パレスチナの今を見た① - 入植地拡大続けるイスラエル、負けない大人と子供たち -
- 2018年 7月 11日
- 評論・紹介・意見
- パレスチナ坂井定雄
6月後半、アンマン経由でヨルダン川を越えてパレスチナのヨルダン川西岸地区、エルサレムに8日間滞在し、イスラエルの支配拡大、パレスチナ人住民の日常と未来志向を見てきた。パレスチナの現実は、かなり克明に報道するBBC(英公共放送)以下の報道で、ウオッチしているつもりだったが、知らなかったこと、驚いたことが少なくなかった。
その要点をまとめると①イスラエルはパレスチナ暫定自治協定(1993年9月ワシントンで米大統領、国連事務総長ら列席の下でアラファト・パレスチナ解放機構議長とラビン・イスラエル首相が調印)に違反して入植地を拡大、道路検問を強化、抵抗するパレスチナ人を武力で弾圧し続けている②パレスチナ人たちは抗議デモを繰り返しているが武力衝突は極力避け、平常に日常生活を続けている③親も子は9年制の義務教育に熱心で。就学率も大学進学率も高い。パレスチナの大学だけでなく、欧米の大学に留学組も、卒業後は高い失業率にもかかわらずパレスチナでの生活を選ぶ学生が大部分―など。
パレスチナ自治区の“首都”ラマラの下町(坂井撮影)
自治政府は、イスラエルが占領している東エルサレムを返還させ、首都にすると宣言している。
高原の”首都“ラマラ 中層の住宅ビル群は新築も建築中も少なくない。空き地もかなりある。(坂井撮影)
▼道路をすべて支配
ヨルダンの首都アンマンからヨルダンとパレスチナを隔てる雄大なヨルダン渓谷へと数百メートル下り、歴史に名高い橋を渡るとパレスチナ。イスラエルが軍事支配(行政権、警察権を掌握))するC地区でイスラエルの出入国管理事務所がある。通行するのはパレスチナ人と外国人で、イスラエル国民の出入国は原則としてエルサレムとテルアビブの中間にあるベングリオン空港と海港に限られる。ヨルダン川の橋からパレスチナ自治区のさわやかな高原にある“首都”ラマラまで標高差千メートル余。道路標識はヘブライ語とアラビア語。英語も加わり3言語の標識があるが、イスラエルの占領地域ではヘブライ語だけのところもある。上り坂をラマラへと上がっていくとイスラエル軍の車両が増え、ところどころにイスラエル軍の検問所が設けられ、パレスチナ人の車両がすべて止められる。岩だらけの斜面に緑の草が増えてくると、両側にイスラエル入植地の部落が至る所にあらわれる。
わたしが以前にパレスチナに来たのは9年前だが、今回、イスラエル軍の支配がますますのさばり、入植地がひどく増えた、とまず強く感じた。最後にもう1か所、厳重な検問所を通るとラマラだ。道路わきには廃車とコンクリートの残骸が積み重ね。市中心部へと坂道を上がっていくと、中層の住宅ビルそしてオフィスビルが増えていくが、空き地もかなり広い。外は高原のさわやかさ。
真夏の猛暑だった死海、ヨルダン川渓谷から高原のパレスチナ中央部に上がってきたのだ。地図上でラマラは、エルサレムまで南に15キロ、ヨルダン川まで東に30キロ、地中海まで西に80キロ。エルサレムもラマラも「蜜と乳の流れる地」(旧約聖書)パレスチナの中央部に位置することを実感する。(続く)
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〔opinion7810:180711〕
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