右派ジャーナリストの中国論を読む
- 2018年 8月 1日
- 評論・紹介・意見
- 中国阿部治平
――八ヶ岳山麓から(263)――
このたび、石平・矢板明夫『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた――わが青春の中国現代史』(ビジネス社)を読んだ。著者の石平氏は代表的な右派ジャーナリズム産経新聞の定期寄稿者であるし、矢板氏は産経新聞外報部次長だから、本書は右派ジャーナリストの中国論だといってもおかしくはない。
石平氏は、1962年中国四川省成都の生れ。北京大学哲学科卒業後1988年に来日し、神戸大学博士課程を修了した。2002年から文筆活動に入り、07年には祖国を捨て日本国籍を取得した。みずから靖国神社に参拝したという「筋金入り」である。彼の論評を中国側からみたら、何につけても「反中国」とレッテルを貼りたくなるだろう。
矢板明夫氏は、1972年中国残留孤児2世として天津市に生れ、15歳で日本に引き上げた。97年慶応大学文学部卒業し、松下政経塾をへて中国社会科学院に留学。その後産経新聞記者となり、2007年から2016年まで同社中国特派員として勤務した。
本書は両者の対談で構成されている。前半は文化大革命・民主化運動・天安門事件・中国ナショナリズムについて、後半は昨今の習近平政治について語っている。したがって本書表題は、前半部分しか示していない。
文化大革命とか天安門事件とかいわれてもピンとこない若い方々は、本書前半でその大略をつかむことができる。著者二人の体験が披露されていて、これはこれで興味深い。だが毛沢東による文革発動の動機や、中国大衆がこれに熱狂した理由については深い言及はない。
両氏は直接間接に文革を体験しており、感受性の強い思春期・青年期まで中国社会で生活してきた。今後この分野についての考察・分析を期待したい。文革はまさに現在の習近平政治に通じているからである。
本書後半では、中国経済の停滞と習近平独裁の分析が主となる。
矢板氏は、中国では最大の課題が経済成長だという。1992年以来、経済成長が民衆の不満を吸収してきたからである。ところが経済成長が鈍った今日、これを打破する次の「柱」が見えない。そのために「一帯一路」などを提唱したが、効果を上げているわけではないという。そして米中貿易摩擦によって、成長の主たる要因であった外資の投入・海外輸出が壊滅的打撃を受ける危険があると指摘する。
また中国の産業構造について、カネになる不動産・エネルギー・鉄鋼などは必ず太子党や解放軍などが既得権益者として牛耳っている。この種の分野では、利権構造のために民間資本はほとんど利益が出ない。だが彼らがタッチしない分野、ITや電子マネーなどについてはかなりの競争力を持っていると語っている。
私の知るかぎりでは、留学帰りのシカゴ派学者らは、経済の停滞を打破するためには、すべての分野の完全な市場化が必要であると訴えてきた。だが、一向に利権構造は解体しない。それはあたりまえともいえる。権力者がいったん握った権益を手放さざるを得ないとしたら、それは反権力クーデターである。
こうした状況は中国経済構造の大きな問題点だが、一方中国は軍事を含めて巨大な技術革新をなしとげた。知的財産権の侵害があろうがなかろうが、中国における研究開発は技術革新を動かし、技術革新が経済成長をうながしその国力を高めた。いまや中国の基礎研究開発費は日本の数倍、アメリカに迫る勢いだ。今後中国発のIT技術やAI研究開発は日本はもちろんアメリカにとっても脅威となるだろう。
ところでアメリカはこれを知っている。知っているからトランプ米大統領はEU・日本と並んで、中国に貿易戦争を仕掛けた。表面は貿易赤字の問題だが、これには習近平政権の産業高度化をめざす産業政策「中国製造2025」への対抗措置の一面がある。本書にこの方面への言及がないのは残念だ。こき下ろすだけでは正しい分析とはいえない。
矢板氏は、習近平はたまたま派閥のバランスによって党総書記になることができた。そして袁世凱が作為的に民意を捏造して皇帝になり、83日で挫折した例を引いて、習近平も同様に「人民の領袖」などと称賛されるのは、しょせん強権政治のもとでつくられた民意でしかないという。
石平氏は、独裁体制形成の背景には中国経済の衰退があるとする。中共支配下では、権力の安定と維持には経済成長が不可欠であるのに、習近平が権力の座に就いたとき、中国経済はすでに停滞しはじめていた。そこで彼は毛沢東の恐怖政治をモデルとし、王岐山をつかった腐敗摘発運動をおこして彼にまつろわぬ連中の心胆を寒からしめ、最高権力を手にしたという。
本書に従うと、習近平主席第2期目の人事は、独裁者の例にたがわず側近で固められた。李克強首相はほぼ実権を削がれ、経済政策は副首相の劉鶴が主宰する。人民銀行新総裁はあまり存在感がない易綱、政治局常務委員会序列3位の栗戦書と国務院秘書長の楊振武の二人は習近平が河北省正定県書記時代の飲み友達だった。序列6位の趙楽際は習近平の父親習仲勲の墓として巨大な陵墓をつくった人物で、農民工を荒っぽい手段で北京から追出した北京市トップの蔡奇は習近平が淅江・福建党書記だった当時の部下である。これだと頼りになるのは、このほど中共中央政治局常務委員をはずれ国家副主席になった王岐山ひとり程度ということになりかねない。
インターネットにもれてくるところだけでも、官僚や知識人の間には個人独裁体制に対する反感は存在する。だが彼らは発言できない。発言しても世論にはならない。<インターネットを含めた世論操作、高級幹部・民衆に対する鉄壁の監視体制について、石平・矢板両氏は興味ある内容を語っているが省略>
終りに、書評からずれるが、矢板氏は東北アジア情勢を語るなかで、トランプ政権は非常に内向き場当たり的で、確信があって国際政治をやっているとは思えないとし、「彼を到底信用できない、だから……」とつぎのように発言している。
「日本はこれまで日米安保を何よりも優先してきたのに、結局、アメリカは事前に相談さえしなかった。しかし逆にいえば、日本にとっては、本当に独立するひとつのチャンスではないかというのが私の意見です。
これからはアメリカに期待せず、日本は自分で憲法改正を本当に考えなければならない。もし米朝協議で北朝鮮が実質核保有国になった場合も想定して、日本も国内で核武装の是非まで含めた議論を本格的にやらなければなりません。
習近平もトランプも金正恩も信用できない相手ばかりなのですから」
トランプと限らずアメリカは、日本を無視して東アジア外交を展開することがあったが、対米従属のしがらみから脱却できない日本の官僚機構とそれに依拠する自民党政権は民族の独立も誇りも捨てて、事後説明をいただくのみという屈辱に甘んじてきた。また右派ジャーナリズムとかぎらずメディアの主流は、ジャーナリズム本来の仕事をゆがめて、支配者のたいこもちという醜態を演じている。
いま産経新聞の外信部次長という地位にある人物がようやく日米関係に疑問を呈し、日米安保体制からの離脱を検討するよう主張したのである。これは議論の方向によっては日本の核武装にもつながる危険を含んだ提案だが、対米従属状態を前提とした安倍加憲案に再検討を迫るものでもある。
一方、安倍加憲案に反対する勢力、とくに反自民の政党間においては、これまで日米安保体制や現行憲法のもとでの自衛隊のあり方、自衛反撃戦とそれが生む問題、中朝両国との共存の方法などについて深刻な討論をしてこなかった。
矢板氏の言説は、支配階級に対して覚醒をもとめたものだが、同時にわれわれに対しても「議論を深めよ、ぐずぐずするな」と警告したものでもある。
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