリーグで活躍している久保裕也、オランダのフローニングで大化けして今年だけで9得点を重ねた堂安律、ポルトガルリーグで活躍する中島翔哉などの若手で、得点力のある選手を選ばなかったことだ。明らかに、少なくとも、乾のバックアップには中島、原口のバックアップには久保が選ばれるべきだった。故障の岡崎よりも、堂安の方がベターな選択肢だった。そうすれば、選手交代の選択肢が広がっていたはずだ。西野監督がどれほど欧州リーグの試合に関心を寄せているのか、そこが外人監督との違いかもしれない。
W杯南ア大会は岡田監督の采配が光った大会だったが、一つだけ失敗を上げれば、香川真司の評価を誤り、サポートメンバーでしか選ばなかったことだ。もし香川が代表に選ばれていれば、延長戦にまでもつれたパラグアイ戦で、スーパーサブとして使えただろうと思う。J2の得点王を過少評価したと言わざるを得ない。W杯後、ドルトムンドで香川選手が大活躍したことを見れば、岡田監督は選手を見る目がなかったと言われても仕方がない。
交代枠の選手層の薄さは今回の大会でも明白になった。若い選手を積極的に選考し、大化けさせてチーム力を上げることが、日本サッカーの課題である。この点で、日本の監督は欧州の監督に比べて、選手を見る目がないのではないかと思う。もっと、欧州リーグの日本人選手の動向に、関心をもつべきだろう。
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