ハイデガー哲学における歴史と真実(2)
- 2018年 11月 19日
- スタディルーム
- 野上俊明
<はじめに>
ある著作家について、かれがすでに物故し著作家活動の全容が明らかである場合、個々の作品の意味解明をするにあたっては、生涯活動全体の文脈の中での位置づけを無視することはできないでしょう。したがってハイデガーの「存在と時間」(1927年)の解釈についても、1930年代以降の思想展開との関連を見すえながら論究すべきものと考えます。とくにファリアスらによって1930年代前半のナチとの関わりの全容がほぼ明らかにされた以上、それをまったく無視して「存在と時間」を完結した作品して扱うのは知的誠実さに欠ける態度と言わなければなりません。そういう意味で、私は今日ハイデガ―哲学を論究するに際しては、「ファリアス以後」という条件がつけられるものと考えます。そしてその後も新資料の公開※に伴い、「ファリアス以後」を補強することになる新たな事実が、追加されつつあります。「アーレントとハイデガー」(みすず書房 1996年)では、ハイデガーと彼を取り巻く重要人物たちの私的な言動が明らかにされ、彼らの公的な業績の評価にも影を落とす結果になっています。一例をあげると、夫人がユダヤ人であるがゆえに、ナチスによる被迫害者としての側面が強調されるヤスパースですが、1933年、大学の自治的機能を果たしていた大学評議会の権限すべてを学長に与える大学制定法に賛意を表していたのです。ハイデガーのように大学のナチ化に思想的行政的影響力を発揮したわけではないにせよ、小さくともやはり汚点は汚点です。ドイツだけでなく、欧米規模でもトップクラスとされる思想家たちのキャリアの曇りは、往時のドイツ知識人の根本的弱点―政治における未熟さと大勢順応志向―を反映するものでしょう。※※
※たとえば、アーレントとハイデガーの往復書簡の公開。学生アーレントと担当教師ハイデガーのラブ・アフェアーの動かぬ証拠となっています。
※※「思弁においてはこの上なく大胆でありながら、政治的には成人の域に達していないというドイツ人の分裂した本質」(トーマス・マン「ドイツとドイツ人」1945年 岩波文庫 p.20)。敗戦の年の講演で、マンは自分をも含めドイツ教養市民のドイツ史に由来する決定的弱点を容赦なく暴いています。
さて、ファリアスの著作が世に出るはるか以前に亡くなっていたにもかかわらず、ハイデガーの弟子として、また同じ大学人として1920年代から戦後にかけてのハイデガーの歩みをよく知るがゆえに、「ファリアス以後」という条件を先取りしてハイデガーを論じたのはK・レーヴィットでした。レーヴィットは卓越した哲学史家の名に恥じず、文明的危機にあった20世紀という時代状況のなかでのハイデガー哲学の意味をよく把握しえていました。「ハイデガー 乏しき時代の思索者」(1953年、未来社 1985年)は、ハイデガーの哲学的レガシーに対する優れた決算書といえるでしょう。以下の「存在と時間」に関する論述は、彼によるところが大きいことを明らかにしておきます。
<独特の時代解釈の上に依って立つ「存在と時間」>
K・レーヴィットによれば、「存在と時間」は、人間存在を時間性=歴史的現代から読み解く姿勢において卓越するといいます。だからこそ「存在と時間」は、多くの人々の心をとらえ、大ブレークしたのだというのでしょう。換言すれば、第一次大戦後のヨーロッパ精神の「世界史的状況」を、おそらく「不安」や「死への存在」、「共同存在、気遣い、配慮」といった一連の概念が人々のおかれた実存的状況を反映していたからこそ、とくに戦場や戦後の混乱期を経験した若い世代の心をとらえたのでしょう。屈辱や自己喪失、孤独地獄からの脱出口をなにより渇望していたはずです。ハイデガーは、学問の真の始元は古代ギリシア哲学にあり、彼らがなした「存在への問い」へ立ち帰ることが、ギリシア人の正統な継承者であるドイツ民族の義務であるとします。ただし「存在」は古代ギリシア人にとっては常住不変の確かなものでしたが、ハイデガーの「存在」はこれとは異なり、神秘的なパトスに人々をいざなう思考の底なし沼のようなものにとどまっていました。そのため果てしなき存在への模索的思考を進めながら、どこかでその不毛性から脱却するために、生の硬い岩盤と見立てられた故郷や民族への没入へと命がけの飛躍が要請されたのです。それはトーマス・マンが指摘するように、ヘルダーリンやニーチェらのドイツ・ロマン主義における暗いデイオニソス的情熱やペシミズムの水脈とつながるものだったのでしょう。啓蒙的理性に反撥し、「地底の世界に通じるような非合理でデーモニッシュな生命力」(マン)を称揚する精神的伝統の流れにハイデガーも掉さしていることは疑いないでしょう。
いずれにせよ、若者が反ユダヤ主義も含めナチ的状況を精神的に内面化し、深い確信の下に前線でも銃後でも犯罪行為を行なうことにいくらかでも貢献したであろうという点で、ハイデガーの罪を免じるわけにはいきません。しかも救いがたいことに、ハイデガーは最後までその罪に無自覚でした。「存在」への飽くなき思考を標榜する哲学が、実際は強力な反主知主義、いえ反知性主義として機能したのです。「力への意志」、「力こそ正義」というナチのニヒリズム哲学は、ハイデガーが掃き清めた思考の空白地帯―特に啓蒙に発する近代合理性の全面的否定―を易々と占拠したのです。
本論考の(1)でも言及した、ドイツ・ロマン主義の伝統と切り離せない生の救済手段としての死の観念について、死が 人間的自由の根本的な源泉であるとするハイデガーの「死の哲学」について、追加的な論究をしておきます※。たしかに「死への存在」たる自覚は、人間におのれの有限性を意識させ、宇宙的なるものへの畏怖、慎みや敬虔さの感情を触発する側面はあるでしょう。しかし他方、生の意味づけの軸に死をおくことは、換言すれば、生の意味の探求において確実なのは人間が「死への存在」であることのみとするのは、戦場での死の賛美につながる危険性を帯びています。ナチスが世界戦争を念頭に国内制覇にむけて着々と勢力を拡大している時代にあって、「死の哲学」がどういう社会的機能を果たしたかは論じるまでもないでしょう。春秋に富む若者たちに、「いかに生きるのか」ではなく「いかに死ぬか」をたじろぐことなく考えよと迫るのは、戦場での死へ心構えせよということに等しいのです。それは日本流にパラフレイズすれば、特攻精神の哲学化という意義を帯びるのです―ハイデガーと「大東亜戦争」を美化した「京都学派」の親和性。そういう意味では、生死の障壁を極力低くし、易々と命を投げ出すことを称揚する葉隠的美学―仏教の堕落形態でもあるーは、プロイセン的軍人美学と一脈通じるものがあるのでしょう。ロマン的気風が、生命力の賛美ではなく死への誘惑に傾くのは、日独共通の精神的病理といえるでしょう。しかしそれにしてもハイデガーが死の意味を重視し、他者の死を慮ることを存在の哲学で強調すればするほど、ユダヤ人の死についてあなたはどう思ったのかと、訊いてみたい誘惑にかられるのは私ひとりだけではないでしょう。
※ハンナ・アーレントは1946年の論考の脚注で、ハイデガーを「最後の(そう望みたいが)ロマン主義者」と呼んでいるそうです(「アーレントとハイデガー」みすず書房 P.93 1996年)。
<ハイデガー 前期と後期>
K・レーヴィットの解釈によれば、ハイデガー哲学の一貫したテーマは「存在問題」であり、地球全体の運命はこの「存在」の理解の仕方にかかっているとするものでした。プラトン以降現代にいたるまでの西洋の歴史は、この「存在」を忘却し根無し草になったニヒリズムに陥っており、その空白を力の意志が埋めて、近代の科学技術の機構がそれを強化し、人類的規模で疎外状態に陥っているという診断でした。こういう時代認識に立つ以上、人間の生の基盤である「存在」の回復を哲学は目ざさなければならないことになりますが、しかし「存在と時間」に代表される前期と大戦後となる後期では、存在問題へのアプローチの仕方がまったく違っているといいます。
ハイデガー前期は、「現存在(人間)がかく存在する」という現存在の実存論的分析からする「存在」へのアプローチ。したがって「存在と時間」における中心概念のひとつである「世界・内・存在」は、人間にのみ特有の在り方を指しているのです。つまり人間は、構造化された関係性、複雑な意味連関や目的連関のなかで生きている相互主観的な存在であるとして、西欧の主流である孤立した近代的自我の在り方への批判的見地が盛り込まれていると解釈されています。しかし外部環境に対して相関的であり、人間関係において相互主観でもある在り方は、哲学的な彫琢が必要とはいえ、マルクスいうところの「(人間は)社会をなしつつ生産する」というテーゼに内包豊かに言い表されているものです。※マルクスだけではありません、我々は人間精神の在り方のもっと豊かな歴史的実例を、ヘーゲル「精神現象学」における「相互承認」や「主と奴」、「疎外された精神」や「不幸な意識」といった(弁証法的な)運動形態のうちにある様々な精神の在り方に見ることができます。それに比べれば、「世界・内・存在」はいかにもスタティックで憂鬱な在り方であり、現代の精神の閉塞状況をそのまま映しだしているにすぎないものと映ります。また「自然は交渉相手ではない」として、人間中心主義(ヒューマニズムという意味でなく、精神的存在としての人間の特権的地位を認める立場)の枠内に明らかにとどまっています。レーヴィットのハイデガー批判はこのことに集中しています。人間世界を包み込んでいる大いなる自然こそ常住不変のものであり、共同存在性に言及しようとも「世界・内・存在」は依然として主観主義の枠内にあるとするのです。
※H・アーレントやレーヴィットらは、労働概念を中心に構成されるマルクス哲学体系を19世紀的な時代遅れなものと看做しています(「人間の条件」ちくま学芸文庫 1994年)。アーレントは生物学的必要性に拝跪する労働は自由の人間的領域を切り拓くものでないとし、またレーヴィットは、マルクス主義を人間の技術的自然支配を唱える啓蒙主義の直系とみなしています。「絶対精神の哲学を社会的な生産労働による人間的な環境の算出に還元し、意識の諸経験を『主人と奴隷』のただ一つの経験に還元する」(ヘーゲルからハイデガーへ p266 作品社 2001年)
ハイデガー哲学後期は、「存在が現存在をかくあらしめる」という視座へ転回を遂げたところにあるとレーヴィットはいいます。前者では主導権は現存在の側にあり、自身の「死に向かう存在」としての「本来性」に基づいて、決然と己自身の虚無と向き合い、究極的には救いとしての全き存在をめざしてそこに還って行くことにあったのでしょう。ところが後期では、存在なるものが実体(ギリシア語のウーシア)化され、かつ擬人化ないし神秘化されて現存在を規定するという、前期とは逆向きの論理になっているのです。総じて実存論的な主体性論理から、神秘的な「存在」が主体となり、人間の側がそれに帰依してつきしたがう受動的論理へと変容したということでしょう。
それにしても「存在そのものが、人間存在の現daのなかでおのれを明らかにする」などとする言い方は、哲学的な論証とはほど遠い論述の仕方です。「存在」が擬人化されており、比喩を多用する物語世界や詩的世界もどきとなっています。この存在者の根柢をなすとされる「存在」については、検証も反証も不可能なもので、通常は哲学的に有意味な概念とも命題ともみなすことができません。ただ老荘思想などで多用される比喩的な語り方に近いという意味で、東洋思想との類縁性を感じる人もいるのでしょう。しかしそういう面はあるにせよ、ハイデガーの極度に抽象化する思考方法には、古代ギリシア以来の西欧哲学的伝統が息づいているように思われます。いわばヘレニズム的理性観念とヘブライズム的超越神の摂理観念とが融合して、そこに独特な極度に精神主義的、超越論的な思考方法が生まれたのです。プラトンはイデアなるものを立て―例えば、善のイデア―それを常住不変、不生不滅の真実在とする一方、我々が住まう現実の世界つまり現象界はイデアの影にすぎないとしました。かつ後年それにキリスト教的な超越神という観念が重なって、世界を(本来は現実から抽象されたにすぎない)本質と現象に二重化し分断固定しつつ、現象を本質の堕落したものとみなす精神傾向が伝統として根付いてきたのではないでしょうか。※
※ちなみに日本人には超越論的な発想は微弱で、此岸的感性的レベルの「今、ここに」に執着する傾向が強いとされます(加藤周一「日本文学史序説」)。たしかに戦国時代の一向一揆の際に掲げられた「厭離穢土、欣求浄土」のような鎌倉仏教に淵源する強い現世否定傾向は例外的なもので、その後江戸仏教にいたっては本末制度や寺檀制度によって支配機構に組み込まれて体制内化し、現世融和、現世利益的方向を強めたのです。日本のみならず、原始仏教の影を多く留める小乗仏教、すなわち上座部仏教においても、現世拒否の精神的態度は必ずしも強くはありません。そこでは聖俗二つの世界がお互いを侵し合わず、平和的に併存している。また廻向=功徳や輪廻転生の教義も現世利益の傾きが強いのです。殺生をかたく禁ずる上座部仏教地域において、なぜ大量殺戮(ポルポト、ロヒンギャ)が起きるのか、支配社会学的、宗教社会学的、社会心理学的な究明が必要でしょう。
<ハイデガーの理論的反ユダヤ主義>
ハイデガーの時代認識は、ヘーゲル流の19世紀的時代認識である理性主義的歴史観とは対極にあります。ヘーゲルのヨーロッパ中心主義といわれる歴史観は、以下のように言い表されています。
「ヨーロッパ精神は自己と外界との間に生み出されるべき統一を求めて努力する。ヨーロッパ精神は精力的に外界をおのれの目的に従わせるのだが、こうした勢力こそはヨーロッパ精神に世界の支配を保証したものなのである」(エンチクロぺディー第393節)
1930年代のハイデガー「黒ノート」によれば、古代以来ヨーロッパ世界はキリスト教的神学的世界解釈と数学的技術的合理化志向によって世界支配を成し遂げたが、それは人間の本来的な在り方からの逸脱であり、人間を存在から切り離して根無し草状態におくものである。しかもそれを推し進めたのは、世界的規模での陰謀組織である世界ユダヤ人組織Weltjudentumという工作機構Machenschaftであるとして、その全般的世界喪失の責任をひとりユダヤ人に押し付け、ユダヤ人への迫害を正当化する内容になっています。そしてどういう根拠かは不明であり独断論としか言いようがないのですが、世界喪失からの救済という世界史の運命の担い手としてドイツ民族の指導性を主張し、その指導性行使の先頭に立つものとしてナチスを認知するのです。それにしても、近代の主観性哲学を批判しながら、しかしナチスの「意志の力」に表現される極端な主意主義を賞賛し、また技術的世界を批判しながら、神話と結合した工業技術優位を軍事利用するナチスのウルトラナショナリズムを称揚するというのは、ハイデガーの自己矛盾であり、論理のほころびに他ならないでしょう。
しかし驚くべきは、戦後ホロコーストの残虐さが明らかになってからも、ヘイデガーはそれについての反省的言辞はいっさい述べなかったことです。それどころか「ドイツ的現存在の全き改革」をめざしたナチズムの本質としての偉大さについては死ぬまで確信を抱き続けていたことです。
ハイデガーの思考方法の特徴について、繰り返しになりますが触れておきましょう。一方で「本来的なあり方」「あるべき姿」として高度に抽象的な世界を立て、他方でそれと区別してともすれば「非本来的なあり方」をする通俗的なものとして現実世界を立てる。そして哲学的尺度たる前者によって一方的に後者を意味づけ、現実から抽象的理念へのフィードバックはなされないので理念の修正には向かわずに、現実が予期しない否定的なものとなると、かえって無傷の抽象的世界へ逃避し、ナチも理念においては正しかったという自己主張となるのです。
ハイデガーはヘーゲルの理性主義的世界を排撃しますが、しかし抽象的理念への極度の志向性は、両者に通底するものでしょう。ヘーゲルの歴史哲学においては、「自由の意識における進歩」を実現する世界精神の立場からみると、世界史の舞台で繰り広げられる残酷な殺戮や悲惨さの数多の実例は、それぞれが目的実現のための神義を担っているが故に、なんら悲しむべきものではないとされます。醒めた神の視点で歴史を総括するヘーゲルと違い、なるほどハイデガーは「神は死んだ」時代の哲学者ですから、その点では両者に開きがあるものの、ハイデガーおいても抽象への志向性、つまり強烈な観念癖という点で似たような思考回路が働いています。「存在」が歴史を動かしていく、人間の意思の預かりを知らないところで歴史が動いて行くとする「存在論」は、ヘーゲルの「理性の狡智」をそのままなぞったようにもみえます。
したがってハイデガーの場合、自己の理念への忠誠からくる反ユダヤ主義はあくまで理論的はものにとどまり、世俗社会におけるあるむき出しの人種主義や優生思想とは相対的に区別されるのです。そのためでしょう、アーレントやレーヴィットをはじめとするユダヤ人士との関係もすべてが断ち切られるわけではないのです。理論的な反ユダヤ主義からくる悲劇的な光景への見下しと冷淡さGleichgültigkeit――自分の手をユダヤ人の血で直接汚すことはありません――こそ、ハイデガーの戦後の無反省の根拠であるようです。
<ハイデガー哲学に合理的核心があるとすれば>
ハイデガー哲学からナチ的要素を洗い落としたうえで、我々が汲み取るべき哲学的エッセンスがなおあるのかどうか、詳論は後日を期して、ここでは論点提示と若干の論評のみを試みましょう。
Ⅰ. 文明論的歴史認識と大衆社会状況における人間存在の危機診断
まずハイデガ―における理論的な反ユダヤ主義の根拠とされた文明論的歴史認識をみてみましょう。ハイデガーは古代ギリシア以降の西洋文明の歩みを、なかんずく啓蒙期以来近代が築いた科学技術的世界をオール否定します。自然を客体化・対象化し支配し利用する営みを、存在からの離反、故郷喪失であるとして断罪するのです。歴史上西欧世界でのみにみられ、M・ウェーバーが「魔術からの解放Entzauberung」と名付けた「合理化」過程ですが、これは数学的実験的に精密で合理的な基礎づけを持つ自然科学の特性によって生み出される技術によるものであり、計算可能性、計測可能性、予知可能性という属性を有するものです。しかも近代に入ってからは、この科学的認識の技術的応用が資本主義によって動機づけられて推進され、経済分野のみならず法や行政含め生活秩序全体が合理化一色に染め上げられるのです。この合理化過程と相即不離であるのが、イデオロギーとしての経験論であり、プラグマティズムであり※、マルクス主義であるとして、ハイデガーは蛇蝎のごとく忌み嫌います。
※イギリスの著名な哲学者B.ラッセルは、戦争中執筆されたその「西洋哲学史」でプラグマティズムを批判して、それは「自然と人間とに対するほとんど無制限の力への信仰」に基づく哲学で、そのうぬぼれは人間と自然とに対し大きな罪を犯す可能性があるとしました。今日の脱成長哲学やエコロジー哲学を予感させる内容です。
「存在と時間」的な時代状況からみると、上記の合理化の趨勢に加え、二十世紀に入りフォード・テイラーシステムに技術的基礎に基づく大量生産方式は、都市化と大衆社会状況を出現させ、その結果孤独な群衆をうみ出し、ますます人間を存在から疎外することになった。いまや故郷喪失やアイデンティティの危機は、「世界の運命となった」。だからこそ、哲学は存在(自然)と人間との本源的統一という古代ギリシア的始元への回帰を焦眉の急務とするというのです。ハイデガーの基礎的存在論がめざすべきは、諸科学のレベルでの、すなわち(個別的)存在者という存在的なontisch水準での真理探究ではなく、(メタ自然学としての形而上学、すなわち哲学固有の領域である)存在論的ontologischに存在そのものを問うことである。そのように存在を問うことが人間をして実存たらしめ、真理の明るみに人間を立たせることになるとします。
ハイデガ―が言わんとするのは、あらゆる個別諸科学の発見は効用(人間の都合)を基準としたものであり、それらをいくら積みかさねても人間的な真理には到達しないということ、いやそれどころか、ますます真理から遠ざかるばかりだということ。存在を求める思考のうちに沈潜し、耳を澄まして人間存在の根っこにある本源的な在り方をこそ聴き取らなければならない。それはいかにも曖昧模糊としていますが、語るべき人が語れば、不安な心に訴えて不思議な吸引力を持つものに違いありません。
どうでしょう、現在の世界の状況―グローバリズムのもとにおける自由貿易体制の危機、金融恐慌への高まる不安、世界的貧富格差の拡大、世界的な地域紛争の頻発と難民増加、ICT&AI技術の進化と将来的不確実性の高まりなど―は、「存在と時間」的状況といえるのではありませんか。国を離脱する流浪の難民やボーダレスに移動する労働者群だけでなく、故郷(コミュニティ)喪失という意味では世界総難民化が進みつつあるようにみえます。1930年代の体制危機は総力戦による軍拡競争と世界戦争によって決着がつけられ、そのなかからブレトンウッズ体制による国際自由貿易や福祉国家の仕組みが設計され、冷戦構造にありながらも戦後の相対的安定期が経過しました。しかし70年代の初めにケインズ的経済成長の安定期が終わり、やがてネオリベラリズムによるグローバリゼ―ションが始まるや、世界は不安定化し不確実性を増しました。ITの進展により経済の金融資本への依存と隷属がますます深まり、金融資本の強まる「寄生性」や「腐朽性」によって社会正義や社会道徳は地に墜ちました。過剰資本は世界をまたにかけ、新たなフロンティア、投資先を求めて苛烈な競争を繰り広げています。成長の鈍化と平均利潤率の低下に悩む資本は、労使協調時代の思いやりをかなぐり捨て、ますます生来の野蛮さを復活させ、絶対的剰余価値の生産時代を思わせる顕わな搾取に血道を上げるようになりました。また成長の鈍化と財源の枯渇にともなって戦後の福祉国家政策は各国で見直しを迫られており、そのため将来不安が社会全体を蔽うようになっています。しかも時代の危機に根本的に対処できる処方箋はまだどこにも見つかっておりません。
以上の素描から浮かび出る時代状況は、断定はできないにせよ、1930年代の危機にいたる前の雰囲気に似ているようです。ファシズムへの露払い役を演じたシュペングラー「西欧の没落」(1918年)、オルテガ「大衆の反逆」(1928年)ほどではないにせよ、「存在と時間」は、ファシズムへ精神的武装解除に相当の役割を演じたのではないでしょうか。その悪しき経験から、我々はなにを学ばなければならないのでしょうか。
何よりも驚くべきは、一流とされてきたハイデガー哲学に二十世紀の指導理念である民主主義的要素を見出すことはまったくできないということです。その代りにハイデガー哲学が糧としたのは、シュバ―ベン地方の権威主義や民族主義、反ユダヤ主義に満ちた風土性であり、それはナチのフェルキッシュvölkischなもの(国粋主義)と強い親和性がありました。だからこそハイデガーはナチズムに易々と吸引されていったのです。ハイデガーは民主主義を大衆社会状況のたんなる反映であり、衆愚政治の等価物としか見てなかったのでしょう。古代ギリシアに存在論の始元を求めるにもかかわらず、その輝かしい政治的達成物である民主主義にはまったく目もくれないのです。アリストテレスによる人間規定である「政治的動物 ゾーン・ポリテコン ζώον πολιτικόν」は、アテナイの直接民主主義的な政治と不可分であったにもかかわらず、そのことに全く関心を示しません。ワイマール共和国体制がいかに脆弱であったことの証左ですが、ハイデガーの眼中にない民主主義こそが人間に共同存在とかつ共同存在の中での個性化を可能にする条件なのです。したがってまずは大衆社会のもたらす諸個人の砂のような原子化に対して、市民社会は総力を挙げて抵抗しなければならないのです。ゲッペルスとナチ宣伝省の成功を想起するまでもなく、孤独な群衆たちは巨大メディアによる大衆操作にきわめて脆弱だからこそ、民主主義の抵抗拠点を市民社会内に築き、連帯の輪を広げるべきなのです。ドイツ的教養の高さや優れた科学技術的水準といえども、民主主義のバックアップがなければ、自他共々の破滅へと暴走する例を人類は体験しました。魔術からの解放とされる合理化が、じつはその帰結として人間存在の拠りどころの喪失をもたらし、カルト的なものに救済を求める再魔術化=非合理化と裏腹であることを、ナチズム、ファシズムの経験は教えてくれました。ハイデガーの過ちを繰り返さないために、大衆社会における民主主義の活性化の道をぜひ掴み取らなければならないのです。
ハイデガーを評価する人々に共通して見られる傾向は、現代政治・社会における民主主義の危機の観点からハイデガー哲学の内容を洗いだすことはほとんどないということです。ハイデガーの「深遠で、かつ難解な」行論の解釈に足を取られ、思考の泥沼にはまり込んでいく論考が多いように思います。主人持ちの思想に陥らないで、たとえ稚拙であっても自分の頭で読み解く努力が、今日の時代状況だからこそ必要だと感じます。いずれにせよ、民主主義の危機に対応対処できなかった哲学は、二十世紀思想としての要件に欠けているといっていいのです。
Ⅱ.技術的合理化に反対する反近代の立場で存在(自然)の復活を唱える論調が、すべてファシズムへ向かうものとすべきではない例があります。田辺元の弟子だった唐木順三は、西欧化精神のアンチテーゼのための足場づくりとして、日本の中世文学を通底する「無常」概念の探求を行ないました。ただ階級的に没落しつつある貴族層の諦念と「滅びの美学」とは一線を画し、抬頭する武士階級の世界観たる要素の強い鎌倉仏教のなかの禅―無の哲学の解明に努力しました。
後期ハイデガーは「存在の声の聴従」を主張したのに似て、唐木は「大いなる自然」への「畏怖」の意義を強調しました。また両者には、文学(芸術)と哲学の架橋という点でも、また沈黙と不立文字の意義を強調する点でも共通性があります。論理適合的な哲学的論証によっては掴みえない真理が存在する――ハイデガーは存在、唐木は無――とする立場は、一概にナンセンスとはしえないものを含んでいます。たとえば芸術による象徴化は、論理的な形式化を超え出るものがあるからです。論理的なタガをあらゆる事象にはめ込もうとする態度は、行き過ぎれば生の豊饒さを台無しにすることになります。
フッサール現象学から出発してハイデガーに強い影響を受けながら、のちに厳しい批判者に転じたカール・レーヴィットですが、最終的には両者は似たような哲学的な立場に立ったように見えます。レーヴィットは「存在と時間」を批判して、「はたして自然が無歴史的で、われわれの歴史的な世界・内・存在のうちで付帯的に発見されているにすぎないのか、それとも逆に、われわれの歴史的世界と人間が、あらゆる存在者の存在としてのすべてのものを産み出すフュシスにもとづくものであるのか」(「ハイデガー、乏しき時代の思索者」1953年、P.118未来社1985年)と二者択一を突きつけます。当然レーヴィットは後者の立場に立つわけですが、人間存在は自然的世界のなかの一部にすぎないのに自然世界を超越し支配しうるという錯覚を抱くにいたっているが、まさにそれがゆえに恐慌や戦争というかたちでイカルス失墜の運命に会っているのだというのです。二十世紀の世界の歩みは科学技術の総動員体制による自己破滅ではなかったのかという歴史認識は、まだそれ自体解決の方向性を指し示していないにしても、二十一世紀の限界を乗り越える第一歩であることは間違いありません。※
※イギリスの著名な哲学者B.ラッセルは、戦争中執筆されたその「西洋哲学史」でプラグマティズムを批判して、それは「自然と人間とに対するほとんど無制限の力への信仰」に基づく哲学で、そのうぬぼれは人間と自然とに対し大きな罪を犯す可能性があるとしました。今日の脱成長哲学やエコロジー哲学を予感させる内容です。
Ⅲ.「シュピーゲル誌との対談」から(1966年)
この対談では、存在の探求の合理的側面を垣間見せています。もっともそれがどこまでハイデガーの本心を表すものかどうかは、その虚言癖から疑ってかかる必要はあるでしょうが。
「私の確信するところは、世界のうちでただ現代の技術的世界が発祥したのと同じ処においてのみ一つの方向転換もまた準備されうるということ、この方向転換は禅仏教とかその他もろもろの東洋的世界経験を受容することによっては起こりえないということです。方向転換してしいするためには、ヨーロッパ的伝承とそれを新しい仕方で我がものにするということとの助力が必要です」(「形而上学入門」1935年、P.401 平凡社 1994年)別の箇所で、ハイデガーは、技術に対する態度はオール否定ではなく、「ヘーゲル的な意味で止揚される」と述べています。(ヘーゲルのアウフヘーベンは廃棄と保存の両方の意味を同時に含む)
技術化世界のオール否定ではない改良的見地を示したということで、この発言は注目に値します。T・マンは、ドイツ的な未熟さの根本である「理念と現実の乖離」を埋めるものとしての創造的政治=国民的民主主義を提示しました。人生の最終盤で、ハイデガーは自覚の程度は問わないとして、この見地にいくらか近づいたのかもしれません。
最後に、重複を怖れずいえば、ハイデガーの存在論への試みは以下のようにパラフレーズすれば現代の課題により適合的となるでしょう。
――西欧世界から始まって全世界を蔽いつくした合理化を推進した抽象的思考には、大きな限界があった。合理化によって生活の利便性は高まったものの、人々は自分を見失い精神的な彷徨人となった。その結果分かったことは、個別的な諸科学の真理を合計しても、世界と人間的生との大いなる真理には至らないということであった。人類の自己破滅を回避するには、科学技術的な合理化とは異なる方向へ合理化の成果を踏まえながら、人間存在の復活のために生活原理の転換を図ることが必要である、と。
生活原理の大転換といえば、かつてL・マンフォードというアメリカの文明批評家兼都市計画家は、抽象的ながら「労働labourから仕事workへ」、「商品goodsのための生活からよきgood生活へ」「金銭尊重経済から生活尊重経済へ」、「経済人(専門人)から全体的人間へ」という標語で表しました※。マルクス主義者であれば、価値から使用価値視点への転換というかもしれません。アナーキズムの系譜に立つマンフォードは必ずしもマルクスに同調的ではなかったのですが、それでもマルクスの「最終的には人間自身が最大の富である」というオプティミスティックなテーゼに満腔の賛意を示しました。
※L.マンフォード「人間―過去・現在・未来」1956年、久野収訳、岩波新書 1978年)
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〔study1005:181119〕
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