ドイツ通信第131号 2018年トルコの夏――その幻影と実態(3)
- 2018年 10月 13日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
「アメリカはドルを所持しているが、われわれには神がいる」
2018年のトルコ行きは、空港で人物チェックをされることもありませんでした。格安航空ですがドイツ系を使ったからでしょうか、それともドイツ-トルコ関係に変化が表われ始めていたからでしょうか。政治状況の不透明さのなかでは、こんな余計なことを詮索させられます。搭乗手続きで何もないというほうが普通ですが、同じ飛行ルートで昨年の経験もありますから、何もなければないで、また不安な心理に陥るものです。
友人との日程の打ち合わせにマリアンネが何回も電話を入れていました。私たちとしては状況を把握して、訪問できるかどうかの判断をしたかっただけで、それとはなしに探りを入れますが、友人は質問への回答を避けるような対応に終始していました。
盗聴を警戒して、「公然とは話せないのだろう」と判断するしか術がありません。一言として政治に関するような会話をしなかった、とマリアンネは言います。出発の直前には、また、ドイツ国籍をもつクルド系市民が、イスタンブールの空港で拘束―拘留されていました。
この盗聴ですが、90年代に別の経験をしたことがあります。マリアンネの家に中国からの公費留学生が滞在していて、家の電話の通話中に「ザーザー」という雑音が入ってきます。中国人留学生が留学後にそのまま外国に留まらないで、契約通り祖国に戻るよう管理する必要性と、中国人留学生内の情報を収集するために、中国側かドイツ側かは判断しかねますが、家の電話が盗聴されていたのは間違いないことだと、今でも考えています。
細心の注意を払うことに越したことはないのです。
ボドルムの空港で友人に会ったときは、無事何事もなく入国できたという安心感と、昨年に続いての再会の喜びで、それまでの政治不安は忘れてしまいました。
家に向かう車の中での会話は、「リラの平価切下げで、会社経営の状況はどうか」という点に集中しました。彼は、「今のところ、これといった弊害は出ていない。経営は順調だ」と回答するのみで、具体的な話を聞くことはできませんでした。しかし、私たちは真に受けることができず、それでも彼がその話を避けたがっているのがそれとなく伝わってきて、それ以上の質問は遠慮するしかありませんでした。
昨年のユーロ対リラの為替レートは1対4で、今年に入ってアメリカ・トランプが通商・関税協約を破棄したことにより1対7に跳ね上がり、さらに私たちがボドルムの滞在中には1対8近くまでにもなっていましたから、平静ではいられないはずですが、そのへんの対策はすでに打っているのだろうと想像するしかありません。
政府側としては、パニックになって統制できなくなる前に、市民がリラを手放すことは、何としても防がなければなりません。これ以上のインフレは、国家経済の破綻を招きかねません。
そんな切羽詰まった折に、エルドアンの国民向けアピールが出されました。アメリカのトルコ制裁は「謀略」であり、「経済戦争」で「経済テロリズム」だと規定した後に、次のように締めくくります。
「アメリカはドルを所持しているが、われわれには神がいる。」
謀略、戦争、テロリズムなどと経済分析にならない扇動的なだけの用語を用いながら、最後は〈神がかり〉的というしかない世界にはまり込んでいるのがエルドアンのトルコです。
これまでのエルドアン指導によるトルコの驚異的といわれた経済成長は、建築ブームとインフラ投資に支えられていたといえるでしょう。それを資本面で保証してきたのが主にスペイン、イタリア、そしてフランスからの資本流入でした。結果は、通商・貿易全体の約3分の2が西側諸国との関係によるものです。裏を返せば、NATOのメンバーとしてトルコをEUに繋ぎとめておく必要があります。トルコがロシアとの同盟に入っていくことは、経済的のみならず軍事戦略上どうしても避けなければならないとのEUの駆け引きが、そこには見られます。
ユーロとドル建てのクレジットが企業、会社に供与されることになります。そのへんの様子は、金融会社がノシを付けて資金貸し付けをしていたのではないかと想像されます。しかし、現在のリラ平価切下げによるインフレは、クレジット返済能力を不可能な状態に叩き込み、倒産していく経営者は後を絶たなくなるのではと危惧されます。
単純に考えれば、アメリカのリーマンショック、また日本のバブル経済破産を連想させます。日常の流通・消費面では、市民の購買力の低下は、間違いなくバサール経済を直撃するでしょう。バザール商人は、イスラム世界ではどこでも政治的にも強い発言力を持っていますから、反エルドアン派に合流することにでもなれば、政治支配にも大きな影響を及ぼすことは確実です。
エルドアンの足元が、こうして崩れ始めてきています。しかし彼は、〈神だのみ〉以外に何の方策も持ち合わせていません。世界の経済学者が、「エルドアンは国民経済学を理解できない」と冷淡に突き放すのも当然のことです。
アメリカ・トランプが通商・関税協約を破棄したことが、確かにリラ・トルコ経済へのマイナスの影響を与えていることは事実ですが、他方で、2016年7月「クーデター」未遂以降の徹底的な粛清が、西側投資諸国のトルコの政治的動揺と独裁制への不安を一挙に増大させ、資金と投資を引上げさせることになり、そこから今回のリラ・通貨危機が始まったと見れば、根本的な経済危機の原因は、実は、エルドアンの外国資金依存による経済政策と独裁寡頭制にあるというべきです。それは麻薬中毒と同じく、次から次に資金繰りを必要とします。
IMF(国際通貨基金)が、資金援助を申し出ています。それを受け入れればこの間のユーロ危機で明らかになったように、負債国として国の自主・自律性は奪われ、財政の決定権は第三者の手に委ねられていく、これをエルドアンは呑むことはできず、拒否しています。独裁者は、最期まで独裁者にとどまりたいという彼の意思表示です。1ミリ足らずとも権力を譲ることを拒否するその真意は、市民を〈神〉の導きの下に、国家破産へ道連れにすること以外ではありません。
経済の自由活動が止まりました。後は、資金をどこかから都合つけてくるかという問題だけです。ロシアとアラブ諸国がエルドアンの標的です。
リラ没落かという直前に、カタールが資金援助して全面的な通貨危機を一時的にしのいでいるようですが、どこまで持ちこたえることができるのか。
つい数日までは1kg=1.75リラで、滞在中に2.50リラまで跳ね上がった10kgのスイカを友人の家で食べ、家の高台から見渡せる海岸線に所狭しと建てられたレストランとホテルを眺めながら、こんな話を連日していました。
その間に1か所だけオープンにされた、20mほどの長さの砂地の海岸があります。そこが解放された市民の集う場所になっていて、無料でビーチ・ベットが利用でき、カフェーも備えられ、軽食が食べられ、料金的には低価格ですから、気軽に市民が出入りしています。「市民海岸」とでもいえるでしょうか、私たちもほとんど毎日そこに行き、11時頃になる朝食前に1時間半ほど泳いでいました。
しかし、ゲスト以外の一般者立ち入り禁止区では、服装からして違いが一目でわかるグループが、我が世の夏を謳歌しています。夜ともなれば明け方の2時、3時ころまで大音響の音楽とともに、パーティー尽くめの毎日です。その騒音で眠れない日が続きました。
海上には、また、豪華なクルージング用の豪華船が、100隻近く停泊しています。
世界は完全に二つに分かれています。いくつか他の場所も案内してもらいましたが、どこでも同じでした。
日ごとに変わる値段表を見つめ、財布と相談しながら買い物する一般市民と、そんな世界とはかけ離れて、特定の場所で特別なものを確保できる人たち、特にイスタンブールなどで議論されているイスラム主義化とは無縁なビキニ姿等、女性の服装のコントラストは、〈デカダンス〉という以外の言葉は浮かんできませんでした。
一方が、先行きへの不安を抱えながらの生活を何とか維持しようとしているのに対して、他方では、今の歓楽があたかも永遠に続いていくかのような印象を部外者に与えます。あるいはそれとも、終末を感じながら、それゆえに刹那的な、最後の享楽にすぎないのだろうかとも思われます。
そして、この〈デカダンス〉は、ナチ‐ファシズムがドイツそしてフランス、ヨーロッパを支配する直前に現れた社会状況を表現して使われる用語の一つです。
二つの世界に共通する一点は、ワイマール共和国時代にも見られた未知数、不確実な将来を目前に控えた市民生活のあり様です。
友人宅訪問の少し前頃から、エジプト、チュニジア、そしてトルコの観光ブームが、メディアで統計数字を挙げて紹介されていました。トルコに関しては昨年比50%増といいます。
この話を聞いて私たちは、足元をすくわれるような感がしたものでした。昨年のエルドアン・トルコから放たれるドイへの「ナチ」「ヒットラー」「ファシスト」という罵倒とイメージが合いません。統計から出される数字自体は、時として宣伝用に使われたりもしますから半信半疑で受け留めるとしても、また、人の記憶は忘れられやすく、長持ちしないとしても、この変わり様に驚くしかありませんでした。
そんなとき、ドイツ政府から「トルコ援助」の話が出されてきました。ドイツとトルコの経済関係はヨーロッパの中軸をなし、トルコ経済が崩壊すれば、その波及はドイツのみならずEU全体に波及するため、それを共同で避ける必要性があるというのが理由です。また、ドイツ経済が崩壊すれば、トルコに収容されている難民のEUへの流入を食い止めることができなくなります。
ここでもう一度、背後から頭部に一撃を食らわされたことになります。「独裁制」反対、「報道の自由」「言論の自由」「不法拘束者の即時釈放」「民主主義」を、とエルドアンを批判してきたドイツの政治要求と、結局のところはそのエルドアン救済が、どこで、どんな整合性を持っているのか。しかも、彼が初めてドイツを公式訪問するとまで言われています。それを受けてドイツでは、どうの、こうのと議論が続きます。
今回、搭乗手続きで何も不快な思いをしなかった背景には、こうしたドイツとトルコの関係改善があったように思われます。そして、この「関係改善」がキー・ワードになりました。
先週の水曜日(9月26日)にエルドアンがベルリンの空港に着き、その後ドイツ大統領との晩餐会、次いで首相メルケルとの昼食をはさんでの会談、最後に議論のあったエルドアンの手先機関といわれるケルンのモスク(Ditib)・新設オープニング出席、そして土曜日の午後には帰国の途につきました。会談を終えて記者会見するドイツ政治家の顔は、引きつっていたようです。これまでの議論の経過上、政治家はドイツの顔を立てなければなりません。
一言で要約すれば、「民主主義と人権が保証されない限り、経済援助はない!」と面と向かって言わない限り、ドイツ市民は納得しません。AfD等、極右派が政府の失策を待ち構えています。さらに、この10月にはバイエルンとヘッセンの州選挙が予定され、政治指針を明確にする必要がありました。
夏前に、ドイツ国籍所有のトルコ系ジャーナリストがまばらに、何の理由もなく釈放、解放されてきた根拠は、こうしたドイツ-トルコの「関係改善」に向けた一里塚だったのがわかります。
では、本当に〈改善〉されていくのだろうか。誰もがもつ疑問です。回答は、帰途の飛行機の中で同行トルコ記者団に語ったエルドアンの言葉に見つけることができると思います。
エルドアン側から、ドイツに保護されている136名の「テロリスト」の引き渡しを要求したといいます。ドイツ訪問の1週間前には69名といわれていた数字が、このように跳ね上がってきているのを見ると、難民援助の取引きのときもそうでしたが、エルドアンからのドイツへの恐喝が見え隠れしてきます。
ドイル大統領との晩餐会では、トルコの人権問題が議題に上ったたといいます。それに対してエルドアンは、われわれの国(トルコ)では、迎賓客を食事に招待してそのような振る舞いはしないものだ、とコメントしています。
トルコ国内のプレスでも、今回のエルドアンのドイツ訪問をめぐって、より強化されてくるナショナリズムと、メディア弾圧、新聞社閉鎖によって数は少なくなったとはいえリベラル派の間で評価が分かれているようです。
ギュレン運動(注1)、PKKのテロリストを保護し、他方でトルコ・イスラム同盟モスク(Ditib)を監視下に置くよりは、ドイツは、子供の性虐待から守れる司祭を育成することに精力をつぎ込むべきと、現在のカトリック教会のスキャンダルを取り上げ、一方が言えば、今こそドイツートルコ関係を改善し、EUから出されている加盟条件を満たし、トルコ国民の旅行自由を実現していくべきだと、他方は訴えます(注2)。
そしてこの議論こそ、この間のトルコの選挙での政治対立点になりました。ドイツとの関係改善は、その対立をより激化させていくでしょう。
気になるのは、ドイツがすでにトルコの新幹線建設を計画し、残るは議会での同意を取り付けることだけだといわれていることです。いつものように、経済権益の下で人権も民主主義も売買されなければいいなと思う次第です。
注1.指導者フェトフッラー・ギュレン(Fethullah Gülen)の名前をつけた反エルドアン派のイスラム運動で、本人はアメリカに亡命中。エルドアンは、クーデターの首謀が彼だと主張。
注2.「FR」紙2018年10月2日付
トランプにしてもそうですがエルドアンも、確かに彼の個人的な性格が政治に反映しているとはいえ、こうした政治が成り立つ社会的な背景のあることも、また事実です。最後にこの点で、今後の政治対決の方向性が何によって、どのように決められてくるのかを素描してみます。
友人に「なぜ、トルコで青年層のイスラム化が進むのか」と質問した時、彼は、「大学を出ても職がなければ何もすることがなく、宗教に興味が向かうしかないよ」とサラリと説明してくれました。全国に約200校近くある大学への入学も、希望者数が大幅に上回ることから難しいといいます。経済成長にありながら青年層の職不足ということがどうしても理解できませんでした。エルドアンのイスラム化政策がむしろ青年層の問題を生み出してきているのではないかという疑問が湧いてきました。
1923年のトルコの共和国への移行は、オスマン帝国時代の経済関係を断ち切れないまま引き継いできたようです。
スルタン(イスラム教国の君主)の下では土地は彼の所有で、農民の個人所有は認められず、農民は使用権を得て耕作します。しかし、農民の自主・独立権はなく、あくまで農奴でしかありません。典型的なアジア的生産様式が連想されます。そこでは資本蓄積と工業化は不可能で、ブルジョアジーとプロレタリアートが発展する余地はなく、そのまま社会は共和国制に移っていきました。
この時の一番の問題は、土地の所有権が、国家の手に残されていることでしょう。イスタンブール、イズミル、アンカラの大都市では、現在でも4分の1は国家所有になっていると言います。言い換えれば、経済は国家の手中にあることになります。自由な市場経済が発展しないで、経済は国家支配者とその利権グループに分配され、利益が配分されています。エルドアンの驚異的な経済成長の動機と社会基盤がここにあると見ることは間違っていないように思われます。国家権力を手にしたものが、経済を支配するという単純な構造です。それによって、市民の生産への関与は限られているばかりか、ほぼ締め出されているのが現状です。
25歳以上の多数は、6年の学校教育を終えて、60%が正職に就けず、単純労働を繰り返しています。彼らにはそれ以上の教育の機会はなく、グローバルな世界のなかで、ましてやオクシデントとオリエントの交わりに位置するトルコで、外国語取得と文化(活動)への参加の機会も奪われています。
自己の存在価値をどこに見つけていくのかという、世界の青年層に共通する問題意識が、当然のごとく生まれてきます。社会から排除されればされるほど、〈価値のないもの〉として、逆に外部からの変化、影響を拒否するようになるのは、必然的といえるでしょう。
しかし、これは社会的な観察で、事の半面を言い表わしているにすぎません。なぜなら、トルコは多宗教・多民族国家であるからです。イスラム教のなかでもトルコ系、クルド系、アレヴィス派、スンニ派、さらにキリスト教徒、ユダヤ教徒が存在します。
エルドアンがイスラム主義化を進めれば、そこから考えられる出口は二つでしょう。
一つは、国家をナショナリズム的に強化すること、すなわち軍隊の強化に向けて青年層を組織化することです。
他の可能性は、党利に与からぬ人たちのモスクへの結集が始まります。
そのように考えれば、ここでナショナリズムと宗教、そして信仰が結びつくことになります(注3)。
これがまた、エルドアンの新オスマン化に向けた政治戦略であるのが見えてきます。
注3、Le Mond diplomatique April 2018
昨年の大統領選挙は、しかし僅少差でのせめぎあいでした。その前哨戦として2013年6月、上記二つのグループに属さない反オスマン化、反イスラム主義化のグループが、イスタンブール中心地のゲジ広場でエルドアン打倒を目指した街頭闘争を闘いました。
その現地の模様は、「戦争のようだ」と伝えられたものです。エルドアン政権10年間で初めての、首都アンカラも含め全国で取り組まれ、4名の死者と5,000人以上の負傷者がでた大衆実力闘争になりました。彼(女)らの要求は、言論の自由と市民の共同決定権でした。独裁政権に対する民主主義運動で、「アラブの春」になぞらえ「トルコの春」とも言われました。
この闘争はすでに詳しく報じられているでしょうから、これ以上書く必要はないと思われますが、EU-ドイツがトルコとの関係改善というとき、政治指針の力点をどこに見定めるのかを考えるうえで、根本的な問題を提起しているように思われます。取りとめない折衷は許されないはずです。これが、私の意見です。
友人は、次回は現状を見るためにイスタンブールに、ぜひ来るようにと誘ってくれています。間違いなく入国できることを願うのみです。
(おわり)
【参考資料】
・Der Spiegel Nr.34/18.8.2018
・Der Spiegel Nr.35/25.8.2018
初出:「原発通信」1537号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8077:181013〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。