紹介:内野光子著『齋藤史「朱天」から「うたのゆくへ」の時代』(一葉社2019.1.9刊)
- 2019年 1月 14日
- 評論・紹介・意見
- 合澤 清
詩歌の世界に疎く、門外漢の私ごときがこういう高尚な著書の紹介をさせていただくことには多いに戸惑いがある。
内野光子さんは、「ちきゅう座」に卓抜な社会批判や論評、紀行文などを投稿(ブログより転載許可)されている著名な歌人である。その内野さんが上梓されたのが本書である。
この本で取り扱われている歌人の齋藤史は、1909年に生まれ、2002年に93歳で亡くなっている。
内野さんは、「短歌朝日」の<齋藤史特集>所載論文「敗戦前後の女性歌人」その他で、既に何度か齋藤史を含む女性歌人たちを取り上げている。その際の一貫した姿勢は「表現者としての責任と覚悟を問う」ということである。
今回の本を貫く精神も、戦前、戦中、そして戦後という時代の大きな変遷の中で、齋藤史が(そして多くの歌人や文壇人が)、時代に迎合、あるいは無理強いされて、如何に自己を変貌させてきたのかを、詳細な資料をもとに追究したものである。
そのために、今や散逸している原資料を苦労して集め、それを今日出版されているものと比較解読して、「隠蔽、削除、改ざん」の意味を丹念に調査して結晶させたのがこの書である。
この「表現者としての責任と覚悟」という態度は内野さんご自身のものでもある。この真摯な態度が本書に緊張感と迫力を与えている。
しかし、冒頭触れたように、かかる世界に疎い門外漢の私ごときがおこがましくも、この本の批評をするようなまねごとは厳に慎みたい。それ故ここではお叱りを覚悟で、斜に構えて、この書物に関連する事柄にほんの少し触れて、イントロのイントロとしてお茶を濁したいと思う。
私のごとき俗人にとって、この本の興味は次の二点にあった。先ず第一は、この本が、ある種の謎解きであるということだ。第二は、齋藤史の父親が、かの2.26事件に関係し、禁固5年の実刑を受けた予備役少将の齋藤瀏であったということである。
謎解き(推理的興味)のための発端は、「はじめに」で与えられる。
2017年6月12日付「東京新聞」夕刊のコラム「大波小波」の批評、近代文学研究者・中西亮太の2010年8月16日付「朝日新聞」での批評、それと齋藤史自身の編集による『齋藤史全歌集』が、丁度事件現場に残る様々な痕跡のように、ばらばらで相互に無関係な、あるいは互いに矛盾しているかに見える様相を示しながら紹介される。
それらを手掛かりに、著者は、あたかも名探偵のごとく、それらを丁寧に調べ直し、もつれて絡み合った糸をほぐし、相互の関連をたどっていく。まことに根気のいる仕事である。
しかし、われわれ読者にとって、内野さんの綿密で丁寧な調査と、明敏な推理力からなる本書の筋立てが、大変興味深いものとなることは請け合いである。
さて、その結果は…?それは直接この本に当たって、その解明の過程と共に楽しんで頂きたい。
もう一つの興味の方に移りたい。
齋藤史の父が齋藤瀏であったことは、松本清張の『昭和史発掘』で知っていたはずであったが、この本で改めて記憶を呼び戻した。彼は、佐佐木信綱について歌を学んだれっきとした歌人である。
齋藤瀏と2.26事件の顛末は、清張のこの本に詳しく書かれている。序だが、この本は、中公文庫で全13冊、その内の7巻から13巻が2.26事件を取り扱っている。
齋藤瀏は、事件を起こした青年将校の一人、栗原安秀中尉を伴って知り合いの将官を訪ね、仲介の役割を果たしている。
清張の『昭和史発掘』8.(文春文庫1978)にこんな記述がある。引用する。
「栗原中尉――青年将校の急進派中の急進――彼は実際に戦車も出動させるつもりだった。栗原はそのために資金調達にも奔走している。彼の父親の親友で、彼が「小父さん」と呼んでいる斎藤瀏予備少将を訪ね、「青年将校の国家改造運動の資金」の世話をたのんでいるのだ。斎藤はこの時、栗原を石原広一郎(石原産業海運合名会社社長)に紹介した。斎藤と石原とは「明倫会」の関係で親しい。」(p.38)
これからは私の憶測も多分に含まれているのであるが、おそらく齋藤瀏は自分の復権ということもあってか、あるいは日本帝国主義、ひいては天皇への忠誠という心根からか、栗原を介してかなり積極的に青年将校たちと交流している。
確か、NHKが1990年代に放送した番組だったかに、栗原と齋藤の電話交信がひそかに傍受・録音されていて、反乱軍に「朝敵」との裁断が下された直後の電話だったかで、齋藤が元老「西園寺公望」の名前を出して、調停斡旋しようと言っていた。これでみても、齋藤のこの反乱自体への熱意が相当なものだったと推測できる。
娘の史も勿論、幼時からこういう教えを厳しくたたき込まれていて、相当な「忠君愛国主義者」であったはずである。実際に、戦前・戦中の彼女の歌には、こういう思想が如実に表れている。
この事を彼女は隠さず、1977年に出版された『全歌集』に43年7月刊行の『朱天』を収録するに当たり、その〈戦前期〉の表題紙に次の付記(「はづかしきわが歌なれど隠さわずおのれが過ぎし生き態なれば 昭和52記」)をしたことから、「戦時下の作品も削除しないで、いま、ここに〈さらした〉覚悟」のほどが称えられ、その潔さが高く評価されたという。
しかし、果たしてそうだったのか?未収録、削除された作品は何を語っているのか?
内野さんの慧眼はこの謎を見事に解き明かす。
著者内野光子ご自身の視点は、この本の「あとがきにかえて」で次のように記されている。
「…昨年からの2018年にかけては、森友・加計問題、自衛隊日報問題に関連して、公文書の隠蔽、改ざん、捏造などがクローズアップされた。錯綜する情報に接して、公文書に限らず、表現者が、一度、公表した「著作」や「作品」は、隠蔽、改ざんはなされるべきではないということをあらためて確信させられたのだった。」
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8302:190114〕
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