秋篠宮発言が醸し出す問題
- 2018年 12月 1日
- 時代をみる
- 稲垣久和
1.秋篠宮発言
現天皇の次男の秋篠宮が、御自身の誕生日に先立つ11月22日の記者会見で所感を述べ、それが30日の誕生日に合わせて報道された。記者とのいくつかの質疑応答の中に、天皇の代替わりのことが含まれていて、そこで大嘗祭に公費を支出するという政府の決定に疑問を呈した。これが皇族からの発言だったこともあり、マスコミで大きく話題となった。
https://www.asahi.com/articles/ASLCY669ZLCYUTIL042.html
確かに政治的中立を保つことを期待されている皇族の一員からの発言で、政府批判とも取れるために異例ではあった。しかし筆者としては、日本の天皇制度において、あたかも天皇や皇族には憲法で保障されている言論の自由や、信教の自由がないかのごとく扱われている方が、むしろ疑問に思う。憲法が天皇を「国民統合の象徴」と定めているのであるから、代替わりの即位式(即位の礼)は必要であろう。政府は2018年の10月22日に「国事行為」(憲法第7条⑩)として行うことをすでに決定した。
https://mainichi.jp/articles/20180330/k00/00e/010/246000c
しかし、大嘗祭は純粋に神道儀式だから、(秋篠宮のように)もし必要と信じるのであれば天皇家の中の行事費用の内廷費でやればよい。四季折々の神道行事をいつも宮中でやっているようにすればよいだけのことだ。それを前回踏襲で、準国事行為のような意味を持たせて行う政府方針は憲法違反であり、国民主権の日本の戦後民主主義にはそぐわない。しかし30年前の大嘗祭でも自民党政権は民主主義にそぐわないことをやってきた。
これを許している国民の側にも大きな責任があると感じている。国民の側に自ら民主主義を作っていこうとする気概が年々弱くなっているように思う。戦前の国家神道の後遺症で、国民はいまだに天皇と神道行事の関係を自由に語れない。為政者側は国民統治の市民宗教(civil religion)と愛国心の高揚の手段として皇室を利用し続けている(拙著『国家・個人・宗教』(講談社現代新書、2006年)。
古代や中世はともかくとして近代の国民国家には鉄則があって、それを「教会と国家の分離」と呼んできた。日本では“政教分離”と誤って言い慣わしているが、日本国憲法が89条で規定しているのは欧米の立憲主義の歴史上に形成された「教会と国家の分離」つまり日本では「神社と国家の分離」である。ここで「教会」や「神社」と呼んでいるのは制度化された宗教団体の事である。近代社会では市民生活の中では、個人は自由に宗教的信条を表現することが可能であり、他者の宗教的信条を尊重することも人権への配慮として要請されている。ただ日本の天皇が神社神道の側で現御神(あきつみかみ=現人神)という認識を示しているために、そして日本国民の中にこの神道的アニミズムが習慣として深く入り込んでいるために、国家機構の上で憲法上の「信教の自由」や「神社と国家の分離」がなかなか生活の中に根付かないのである。またなぜそのような規定が憲法にあるか、その意味を深めようとしないのである。だからいつも議論は水掛け論で終わってしまう。
しかし、ユダヤ・キリスト教そしてイスラーム教などの唯一神教が地球人口のかなりの部分を占めている以上、国際的な感覚や慣例も身につけていかなければもはやグローバルな多文化共生社会で生き残ることは難しいであろう。(筆者の対談集『キリスト教と近代の迷宮』春秋社、参照)
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-32374-8/
2.宗教の社会的位置づけ
ただ唯一神教の方も原理主義の様相を帯びてくると危険である。一部のイスラーム原理主義もそうであるが、米国のキリスト教原理主義もたえず市民宗教化して、アメリカ第一主義という愛国心の温床を作り続けている。宗教は平和を創り出す原動力にもなれば、愛国心の高揚に利用され戦争に人を駆り立てていく原動力にもなるので、それだけ慎重な取り扱いを要する。
では「宗教はアヘンである」と言って、国民生活から宗教を排除することができるだろうか? それは人間が人間である限りできないであろう。〇〇人民共和国として、無理に宗教を国民生活から抑圧・排除している国家は、今度は国家指導者が偶像化されて神がかって崇拝されるだけであり、人民の自由は抑圧される。ではどのようにすれば自由と平等、特に信教の自由と各人の幸福が保障される国家がつくれるのであろうか。これが今日のわれわれの課題である。それは上から与えられるものではなく、われわれ市民が日々自ら参加して創られると考える。市民社会においては宗教的価値に基づいた自由な発言と行動は可能であるが、国民国家形成の段階でこれは抑制される。つまり「市民社会」と「国家」とは区別すべきである。そのための公共哲学を筆者は国家形成時の主権論、そして市民社会形成時の領域主権論という言葉で表現してきた。
キリスト教世界のヨーロッパ、17世紀のホッブズの国家論と主権論の場面ではまだ、国王の上に神の権威は前提されていた。神から委託された国王(主権者)の権威に国民(臣下)は従い、それにより国家秩序と平和が保たれる。しかし18世紀のルソーの人民主権論になるとこれが消えていく。国民は主権者であり同時に臣下となって、論理的な矛盾を抱えてしまう。筆者はこのルソーのアポリアとその回避について「法の理論31、32」で論争形式で書いた。(下記)。
http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/025100.html
これは『実践の公共哲学』(春秋社、2013年)に圧縮して入れてあるので関心のある方は参照していただきたい。実は日本の現憲法の国民主権論も同じアポリアを抱えている。これを解決していくのが筆者の領域主権論である。そして社会的描像として政治、経済、社会、倫理、宗教を調和的に展開していくのが筆者の四セクター論である。
最初の議論にもどる。天皇や神社神道、そして戦争犠牲者の追悼の問題、この問題が複雑に現れているのが靖国神社問題である。筆者なりの公共哲学からの解決を『靖国神社解放論』(光文社)によって目ざしている。
https://www.amazon.co.jp/靖国神社「解放」論-Yasukuni-Public-Philosophy-光文社ペーパーバックス/dp/4334933866
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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