『堀田善衛を読む―世界を知り抜くための羅針盤』を読む
- 2018年 11月 23日
- カルチャー
- 半澤健市堀田善衛書評
生きているうちに、あと何冊本が読めるだろうか。
読書だけではない。全ての日常的な営みに関してそう思う。後期高齢者の心理である。
《気になっていた堀田善衛》
一、二冊を読んだだけで、ずっと気になってきた著述家を、誰もが、持っている筈だ。私にとって堀田善衛(ほった・よしえ)はその一人である。最近、日本近代史家を囲む読書会で、中江兆民の研究者であるその学者は、堀田の『時間』を紹介した。南京事件を中国人インテリの視点で書いた小説である。占領下の南京で、日本軍将校に自宅を占拠されながら、彼は抵抗する。1955年に、「南京虐殺」を日本人の作家が書いていたのである。私はそれを読んだ。作家の深い悲しみと強い怒り。私は、衝撃を受け、知らなかった自分を恥じた。
作家堀田善衛は、1945年3月10日の東京大空襲を経験した直後に上海に渡った。国際文化振興会という組織の上海資料室に勤務するためである。現地で武田泰淳や石上玄一郎を知る。8月の敗戦後は、46年末まで中国国民党政府宣伝部に留用され、47年1月に帰国した。
私は、『海鳴りの底から』『若き日の詩人たちの肖像』を、半世紀以上前の雑誌連載中に断続的に読んだが、内容の記憶はほとんどない。そこで彼の作品を選んで読もうと思い始めた矢先に、『堀田善衛を読む―世界を知り抜くための羅針盤』が出たのである。
本書は、富山県富山市の「高志(こし)の国文学館」が、堀田善衛生誕100年特別展「堀田善衛―世界の水平線をみつめて」開催を機に企画した堀田文学の入門書である。編者に池澤夏樹・吉岡忍・鹿島茂・大高保二郞・宮崎駿・高志の国文学館を並べる。各編集者が堀田への思いの丈を綴った内容は「入門書」の水準を超える。そういう書物を、逐一紹介するのも芸がないので、池澤・吉岡・鹿島三氏と「高志の国文学館」の文章から、私の判断で選んだ部分を以下に挙げることにする。
《池澤・吉岡・鹿島》
■池澤夏樹(作家。1945年生まれ)
一九六六年から『若き日の詩人たちの肖像』の連載が始まった。これが面白かった。これは個人的な事情ですが、僕の父が福永武彦という作家で、堀田さんとは同い年です。/父に「あれは面白いですよ」と言ったら、「ああ、嘘ばっかり言う」と笑っていた。もちろんフィクションの部分も多いと思います。/自然主義私小説が誠実に、失敗や欠点、堕落も含めて己を語るというところで勝負しようとする。それ故に露悪的、自虐的になっていく。そういうことは一切しない。自然主義でなく、モダニズムの人だから。書き方に工夫もあれば、フィクションというか、仕掛けもある。
■吉岡 忍(ノンフィクション作家。1948年生まれ)
鴨長明や藤原定家も、ゴヤもモンテーニュも、堀田さんの手にかかると、我々と大して違わない現代人ですね。この把握の仕方の背景には、人間なんいようがいまいが、だだっ広くも峻厳な自然は遠い過去にも未来にも存在していて、そのちょっとした隙間を借りて、たまたま人間はそれぞれの時間にはひたむきに、時には愚かしくもグロテスクに生き、それが歴史として積み重なってきただけのことだ、という世界観がある。私にはそんなイメージがあるんです。
■鹿島 茂(フランス文学者。1949年生まれ)
日本の社会がかなり豊かになってくると、第一次戦後派的な、「国家の独走を許さない」とか「連帯を基にして何かをつくっていこう」というのが野暮ったく感じられた。実は僕もそう思っていたのです。ところが、グローバリズムによって格差がどんどん広がっていくと、いや、やはり彼らが言ったことは全く古びていないのではないか、と。逆に、今こそ本当の意味での労働組合とか左翼政党とか、そういうものをちゃんと立ち上げなければいけないのではないかという気になってくる。そうしないと、近衛新体制に流されていったのと同じ道をたどる可能性が多分にある。だからこそ、もう一回、堀田さんの本を読んでいく必要があると考えています。
《堀田発言のアンソロジーから》
■高志の国文学館による「堀田善衛二〇のことば」から三つ
■「何万人ではない、一人一人が死んだのだ。」
何百人という人が死んでいる――しかし何という無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学との差がある・・・。(『時間』より)
【解説】一九三七年の南京事件を中国人の知識人の視点から描いた長編小説『時間』(新潮社、一九五五年)。戦争という極限の「時間」がいかに人間を狂わせるか。何万人が死んだのではない、死んだのは一人ひとりの人間なのだと、戦争と人間存在の本質を問う。悲惨な歴史を繰り返さないために、過去の歴史を直視し、歴史から学ぶのだと堀田はいう。
■「インドで考えたこと」
人々が、この世の中について、人間について、あるいは日本、または近代日本文化のあり方などについて、新しい着想や発想をもつためには、ときどきおのおのの生活の枠をはずして、その生活の枠のなかから出来るだけ遠く出て、いわば考えてみたところで仕方のないような、始末にもなんにもおえないようなものにぶつかったみる必要が、どうしてもある、とおもわれる。(『インドで考えたこと』より)
【解説】一九五六年、堀田はニューデリーで開催された第一回アジア作家会議に参加するためにインドを訪問した。『インドで考えたこと』(岩波新書、一九五七年)は、過酷な自然と貧困を抱えながら多様な文化を育むインドを肌で体験した記録であると同時に、日本に対する鋭い文明批評として読み継がれ、ロングセラーとなっている。
■「国家もまた永久不変ではなく」
私が慶応予科に入るために上京したのが、一九三六(昭和十一)年の二月二十六日。まさに二・二六事件の当日でした。(中略)つまり、軍隊は反乱を起こすことがある。また、天皇がその軍隊を殺せと命令することもある、そういうことを認識させられたということです。
これは、生家が没落とたという経験とも重なって、国家もたま永久不滅ではなく、軍隊の反乱などによって崩壊することもあるのだという、中世の無常観ともつながる感覚を与えられたわけで、こうした経験は、私自身の人格形成に深い影響を与えているだろうと思われます。(『めぐりあいし人びと』より)
【解説】『めぐりあいし人びと』(集英社、一九九三年)は、ネルー、サルトル、ソルジェニーツィンらとの交友、追い求めた定家、長明、ゴヤの世界など、人々との出会いと交流を軸に語る自伝的回想録。親しい編集者に語るという構成を採ったため、行間から堀田の肉声が聞こえてくる。
《知の巨人のインフレに抗して》
最近は「知の巨人」がどこにもかしこにもいるようだ。
言論は自由だから、私はだれそれへの命名に反対する気はないが、本書を一読しただけで私は、ここにこそ真にそう呼べる知識人の存在を予感する。しかもこのインテリは、庶民の目線も確かに持ち続けていた。私は堀田の作品を読み始めた。その結果を報告する機会をもちたいと思う。(2018/11/16)
■『堀田善衛を読む―世界を知り抜くための羅針盤』(集英社新書、2018年10月刊、 820円+税)
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