日本にとっての8.15、中国・朝鮮半島にとっての8.15
- 2018年 8月 16日
- 時代をみる
- 中国加藤哲郎戦争
2018.8.15 猛暑の敗戦記念日です。涼しくなったと思えば台風と雷雨、この時期のオリンピックは残酷です。2年前までは、この時期は大体アメリカ滞在で、NARA(米国国立公文書館)の史資料と格闘していたのですが、大学勤務を終えて、トランプのアメリカには行く気にならず。なぜか節電宣伝が消えた日本の夏を、クーラー付けっぱなしでじっくり研究・執筆といきたかったのですが、日本政治の現状を見ると、どうにも気が入らず。翁長沖縄県知事の志半ばの憤死、憲法問題が争点になってファシスト安倍独裁が確立しそうな自民党総裁選、官邸・内閣府主導の露骨な官僚制再編、人権を忘れたヘイトスピーチとフェイクニュースが横行するメディアとウェブ、非正規雇用と差別・格差がますます拡大する社会、国際社会の趨勢から孤立した外交と軍備拡張、再生エネルギー転換に乗り遅れての原発再稼働・輸出ーー「ファシズムの初期症候」あふれる時代閉塞の状況のもとで、民主主義の衰退、言論と教育の非力を感じざるをえない、敗戦73年目の夏です。
そんなところに、突然、かつて大学院の政治学ゼミに在籍した中国人S君から電話、いま日本にきているので会いたい、という話。早速打ち合わせて、久しぶりの再会。S君が 日本に留学してきたのは、1980年代の末、ちょうどベルリンの壁崩壊・ソ連邦解体の時期でした。中国の青春時代が文化大革命と重なり、4年の下放=農村生活を体験したS君は、文革終了期に猛勉強して大学を卒業、中国社会科学院の優秀な若手エリート研究者として、日本に派遣されました。ところが、ちょうど中国では天安門事件、日本に留学していた多くの中国人留学生が、民主化を求めて本国天安門広場の学生・民衆に連帯しました。留学生のリーダーの一人であったS君は、在日中国大使館前の抗議行動に加わり、それが日本のテレビ・ニュースに映っていたことで、6・4弾圧後に本国政府・中国大使館にマークされ、奨学金・ヴィザも止められました。本国に帰れば厳しい弾圧にさらされるので、友人たちと共に台湾に脱出、すぐれた日本語能力が買われて台湾の日系企業に就職、その統率力も認められ、中国・台湾に工場を持つ日本企業の大阪本社で日中経済交流の発展に尽力、10年ほどで日本企業の上海支社勤務のかたちで故国の土を踏み、日本と中国をつなぐビジネスマンとして活躍してきました。研究者への道は閉ざされましたが、歴史と政治への関心は失わず、私が中国に行く際にはしばしば会って、日中両国の未来を語り合いました。私の訪中みやげ定番は、S君の好きな小田実の書物、彼のビジネス・ネットワークで、さまざまな中国を感得することができました。私が21世紀に入って「ジャパメリカからチャイメリカへ」という、東アジアの米日支配から米中支配への転換を書物や本サイトで展開したさいも、S君は、ビジネスマンを兼ねた社会科学者の眼で、中国社会の広さ・深さと多様性、政治と経済・社会の複雑なからみあい、自由・人権・法治主義の問題を挙げて、クールに故国を見ていました。
そのS君が、ビジネス第一線から退き、日本で生まれた息子が中国でのビジネスで成功して日本に来たのに付き添って、30年前に学び、離れざるをえなかった、日本での留学先まで来てくれました。積もる話の中に、もともとS君の研究テーマになるはずだった、日中戦争から中国内戦、毛沢東の革命から朝鮮戦争の評価、S君は最近の中国の研究状況にも詳しく、濃密な情報交換ができました。一つだけ例を挙げれば、改革開放後の中国で始まり、今日の習近平体制のもとでも学術的に論じられるようになった中国共産党史見直しの動き。共産革命と共に文化大革命の荒廃をもたらした毛沢東の功罪、抗日戦争における蒋介石・胡適ら中国国民党の役割の名誉回復・再評価はある程度知っていましたが、毛沢東・林彪路線とも、劉少奇・鄧小平路線とも異なる、第三のありえた伝統の話は、興味深いものでした。周恩来の調停・マヌーバー路線のことかと思ったら、よりタイムスパンは長く、中国共産党の創設者に、かつて「トロツキー派」とされた陳独秀をおき、長征・革命過程では35年遵義会議・総書記の張聞天を再評価・発掘し、革命後に89年天安門事件時の胡耀邦・趙紫陽につなぐという斬新な中国共産党史論で、S君に限らず、中国国内に脈々と流れる民主化、自由・公正・正義への希求を知ることができました。それが現実に花開くためには、歴史認識・民族認識・政治認識におけるさまざまな障害を越えなければならないのも明らかですが。
日本で戦争体験の風化が語られて久しく、体験者の高齢化、加害体験継承の難しさが8月にはくりかえされます。日本に侵略された中国や朝鮮半島でも、8・15解放体験、内戦・革命体験、冷戦の中の熱戦体験の世代的継承が、日本とは異なるかたちで、問題にされています。日本では「敗戦」か「終戦」かが問題にされますが、中国や朝鮮半島の人々にとっての8.15は、「解放」の出発点であり、「内戦」の始まりだったのです。私たちの歴史認識も、それらを組み込んで、ノスタルジアではない、新たな平和の再構築へとつないでいきたいものです。 その歴史的背景の一つを、戦前・戦時の「国策」科学動員に見る私の関東軍731部隊研究、『「飽食した悪魔」の戦後』『731部隊と戦後日本』(共に花伝社)を、ぜひご参照ください。『週刊金曜日』7月13日号掲載「戦後保守政権の改憲動向」をアップ。前回更新でよびかけた国立国会図書館憲政資料室「太田耐造関係文書」の批判的・学術的解読は、何人かの若い研究者も加わって、開始されました。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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