ドイツ通信第140号 EU議会選挙とヨーロッパ民主主義の復活への道
- 2019年 6月 4日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
2019年5月 EU議会選挙
昨日の日曜日(5月26日)、いつもの通りEU議会選挙の投票に行ってきました。そのへんの事情から、思うところを書き始めます。
10時30分すぎに家を出て投票場に向かえば、従来だとまばらで閑散とした感じがした通り、周辺が、今回は駐車する車が列をなし、投票に向かう人たちの足元が軽く見受けられたものです。
5年に一度のEU議会選挙は、ドイツに限って過去を振り返れば投票率が45%前後で、明確な政治対立が公然化してこなかったこともあり、いってみれば「一票への義務」で投票に参加する傾向があったように思われますが、今回は、〈政治危機〉のなかでの積極的な動機が伝わってきました。60%前後の投票率を、そこから予想していました。
政治危機とは、極右派、右派ナショナリスト、ポピュリストのヨーロッパでの台頭です。選挙前には、EUの政治路線論議よりは、むしろ(極)右派の動向にメディアと議論が集中していた感があり、言い換えれば、それによって本来のテーマが背後に押しやられていったといえるのですが、政党レベルでいえば、右派勢力に対抗する政治路線を立てきれてこなかったことが、社会の耳目を右派勢力に向かわせたと見るべきでしょう。
投票場になっている学校の入り口で、ちょうど投票を終えて出てきた80歳半ばの隣人の年配者と娘さんに出会い、簡単な挨拶を交わしたら、彼は拳にした右手を挙げて投票室に向かう私を見送ってくれました。
今度は投票場のその学校を出ようとする私に、知り合いの70歳くらいの年配者が手を振って、「ちゃんと投票したか?」と声をかけてくるので、「そう信じるよ」と言い返したら、彼は笑顔を見せていました。
今回のEU選挙は、その意味で、口角泡を飛ばし空論しがちな議論によってではなく、自分自身のなかで深く、長く考え続けてきたまわりの人たちが、再び、しかし何気なく結びつけられる契機になったようで、気持ちが晴ればれとしたものです。
戦後ドイツの民主主義に感動と同時に「過去の克服」への批判的な捉え返し
〈ネオ・ナチ〉の用語を頻繁に読み、聞かされたのは、90年代の初めころからです。簡略化していえば、「ベルリンの壁」に続いて「鉄のカーテン」が崩壊し、戦後冷戦構造の再編がドイツおよびヨーロッパで議論された時期で、左右に揺れて政治的な求心力を失くしていく既成政党のもとで社会の対立・亀裂が進みナチ勢力が表立ってきました。それは、外国人排除・襲撃として、「過去の歴史」を再び、意識するしないにかかわらずドイツ市民に思い出させることになりました。そして、98年の「赤‐緑」連立政権が成立しました。反ナチ運動・デモが全ドイツ規模で取り組まれていく時期に当たっています。
確か2001年でしたか、土曜日で私たちはオペラの観戦に出かけていました。開演前に劇場責任者が舞台に立ち、何の前触れもなく、「翌日、10月3日日曜日には、ベルリンで反ネオ・ナチのデモと集会が予定されています」と切り出し、「一人ひとりの顔を示そう!」(注)と結びました。
劇場には、保守派のみならず右派の観客も来ていると思うのですが、そんなことへの配慮をしない反ナチへの闘争宣言を聞いて、わたしはさすがに身震いしたものです。
(注) Gesicht zeigenをこのように訳しておきます。以降、反ナチ闘争のスローガンになりました。
90年初頭以降の議論で今でも記憶に残っているのは、一つは「ワイマール時代」との比較です。政党の小党分立化が進み、その間隙からナチが政権を奪取していった歴史から何を学ぶのかという議論です。
メディア、政党、学術分野などでの一般的な確認は、おおむね、〈戦後の民主主義の経験から、ワイマール時代を繰り返すことはない〉というもので、これが社会の基本的な合意事項になっていたように思います。戦後ドイツの民主主義は、社会に土台と基盤を持っていて、しっかりと根を下ろしているといいたいのです。「なるほど、さすがにドイツだ!」と私は納得して、こういう表現ができるドイツの民主主義に感動していました。
他方で、この時期の外国人排斥、ネオ・ナチの危険性を指摘するユダヤ人学者からの「ドイツの戦後民主主義は、外部から移植されたもので、内的な必然性から生まれたものではない」という歴史的断定です。戦後ドイツの「過去の克服」への批判的な捉え返しが、歴史を体験した人たちから訴えかけられます。
私自身は、この二つの歴史認識のなかで揺れ続けて今日まで来ました。
「背広に着替えた」ネオナチ、そしてドイツ連邦軍への潜入
反ナチ抵抗運動の高揚と広がり、そして極右派・ナチグループの組織・活動禁止令(破防法のようなものです‐筆者注)を受けて、社会表面から剃り上げ頭、迷彩服、長靴をシンボルにしたネオ・ナチの姿は消えていきます。ナチが「背広に着替えた」といわれる時代になり、昔、日本でいう「溝板(どぶいた)活動」に入っていきます。こうして彼らは社会と市民のなかに潜伏して、同時に見逃せないのがドイツ連邦軍への潜入でした。
それが10年後の今日、連邦軍のナチ・スキャンダルと、旧東ドイツでの「左翼党」を凌いで、極右派グループが第一党にのし上がってくる背景になっていると考えています。それを政党に集約したのが、現在のAfDです。
各国の選挙で顕著に認められるように、ドイツのみならずヨーロッパに勢力を伸ばしつつある極右派、右派ナショナリスト、ポピュリストの流れとEU議会選挙の将来を展望しながら政治家、政治学者から、またメディアで語られるのは、「極右派(の動向を)を軽視、過小評価していたのではないか」というものです。
これは、遅ればせながらの正当な判断だといえますが、保守派が「民主主義」を謳いながら極右派の支持者を取り戻すために自分が右傾化していったこの間の経過を顧みれば、彼ら自身の、そして他の既成政党がいってきた「民主主義」自体の意味が再検討される必要が迫られているように思われてなりません。
右派ポピュリズムが台頭するヨーロッパ
一例を挙げれば、代表的なところではイタリア(Lega Nord)、フランス(RN元のFN)、イギリス(UKIP)、オーストリア(FPÖ)、ポーランド(PiS)、ハンガリー(Fidesz)では右派ポピュリスト、ナショナリストが政権を握り、あるいは連立を組み、そしてフランス(RN元のFN)とドイツ(AfD)は、政権への参加はないといえども議会に無視できない議席を確保しています。(注)
(注)カッコ内の表示は右派、ナショナリストの政党名です。他のEU諸国も同じような傾向ですが、ここではすべてを指摘しませんでした。
右派ポピュリストの現実を示しているのは、イギリスのEU脱退(Brexit)とEU選挙直前のオーストリアのFPÖ資金援助スキャンダルです。テーマを扇動的に極端化することはできても、彼らに解決能力のないことをそれらの事実は示しているとはいえ、問題はここですが、にもかかわらず、大衆的な支持率には一向に変化がないどころか、むしろ、支持率を伸ばしていることです。それにスキャンダルが加わりながら、彼らの土台は揺らぐことがありません。
よくよく考えてみれば彼らの結成動機とは、エスタブリッシュメント(権力・体制側)とエリートに対抗してクリーンな政治を目標にしていたはずです。従来の政治および政治家のモラルと倫理観に疑問を投げかけ、自分たちが唯一の市民の護民官を自認し、それによって既成の体制と政治に愛想をつかし憎悪と怒りを募らす市民を結集させることに功を奏してきました。
それに対して、「民主主義」派の抵抗は市民を捉えることができず、逆に声高になればなるほど、そこから市民が離反していくという傾向を示し続けてきたといえるでしょう。
根本的な膿を取り除くことなしに「民主主義の復活」は見通せない
「極右派の動向を過小評価してきた」と耳当たりの良い自省の言葉を聞きながら、そうであればその対極にへばりついている「自己の過大評価」にこそメスは入れられるべきです。根本的な膿を取り除くことなしに、とりわけヨーロッパの「民主主義の復活」は見通せません。
こんな切羽詰まった政治状況のなかで行われたのが、今回のEU議会選挙であっただろうと思います。
結果は、日本でも報道されていることでしょうからここでは繰り返しません。そこに見られる政治的な流れから、上記の問題を考えるにとどめておきます。
EU議会の議席数で見れば、既成の国民政党といわれた、すなわちCDU/CSU系(180議席)とSPD系(146)の歴史的な敗北、緑の党系(69)の躍進、他方に極右派、ナショナリスト系、ポピュリスト系(合計すれば171)が第二党を占め、それにリベラル系(109)が、今後のEU委員会議長のポストと政治方針をめぐる戦線を張ることになります。(注)
以上から、いくつかの転換点が指摘されます。
(注)全議席数が751ですから、多数派工作が困難になり、EU委員会議長の選出には、今後、党派の組み合わせが不可欠になります。
「Friydays for Future」とフランス「黄色いベスト」運動
1.EU結成後、今日まで続いてきたCDU系保守派とSPD派二党による権力分配に終止符が打たれたということです。二大政党間で、しかも密室で進められてきたEU政治がこれによって崩壊し、今後は、極右派対抗も含め、複数多数政党間での政治的合意が求められてきます。そういう意味で、EUは民主主義の原点に戻されたといえるでしょう。一言でいえば、戦後続けられてきた二大政党「CDU‐SPD」の大連立政権が、ヨーロッパそしてドイツ政治の積極的な民主主義活動を窒息させ、その張本人である二つの政党の凋落とともにEUは再び民主主義を復活させる足場を築いたというのが、今回の選挙結果であったように考えています。
2.では、なぜそれが可能になったのかという、一番重要な点です。
それは、間違いなく昨年来から続く中学生、高校生を中心とした自然環境保護運動だったでしょう。
Friydays for Future(略FFF)です。(編集部注)
従来の政党主導による自然環境保護という、たとえば燃料への環境税、車(乗り入れ)制限、多様生物保護、「菜食日メニュー」等々、意味は理解できるとしても市民の日常生活への規制によるものです。
いってみれば、「善・悪」二元論による世界の二極化でしょうか。それによって対立と分裂がラディカル化し、時として極限化が進んできたように思います。別の世界の同じ論理をブッシュの戦争論、そしてトランプの政治に見ることができます。
(編集部注)15歳のスウェーデン人、グレタ・トゥーンベリさんが地球温暖化対策を求めて昨夏始めた運動が世界へ広がるなか、日本でも始まった。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2019022200008.html
別のいい例が、フランス・マクロン政府によるガソリン燃料への「環境税」導入です。これに反発する「黄色ベスト」運動が、郊外の住民、農業者が中心となり「(環境税が導入されれば)それでさえ切迫する農業と生活が立ちいかなくなり、月々の生計が賄えなくなる」という理由から起こされたのは周知のとおりです。
FFFとともに、ここに見られる共通事項は、「生存への危機」であり、人間が生存できるための権利を主張していることです。人間存在と政治・経済システムへの根底的な、しかしわかりやすい訴えです。
またFFFは、〈No Natur No Future〉と、一人ひとりが、自然と共生し、自然のなかで共生できる社会をアピールしています。そのためには、人間の住む世界が変わらなければならないことは、大ぶろしきを広げて世界が解釈されるよりは、ここが必要なところだと思うのですが、誰にでも自分で理解できることです。
自分が理解できれば、政治主張は可能であり、その自由の発言の場所は運動に確保されています。そんな論理をわたしは、FFFと「黄色ベスト」運動の原点に見るのですが。
それと比較して政党政治は、選挙前になると「年金増額」「医療費軽減」「減税」「家族手当増額」等々、金のばらまきです。それ以上でも、それ以下でもありません、札束を目の前に吊り下げて、選挙での投票を確保するというのが通例です。札束といえば聞こえはいいですが、実際は、小銭です。この「金額」をめぐる論争が、議会政治のありのままの姿でした。付け加えるならば、その「増額」したわずかな収入といえども別の保険、社会経費等の増税・支出?健康、エネルギー・教育・医療・年金等々で、それ以上に吐き出されていくのが現実です。最終的には、各家庭の会計は赤字です。
他方で、高所得者への増税は選挙への配慮から真剣に議論されることはありません。そればかりか、減税傾向にさえあります。それによって、所得格差は広がってきました。
こんなことを書いていると、われわれはニワトリよろしく金の卵を生むために飼育されているのかと思え悲しくなってきますが、しかし、これが新自由主義の実態でしょう。
こうして政治が膠着させられ、市民は政治から離れていきました。FFFが主張するのは、これまで顧みられることのなかった人間と自然の関係性を問いかけることにあるでしょう。
バラ色の理想的な世界を描くでもなく、また反対に世界の終焉を訴えかけることでもなく、人間が長い歴史をかけてつくり上げてきた現在の世界に、人びとは何ができるか、何をしなければならないかを語りかけてきているところに、政治という大きな権力機構に立ち向かえる、とりわけEU政治に耳目を開かせる切り先を突きつけたことになります。
先週の金曜日の夕方、EU選挙の直前に学校で年配の音楽の先生に出会ったら、「FFFのデモに参加してきたよ」といいます。いつもは大型の車で来るのですが、その日は自転車できていましたから、「デモに参加して車では理に合わないよね」と皮肉に持ちかける私に、「そうなんだよね」と彼女は笑っていました。
その日は、私の住む小さな町でも2,500人近くのFFFデモ参加者があったといいます。通りの交差点で、「50年ぶりに座り込みをしてきたよ」と、もう60歳代の後半になるだろうと思われる彼女は、顔をほころばせて活きいきとしていました。「ロートルも元気いっぱいだよ!」と。
青年層だけではなく、そこに60-70歳代の年配者を引きつけてきているところに、ドイツ―EUの民主主義の将来を見ることができます。
3.次に、青年層の政治意識です。EU選挙の直前に26歳の学生(匿名Rezo)がYoutubeで主にCDUに焦点を据え、同じくSPD、 AfDにも投票しないための政治メッセージを送りました。(注)
(注)Zerstörung der CDUがタイトルで、ここでは「CDUの破壊」と訳しておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=4Y1lZQsyuSQ
約1時間近くのビデオで、資料を指摘しながらそれら諸政党の環境、社会格差等に関する政治アピールの虚言性と意見操作を徹底的に批判しています。それによって「若い年齢層の現実生活が破壊されている」というのがメッセージの趣旨です。だから、上記諸党に投票することは、自分で自分の(世代の)生活を破壊することだと訴えたいのです。
これまで約700万人が、このビデオを見ているといいます。政党、政治家の発言で、はたしてどれだけの数の青年層にアピールが届くのでしょうか。逆にいえば、彼のアピールがどれほど選挙投票に影響を与えたのかということになります。
資料の分析から、一見、理路整然とした政党政治の綺麗ごとの羅列のなかで進む「生活破壊の現実」が明らかにされます。そこに未来を託すことはできません。単なる政治批判ではなく、自分の現実に気づかされます。その時、人は政治的になるはずです。
彼の一番の貢献が、実は、ここにあると思います。
CDUはその対応に追われますが、これといった決め手はなく、「資料に基づかないフェイクだ! デマだ! ポピュリズムだ!」と、組織内の混乱と政治指導の無能力さのみならず、青年層への輪をかけた侮辱と傲慢さを見せつけてきています。
よほどのダメージを受けたのでしょう。CDUからは選挙後、よりによって社会・大衆情報メディアの「統制、規制、検閲を!」と理解されうるような発言が党代表から出され、現在、各方面から集中砲火を受ける羽目に陥っています。
4.以上の政治的な流れが、緑の党の選挙勝利に結びついた背景だと判断して間違いないでしょう。ドイツではSPDを凌いで第二党になり、イギリス、フランスでも得票率を伸ばしています。
他方で、東・南ヨーロッパでの運動および組織弱体の現実が、その地域に根を張る極右派、右派ナショナリズム、ポピュリズムの存在とともに今後の課題を残しているように思われます。
一つ思い出されるのは、「ベルリンの壁」と同時に「鉄のカーテン」が崩壊した直後、何回かバルト三国を旅行していてエストニアのタリンで、「100万の人間の鎖」の写真展示を見たときの衝撃です。ソヴィエトの原発建設に反対するバルト三国の抗議行動です。それが最終的には「鉄のカーテン」とソヴィエト・スターリン主義支配を打倒する原動力になっていると私は確信しているのですが、こうした闘争の歴史と現状がどこで、どう結びつき、将来の指標になっていくのか、非常に興味のあるところです。
CDUとSPDは、選挙敗因が「環境問題を政治テーマの前面に掲げられず、政治議論を公然化できなかったことにある」と総括しているのを聞いて、私はもう、言葉が出てきません。
【追記】
EU選挙と同じ日に、ドイツ・ブレーメンでも選挙が行われました。これについては、SPDの組織問題と社会運動、そして右派勢力の背景に関連して、追って報告します。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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