「読まれざる本」──周回遅れの読書報告(その63)
- 2018年 7月 8日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員脇野町善造
無趣味である。俳句をよむことも和歌を詠うこともない。ただ、年に数回、思い出したように戯れ句を作ることがある。
大寒や 読まれざる本 眠れおり
という戯れ句もそうである。もう10年以上も前の寒い季節に作ったとメモにはある。こんな戯れ句を作った契機は、その頃H・M・エンツェンスベルガーの『スペインの短い夏』を読んだことにある。世田谷区舟橋の古本屋「草奔堂」から送ってもらったものである(「草奔堂」はまだあるのだろうか)。
スペインの市民戦争のことを書いたいい本であった。スペインのアナキストは、スペインの市民戦争のなかで事実上、組織としては無くなった。しかし現代史において忘れてはならない存在だと思う。そのスペインのアナキストはこう警告した。
「統計はわれわれの脳髄から熱を奪い、われわれの血液を渋滞させる」
アナキストが指導していたスペイン最大の労組、CNTの機関誌『労働者の連帯』(ソリダリダッド・オブレラ)紙に掲載された警告である。同紙の編集部は1937年に、「くだらぬ統計などやめにしよう!」として、こう書いたという。そのことをこの本(277頁)で初めて知った。「くだらぬ統計などやめにしよう!」というスローガンは、今もなお印象に残るスローガンである。
送ってもらったこの本の奥付けを見ると、1992年の第10刷(1973年が初刷)であった。20年間で10回増し刷りをしたのだから、『スペインの短い夏』という本は「売れた本」といえるだろう。しかし、私に送られてきた本には、過去にひもとかれた形跡が全くなかった。また金融商品等として処分された形跡もない。だから、送られてきたこの本は誰かが買うか貰うかして入手したものの、一度として頁を捲ることなく、本人か遺族かが処分したのであろう。ただし、古本としてか、あるいは塵としてかは不明である。
私の書棚にも一度として開いたことのない本が何冊もある。私自身はそういう本を処分する予定は今のところないが、私が死んだら、遺族はたぶん中を点検することなく処分するであろう。「読まれない本」は、作品としてなんらの使用価値も発揮せずにいるということを意味する。何と悲しいことであろうか。その悲哀さを炬燵の感じ、思わずそう書いた。
しかし、10年という年月は、「予定」をどんどんと変えてしまう。「一度として開いたことのない本」を私は何冊も処分してしまった。それらの本のなかには(さすがに、『スペインの短い夏』は含まれていないが)、それを手にした誰かが、同じように「大寒や 読まれざる本 眠れおり」と呟くものもあるかもしれない。季節は「大寒」どころか「真夏日」にあえぐ日々であるが、そういえばスペイン市民戦争が始まったのも、(80年以上も前になるが)暑い季節であった。
H・M・エンツェンスベルガー『スペインの短い夏』(晶文社、1973年)
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〔opinion7802:180708〕
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