「1968年はどういう年であったか」──周回遅れの読書報告(その84)
- 2018年 12月 2日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
今年の一月のはじめ、滞在していた九州の地方都市の古本屋で、マーク・カーランスキー『1968 世界が揺れた年』の前篇を見つけた。後篇がなかったので、買うのに少し躊躇したが、価格の安さに惹かれて買ってきて、読んだ。前篇は「いちご白書」の舞台となったコロンビア大学の闘争を追いかけたものであった。ほとんど何に記憶も残っていない。「こんなのであれば、敢えて後篇をさがす必要もない」。そう思った。古本屋には滞在中、その後も何度か通った。しかし「後篇をさがす必要もない」と思ったせいか、後篇は最後まで見つからなかった。
この前篇は、今手許にない。保存する必要もないと判断して、処分してしまったのであろうか。ともかく管理されてはいないということだし、その本のことはすっかり忘れてしまった。それから十カ月以上が過ぎた、10月中旬また九州に行き、同じ古本屋に行った。今年一月にはなかった後篇が置いてあった。『1968 世界が揺れた年』は決してベストセラーではない。この古本屋以外では見たことはない。それなのに後篇があるとはどういうことなのか。さっぱり理由が分からなかった。前後篇を一緒に(新本で)買った読者が時間をおいて手放したのであろうか。前篇がつまらなかったので、後篇を買おうかどうか迷った。しかし、後篇も前篇と同じように安かった。「せっかく前篇を読んだのだし、価格も安いから、暇つぶしに読んでみるか」。その程度の気持ちで買ってきた。
一読して、前篇を読んだだけで「つまらない本だ」と評価した自分を恥じた。カーランスキーは後篇の332頁に次のように書いている。
1968年8月30日のソ連の、チェコスロバキア侵攻は、ソ連邦終焉の始まりを決定づけた。20年以上あとに、ついに終焉の時が訪れると、西側諸国に衝撃が走った。終焉が始まっていたことを見落としていたのだ。だが、侵攻時には、『タイム』でさえソ連邦終焉を予言していた。それは英雄的なロシア……の終焉だった。もはやいいイメージはなかった。小国をいじめるごろつきでしかなかった。
私もまた、この本が語っていること、つまり、1968年という年はソ連終焉の始まりであったということ、を「見落としていた」としか言いようがない。それだけではない。カーランスキーは、アメリカの学生運動だけではなく、フランスや東ヨーロッパの動きも丁寧に追いかけながら、「世界が揺れた年」を見ていたのである。そのことも私は「見落としていた」。本の前半だけを読んで、全体を評価するという、とんでもない誤りを犯していたのである。
もちろん、カーランスキーの叙述には限界がある。たとえば、アメリカを中心とした世界経済がドルと金の固定相場制のもとでは限界に近付いていたこと(アメリカがそれを放棄するのは、1968年の3年後のことである)といった、経済的側面はほとんど無視されている。しかし、それでもカーランスキーの叙述は、この1968年という年が持つ、歴史的意味を生き生きと語っている。決して「つまらない本」などではない。
しかし、前篇と後篇の印象がこんなにも違う本があるとは思っても見なかった。「最初の50頁も読めば、その本の内容は判断がつく」と言われることがあるが、最後まで読んでみなければ分からない例外もあるということである。
マーク・カーランスキー『1968 世界が揺れた年』(ヴィレッジ・ブックス、2008)
読者のみなさんへ:
この報告がまさか84回も続くとは思わなかった。報告したいことは、まだ少し残っているが、2018年11月で私は70歳になる。毎週、定期的に報告をするという方法は考え直し、報告したいときに報告するというやり方に変更したい。その身勝手をお許しいただきたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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