関東大震災 我孫子の虐殺事件
- 2018年 9月 1日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘関東大震災
韓国通信NO569
東京都の小池知事が昨年に続き、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を今年も送付しないと明言した。朝鮮人虐殺があったかどうかはよく「わからない」と語り、明白な歴史事実を認めようとしない歴史改ざんの主張だ。
NHKも9月1日は『防災の日』と決め込んでいるようで、小池知事と五十歩百歩みたいなもの。1923年9月1日に起きた震災は夥しい死者と家屋の倒壊、火災による大被害をもたらした。しかし大震災でのドサクサに紛れて6千人を超す朝鮮人と大杉栄ら社会主義者たちを虐殺した事件は忘れられがちだ。
この通信で紹介した『行雲流水』(石山照明著)では主人公喜八郎が目撃した朝鮮人虐殺の生々しい現場が語られていた。群馬県藤岡警察署に連行された朝鮮人17名が自警団の日本刀で殺される一部始終を喜八郎少年は火の見櫓から見た。朝鮮人虐殺が群馬で起きていたという意外な事実に驚いた。
図書館で千葉県我孫子でも三人の朝鮮人が殺された事件を知った。意外というより自分が住んでいる小さな町で起きた事件だけに衝撃的だった。事件は震災の翌日、我孫子駅から200メートル鼻の先のところにある八坂神社で起きた。毎年盛大に夏祭りが行われるので市民で知らない人はいない。
手賀沼の美しさに引き寄せられるように、大正期に柳宗悦夫妻、志賀直哉、武者小路実篤ら白樺派の文人たちが住んだ。神社前にも彼らの住居跡の「みちしるべ」が見える。白樺派の町我孫子は市民たちのささやかな「誇り」になっている。この町の持つイメージとあまりにもかけ離れているため、あのような忌まわしい事件があったことを市民たちは俄かに信じないはずだ。小さな町の神社で起きた事件は「我孫子市史」にしっかりと数ページにわたって記録されている。
<改めて「市史」をひも解く>
市史ではまず関東大震災全体と千葉県の状況に触れ、個人の日記を引用しながら、地震と余震が続いた震災当日の我孫子の模様を伝えている。東京地方の夜空をこがす火災の模様、翌日2日に「命からがら避難」してきた人の話として「(東京は)火炎に包まれ全没なり」「聞くからに身の毛もよだつ程」と市民の不安を伝える。東京から多数の罹災者が千葉県に押し寄せてきた。市史では「帝都ニ此ノ大変アリテヨリ避難者、或ハ徒歩ニテ、或イハ汽車ニテ運ハレ我孫子駅ニ下車スルモノ恰モ蟻群ノゴトク、殆ド立錐ノ余地ナク」と混乱ぶりが語られ、八坂神社に救護所が設けられて罹災者の救護活動が行われたと記されている。
市史は虐殺事件が起きた経緯と原因についても触れる。
震災によって通信が途絶したため一切の連絡は船橋にある無線送信所から送られることになった。送信所から送られてきた内務省警保局長からの電報が流言飛語を招いたと指摘する。
その電報の内容は「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎ放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於いて充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」というもの。
電文にもとづき自警団が組織され、「我孫子町でも三日及び四日、八坂神社境内で三人の朝鮮人が自警団によって殺された」
20日頃から政府の指示によって虐殺に関わった自警団関係者の一斉逮捕が始まり、我孫子でも「宮谷一他5名」が「李一弼他2名」を「こん棒杉丸太等を以て殺害」(騒擾殺人罪)で起訴された。その年の11月19日には、「五名に懲役二年、一名に懲役一年六カ月の求刑がなされた」
市史は事実関係を「関東大震災と我孫子事件」として三ページにわたって説明。最後に政府の偏見と誤情報がもたらした大混乱と恐怖の要因を問うこともなく自警団だけを逮捕したことに疑問を投げかけ、事件は「我孫子の暗い闇として、人々の記憶に濃いよどみを残したまま、時の忘却に任されていく」と締めくくっている。
「時の忘却に任される」という表現に、理不尽な政府の「扇動」によって恐怖にとらわれた一般市民が犯した集団殺戮のみが裁かれたことへの批判がにじむ。政府の責任が問われないまま「忘れ去られる」ことへ警鐘を鳴らしているようにも思える。
<過去の事実に向き合う>
八坂神社の前を通るたびに胸が痛む。
救護所となった神社の狭い前庭で繰り広げられた凄惨な集団リンチ殺人事件。
95年という年月を越えてリアルにその場面が目に浮かぶ。その事実を知らなければ、神社は夏祭りの神輿と夜店の記憶としてだけ残る小さな神社に過ぎない。私も最近知ったことだから「エラソー」に云う資格はないが、我孫子随一の夏祭りに来る子どもたちにここで起きた悲しい事件について話をして聞かせてあげたい。「時の忘却に任され」ないためにも。
暑かった夏の終わりに思うこと。私たちの「記憶」のことだ。楽しいことは忘れないでおきたいが、息を吐くようにつく政府の「ウソ」に私たちは馴らされてしまった。日本中に「記憶喪失症候群」が蔓延したこと。私のこの「夏の思い出」となった。
単なる「暑さ負け」ならまだしも、この日本人の記憶喪失体質は一体何処から生まれのか。戦争責任者たちの「後裔」たちが過去を忘れたがるのは当然だが、一般庶民の私たちが彼らと一緒になって記憶を失っていいはずはない。この町に住み続ける限り、八坂神社は「大切なことは忘れない」と私に不断に語り続ける貴重な存在になった。
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