「唯一のヒバク国日本」の意味が変わった! 危機を地球的危機として認識し対処することこそ危機管理!
- 2011年 4月 17日
- 時代をみる
- 『劉暁波と中国民主化の行方』3.11加藤哲郎原発事故
2011.4.15 3月11日の東日本大震災から1か月、この国はいま、歴史的な危機のなかにあります。大地震と、それに続く大津波は、過去の歴史にないわけではありませんが、「天災」というべき危機でした。すでに3万人近いいのちが奪われ、または行方もわからず、さらに自治体が壊滅して探索さえしてもらえないいのちが、瓦礫の下で、冷たい海のなかで、さまよっています。政府の第一の責任は、国民のいのちを守り、救うことです。その被害の公式の全容は、4月14日に発足した復興構想会議に提出された、「 東日本大地震の被災地の状況等について」という文書にまとめられています。死者1万3333人、行方不明者1万5150人、避難者14万0468人とあり、津波の高さは岩手県宮古で8.5メートル以上、ライフラインは現在なお東北電力管内16万戸停電、都市ガス9.2万戸供給停止、断水30.2万戸とあります。いまや明確に「人災」「文明災」となった福島第一原発をめぐる「原子力災害対策の状況」は別項目になっていて、福島原発周辺の放射線量積算結果、モニタリング推移、避難者8万3004人、といったデータも出ています。ただし、こうしたデータには、首相官邸ホームページから入って、「復興構想会議」をクリックし、第一回議事次第、資料6、と立ち入らないと、データがあることさえわかりません。そして、行方不明者はもっと増えるであろうこと、3万人の犠牲者と数十万人の被災者の一人一人に家族があり、コミュニティがあり、友人知人がいて、それらが突如中断され、引き裂かれ、生存の危機にさらされた意味、一人ひとりの想い、喪失・虚脱、不安・怒りの程度は、見えてきません。非日本国籍の犠牲者も23人は確認されているようですが、はっきりしません。すでに避難所での新たな犠牲者、自殺者が出ています。被災者のいのちとくらしの再建は、1分1秒を争うものとなっています。緊急の生活支援が必要です。こどもたちの学校が始まり、新しい地で、学用品にも不自由しています。
被災データだけなら、ニューヨークタイムズ/アジア版に、Map of the Damage From the Japanese Earthquakeという、日本語まじりのページがあります。余震の状況から死者・行方不明者の数と地域分布、日々の放射線レベルとその推移、それぞれの地域の観測地点で米国原子炉労働者の許容限度に到達する日数が、一目でわかります。基礎データは日本政府のものですが、日々の放射性粒子の分布やその変化の予測は、ドイツ気象庁(DWD)による粒子拡散シミュレーションでも、みることができます。こうしたデータが外国で公表されてから、日本でもようやく文部科学省の環境防災Nネットに都道府県別データが出てきて、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI) も一度だけ公表されましたが、使い勝手が悪く、肝心の福島県・宮城県データは「調整中」で別に探さなければなりません。1980年代にイギリスに留学していた時、高い失業率のもとで、雇用の地域別増減が毎日天気予報の時間に放映されていました。この3月下旬のアメリカでは、CNNの天気予報で、日本の福島上空の雲がいつ頃カルフォルニアに到達するかが解説されていました。現在の危機のもとでは、テレビの天気予報の時間に、日々の放射線予測や電力供給量予測が発表されてもよさそうですが、NHKも民放も、やる気はなさそうです。政府や東京電力、それに「地震予知」にたずさわり「原発」を推進してきた「専門家」「科学者」たちが「想定外」を連発してきたために、この国では、「政府の情報」「科学的予測」の信憑性が、地に堕ちてしまったようです。文部科学省の学校副読本も、資源エネルギー庁の「なるほど原子力A-Z」も、無惨です。
日本政府は、4月12日に、福島第一原発の国際評価尺度(INES)の暫定評価を、チェルノヴイリと同じ「レベル7」にすると発表しました。それまでスリーマイル島と同等の「レベル5」で、放射線量は「ただちに健康を害するものではない」「安定に向かっている」と言ってきたのですから、突然状況が悪化したのでなければ、これまで国民を欺いていたことになります。その評価基準となる放射線量は、3月15日には飛躍的に増え、3月23日には「レベル7」の水準に達していました。もともと外国報道では、水素爆発直後から、「スリーマイル以上、チェルノヴイリ寸前のメルトダウン」という評価が当たり前で、そのため外国人が大量に国外脱出し、海外からの観光客が半減し、国際会議は敬遠され、農産物・海産品ばかりか工業製品まで輸出が困難になってきました。旧ソ連のチェルノヴイリ原発事故では、広島原爆の400倍の放射性物質が空中に放出されました。政府と東電は「まだチェルノヴイリの1割」と言ってますが、3月中に、すでに広島型原爆40発分の放射性物質が放出されたことになります。これを「風評被害」というマスコミは、自社の1986年縮刷版をひもとくべきでしょう。今はウクライナの小さな村がどこにあるかもわからぬまま、当時の日本メディアは、旧ソ連とヨーロッパがいかに危険かを説き、日本への影響・波及に警鐘をならしていたのですから。現在の日本の危機は、日本だけの危機、菅内閣や東京電力の危機、ましてや政局の危機に、とどまるものではありません。人類史の、近代文明の、地球的危機です。「復興」も「再建」もそこから出発するしかありません。世界はかたずをのんで、 FUKUSHIMA CRISISを見つめています。
ウェブ上に、コラムニストDon Williamsの”Atoms for War, Atoms for Peace: Only Japan knows both sides of nuclear coin“が掲載されています。ジャック・アタリの「全力を尽くして福島と人類を救う」と共に必読です。かつて日本は、敗戦時の広島・長崎での原爆体験をもとに、「唯一の被爆国」として核兵器廃絶を訴えることができました。朝鮮戦争休戦後の1953年12月に、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で「原子力の平和利用Atoms for Peace」を提唱した時も、翌54年3月のビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸乗組員が被曝・死亡したため、原水爆禁止運動は大きく広まっていました。
だからこそ、正力松太郎や中曽根康弘という保守傍流の政治家が、アメリカの電機産業やCIA、日本の電力会社と結びつき、『読売新聞』や日本テレビのキャンペーンによって、原子炉導入・原子力発電への道を拓いたのです。地球上の「ヒバクシャ」そのものは、その後の原水爆実験と核拡散で米ソを含む世界に広がり、スリーマイル島、チェルノヴイリ原発事故で、飛躍的に増えました。だからこそ1980年代以降のヨーロッパ反核運動(Anti-nuclear)は、核兵器にばかりでなく、原発にも反対するものになりました。ところが「最初の被爆国」日本では、地震大国・津波大国であるにもかかわらず、自民党、通産省(現経済産業省)、財界、「科学者」がこぞって原発推進にまわりました。原子力資料情報室の故高木仁三郎さんや京大原子炉実験所の小出裕章さん、今中哲二さんのような「科学者の良心」を排除して、閉鎖的な「原子力村」をつくり、地震学の石橋克彦さんや岡村行信さんらの警告を無視して、度重なる原発事故を隠蔽し対策を怠ってきました。多額の研究予算とマスコミ対策、政治資金を電力会社が提供し、政府が補助金をばらまいて、プルトニウムを用いるプルサーマルや技術的な未熟な高速増殖炉「もんじゅ」や六カ所村再処理施設建設を強行し、ついには30年以内に巨大地震が「予測」された東海地域に浜岡原発までつくって、今日の「核汚染大国」への道を突っ走ってきたのです。日本語では核爆発による「被爆」bombedと放射性物質による「被曝」exposedが区別され、「被曝」の方はレントゲンやCTスキャンと同レベル、高度科学技術があるから旧ソ連のチェルノヴイリのような被曝事故はありえない、と強弁されてきたのです。そうした「神話」はすべてくずれ、いまや日本は「被爆」としても「被曝」としても「ヒバクシャの国」になろうとし、核との長期の全面対決を迫られているのです。この問題こそ、「天災」に対する「安全・安心」「再建・復興」にあたっても、菅内閣や東京電力の責任を考えるにあたっても、ベースにおかれなければなりません。
政府の経済産業省原子力安全保安院、原子力委員会、原子力安全委員会、日本原子力学会、日本気象学会、日本広報学会等はすべて「原子力村」がらみであてにならず、この1か月の日本のマスコミには失望しましたので、おのずとホンモノの情報、信頼できる科学者、ジャーナリストを求め、まずは海外情報を探索し、石橋克彦教授の論文、小出裕章・今中哲二さんの報告、後藤政志さんや田中三彦さんの現場体験を踏まえた解説、上杉隆さん・岩上安身さんらフリーランスの皆さんの報道、中部大学武田邦彦さんの放射線解説、飯田哲也さんのエネルギー構想、孫崎享さんや金子勝さんのツイッター情報をサーフィンする毎日となりました。それらの一つで、「ちきゅう座」には、明4月16日午後一時、明治大学リバティータワーで開かれる「いま原発で何が起こっているのか」シンポジウムが案内されています。後藤政志さんの話をぜひ聞きたいところですが、同じ16日の同じ時間に、私は早稲田大学国際会議場で、20世紀メディア研究所第59回公開研究会で「雑誌『真相』の検閲と深層ーー崎村茂樹、荒木光子、佐和慶太郎の接点から」の報告です。残念なので、占領期検閲報告のイントロに、前回資料公開した「Nuclear Earthquake Plan」と「原発導入のシナリオ:冷戦下の対日原子力戦略」における正力松太郎・中曽根康弘の暗躍を入れることにしました。こちらの方に興味のある方は、ぜひどうぞ。私のメキシコ滞在中、3・11大震災直前に共同通信配信の私へのインタビュー記事「こんにち話 国際歴史探偵 個人追いかけ新事実に」が数十の新聞に掲載されたようですが、その「国際歴史探偵」の「崎村茂樹の6つの謎・中間報告」以後の成果報告を兼ねます。また、今回の福島原発事故を、私は「戦後日米情報戦の一帰結」と見なしますが、その今後を占う上では、米日中3国の関係が決定的で、「 ジャパメリカからチャイメリカへ」の帰趨が重要だと考えます。後者について、中国研究の専門家矢吹晋さんとの対談が、矢吹晋・加藤哲郎・及川淳子『劉暁波と中国民主化の行方』と題して、まもなく花伝社から本になります。ぜひお読みください。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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