日帝朝鮮支配に抗う魂の果敢性・透明性-映画「金子文子と朴烈」を観て-
- 2019年 2月 28日
- 評論・紹介・意見
- 内田 弘金子文子金子文子と朴烈
[主題曲「イタリアの庭」の郷愁] 東京・渋谷の長い宮益坂を登って、映画館「イメージ・フォーラム」で、イ・ジュンイク監督作品「金子文子と朴烈(パク・ヨル)」を観た。会場はほぼ満席である。上映中の静寂の会場は、哀切の感情で満たされていた。「イメージ・フォーラム」は、かつて記録映画「日本鬼子」を観た会場である。いわゆる「三光作戦」の具体性はこの映画で赤裸々に証言されている。
映画「金子文子と朴烈」冒頭から流れる主題曲「イタリアの庭」(チェ・スンヒ作曲)が何処か懐かしさを誘う。しかしつぎの場面は、苛烈である。
[車夫を殴る日本人客] この映画の主人公のひとりである人力車の車夫・朴烈(パク・ヨル。1902年-1974年。俳優イ・ジェフンが好演)が日本人の客に「不足料金2銭を払って下さい」と求めると、日本人男性客に「叩く・蹴る・怒鳴る」の暴力をふるわれる。日清日露の戦争で「東洋の一等国」になったと自惚れる日本人が威張り散らす。1920年代(大正時代)の在日朝鮮人の苦境の一場面である。そのような存在として扱われる朴烈は自分を「犬」と題する詩で表現する。どん底に生きるほかないからこそ、明るい、からっとした詩である。
[朴烈の詩「犬」に心打たれる金子文子] その詩を読んで金子文子(1903年-1926年。俳優チェ・ヒソが好演)は心打たれる。金子文子も、幼い頃から苛烈な苦境で生きてきた。その詳細は彼女の伝記『何が私をそうさせたか』(岩波文庫)や、瀬戸内寂聴が書いた『余白の春』(岩波現代文庫)に詳しい
金子文子は文字通り自力で生きてきた。正則英語学校(以前、石川啄木も通った学校)・研数学館・二松学舎に通学したが、徹夜の労働のあとの通学のため、過労で断念した。
車夫の朴烈、自称「アナキスト」の金子文子、この二人の出会いは偶然であるようで、いつかは出会う必然性がある。地を這って生きる二人の生活がその接近を促すのである。苛烈な生活条件の中で懸命にまっすぐに生きる者は、世の中がよく見える。飢えは頭脳を明晰にする。自分の気力だけを頼りで生きる。生きる工夫で真偽の弁別がはっきりしてくる。天皇制国家など、怖くない。金子文子がアナキストを自称するのは、国家の庇護とは無縁の環境(アナキズム)に生きるほかない彼女の生存条件による規定である。たらふく食べながらの思想遊びではない。
[関東大震災で暴発する無意識の罪悪感] 二人は、大正末期の「関東大震災」(1923年9月1日)に遭遇する。13年前の1910年の日韓併合によって、ますますのぼせ上がり、勝手次第にふるまう日本人は、暴虐を尽くす日帝の物質的・精神的朝鮮支配の先兵になってきた。そのために罪悪感を無意識に抱え込む。朝鮮人による報復を恐れる心理が、彼らに鬱積している。
その無意識のマグマが大地震の戦きで爆発する。「やられるまえに、やってしまえ」である。暴虐は、大杉栄・伊藤野枝やその甥を虐殺した甘粕大尉などの軍人や警察だけでない。普通の大人の日本男子が竹槍・棍棒・鳶口などでもって、在日朝鮮人や中国人を襲い虐殺する。地震が喚起する不安が不気味に変身する。
映画では、朴烈などが入っている拘置所にまで、暴徒が怒鳴り、喚きちらしながら闖入し、竹槍で被収監者を何度も突き刺す。韓国の調査では、震災でのそのような虐殺被害者は6000人に及ぶという。
[小池知事の虐殺無視] 小池東京都知事は9月1日の「防災の日」の挨拶で、その震災で虐殺された人々と直接地震で死んだひとびとを一括して「犠牲者」とよび、日本人のその犯罪を覆い隠す。意図的隠蔽である。都民は気勢を挙げて小池を支持し知事に押し上げた。根本的に何が変化したのだろうか。
[大逆罪の陰謀] 大正末期のこの無秩序を収めるために、政府は生け贄を用意する。このような治安の乱れの陰で、一部の謀反者が大正天皇の摂政(裕仁)を暗殺する計画を練っている。それは「不敬罪」であるというでっち上げを画策する。
旧刑法(1907年=明治40年制定)は第73条で規定する。
「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」。
朴烈と金子文子にその嫌疑がかかる。二人はその虚構を逆手にとって裁判に臨む。彼らには日本人弁護士・布施辰治などの日本人が救援にあたる。他方、内務大臣・水野錬太郎は「方と秩序を守るのは大臣の仕事。私は内務大臣として我が国と国民と天皇陛下をお守りする」を嘯き、金子文子と朴烈を「不敬罪」を犯した犯罪者として処罰するように奮闘する。
死刑を覚悟した金子文子と朴烈は、最初の裁判で、結婚衣装を着て登場する。傍聴する仲間たちはヤンヤの喝采を叫ぶ。この裁判の虚構性が露呈する。
[朴烈のハンスト] しかし、二人への判決は、「不敬罪につき、死刑に処す」である。その後、《天皇陛下のご慈悲によって罪一等を減じ、無期懲役に処す》と通達する。《お御心のありがたさ》を演出する公権力のいやらしさである。
朴烈はその処置に抗議して、ハンガー・ストライキを始める。刑務官は、朴烈の口を無理矢理に開き、食物を突っ込む。朴烈はそれを全部はき出す。「食わせる、はき出す」が繰り返えされる。朴烈が望む餓死をなんとしても防止するのが、日本国家権力である。
[金子文子の微笑み] 金子文子は宇都宮女子刑務所に移される。その前に、朴烈との婚姻届を受け取る。金子文子は結婚届けなど眼中にはなかった。朴烈との同棲も結婚届け無しであった。しかし、朴烈と結婚しなければ、縁者のまったくいない金子文子が死んだとき、その遺体の引受人がいない。そこで朴烈の結婚提案を受諾する。宇都宮刑務所に向かおうとする金子文子は「入籍謄本」を受け取り笑む。
[朴烈の長寿と金子文子の自死] 朴烈は日本の敗戦後まで生き延び、韓国に帰国するが、朝鮮戦争で北朝鮮の軍に捕まり、1974年まで生きのびる(享年71)。
しかし、金子文子は、朴烈のほぼ同時の死を想定して、密かに細い紐を集めて首に巻く縄を造り、自死する(1926年7月23日。享年23)。死んで、朴烈と心で永遠に結ばれるためである。遺体は朴烈の韓国の家族の墓地に埋葬される(1926年)。
映画の終りでふたたび、主題曲「イタリアの庭」が流れる。金子文子と朴烈の日帝の朝鮮支配の人間悪の凝集に対する戦いを、密やかに静かに称えて、哀切である。
[日韓連帯の呼びかけとしての映画「金子文子と朴烈」] この映画は反日映画ではない。そうでないように沈着に制作されている。そこに監督や俳優や制作関係者の「気高い精神」がはっきりしめされている。その点で私を含む、現代日本人の多数の者たちの精神的劣位は否定しようがない。
[日本近代史の暗部から眼を背ける人々] 日帝支配を歴史から抹殺し、それが具体的に露呈してくると懸命に隠蔽を試み、あるいは、国際法違反などと嘯く。この日韓の差異こそ、いま直視しなければならない事柄である。今日のいわゆる「ヘイト・スピーチ」の暗い思想的源流は、あの関東大震災の自警団の暴力に遡ることができるのではなかろうか。本人たちは自覚していないかもしれないが、歴史の暗流は存在する。
今年は、日韓併合9年後の、1919年3月1日のいわゆる「三・一独立運動」100周年の年である。この映画「鈴木文子と朴烈」の日本における上映は、日本の歴史にとってきわめて意義深い。
[三・一運動を起点とする現代大韓民国] 現行「大韓民国憲法」の前文はつぎのような文から始まる(高橋和之編『世界憲法集』第二版、岩波文庫、2012年、355頁)。
「悠久なる歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、三・一運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗した四・一九民主理念を継承して、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚し、正義、人道および同胞愛をもって民族の団結を強固して、すべての社会的弊害と不義を打破する。[以下略]」。
現代の韓国の出発点は、1919年の日本帝国主義支配を打破し祖国を建設しようとする「三・一独立運動」にある、と宣言している。「南北統一」も憲法前文で掲げる課題である。南北分裂の原因は日帝朝鮮半島支配35年にある。
[かすかに残る地熱] いまから数えて約半世紀前の1971年に出版された、山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』(岩波新書)などの読書会や、在日朝鮮人詩人・呉林俊(オ・リムジュン)さんを招いて後援会や討論会を北関東で本稿筆者たちは催した。あのときの地熱はまだ冷めない。密かに励ます。
[韓国映画は日本を活写する] 他の韓国映画でも活写する日本人・日本国の生々しさは、この映画でも如実に示されてされている。不当な長い支配を受けた人々はその経験を、世代を継いで継承している。足を踏まれた痛さは忘れない。
[忘却の民・日本人] 他方の日本は、足を踏んだことをすっかり忘れている。敗戦後74年の長きにわたって、日帝の朝鮮支配を無かったものとして語らず、教えず、隠蔽してきた不作為の負債が、いま重々しく露呈してきている。
[日本の革新派も忘却する] 日本のいわゆる革新派も、自分たちをもっぱら被支配階級として、朝鮮の人々と同じ日帝の被支配階級として規定し、個々の日本人として、日本で、朝鮮半島で、個々別々に具体的に何を行ってきたのか。その行為を不問にしてきた。そのことに関連することを研究会で少しでも語りはじめると、急に不機嫌になる者もいたし、いまなお、存在するだろう。
[アジアに無関心な日本の民主主義・市民社会学派] 金子文子・朴烈の大正時代の「民本主義」も、吉野作造など若干の例外を除けば、「国外では帝国主義を是認し、アジアのナショナリズムには無理解であった」(『朝日新聞』2019年2月27日朝刊17頁)。日本のいわゆる「市民社会学派」もその無理解・無関心・無視の限界内に留まってきた。その他の学派はどうであろうか。イギリスやフランスには溜息をついて憧れるけれども、アジアは視界の外ではないだろうか。
[日本の下層に生きる人々] 日本本土では社会の下隅に追いやられる人々は、朝鮮半島では「殿様威張り」が出来る。日本統治下の朝鮮のすべての村の村長と警官は日本人であった。国内では高学歴の者たちに「物の数ではない扱い」を受け小さく縮こまって生きてきた分、朝鮮半島ではい日帝の手先として威張り散らす。日本でトップの人間も国際的には小さく縮こまる。その分、国内では威張り散らす。そのピラミッドの最底辺に金子文子や朴烈たちは生きたのである。
[戦後日本の民主主義と竹内好] 戦後日本の民主主義は、良いところだけをつまみ食いする民主主義ではなかったのか。それを根本的に見直さなければならない課題に、現代日本人は直面しているのではないだろうか。これは日本人に課せられた苛烈な歴史の試練である。
鶴見俊輔は竹内好の伝記を書いた。竹内は日本人の特にアジアの人々に対する「国民としての責任」を問うた思想家であった。私たちはその竹内好を忘れてはならない。竹内の毛沢東評価の誤りは「アジアの人々への国民としての責任感」と切り離しがたく結びついている。竹内のその誤りを批判することで、その責任から無縁になれるわけではない。
日本人はこれから、人口減少・経済力低下だけでなく、このような忘却を装ってきた、直視しがたい、しかし直視しなければならない歴史的負債に対応しなければならない。日本人の21世紀の課題の核心はここにある。この課題を、韓国の人々は、いましずかに穏やかに、日本人に語り始めているのである。
その語りの一環が、この映画「金子文子と朴烈」である。(以上)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8426:190228〕
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